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リエーフと別れてひとりになると、雑務に手を動かしながらだんだん自己嫌悪に襲われてくる。
看護実習生に休息の時間がないのは事実だ。
毎日の膨大な記録に、家に帰ったら復習、反省点を振り返り、改善策を考える。
わたしもここでの実習が始まってからまとまった睡眠時間なんてほとんど取れてない。顔色なんて悪くて当然だ。
でも、さっきのは八つ当たりだって自覚がある。あの子が少々…かなりウザかったとしても。


「あぁ、ここにいた!」

『え、』


慌てた感じで声をかけられ、わたしはハッと顔を上げる。現れたのは学生担当の。


「さっき指示したもののことだけど」

『…っあ、すみません!まだできてませんっ』


サッと血の気が引く。処置に必要なものを準備するように言われてたのを完全に忘れてた。


「あ、いいの。予定が変わってね、すぐに必要はなくなったから」

『でも…っ、すみません!指示されてたのに…っ』


最悪だ。自分で思うよりキャパオーバーしてたらしい。学生担当の看護師は表情を和らげ、小さく肯く。


「うん、そこまでのことじゃなかったんだけど、次からは気をつけて。あなたなら多くは言う必要ないわね」

『…はい、』


いや、そこまでは人間できてませんけど…と思ったけど、口には当然出せない。ここから先は自分の問題だから。

瀬戸際で塞き止めてたものをバキバキに打ち砕かれたような気持ちで歩いてたら、詰め所から話し声が聞こえてきて手前で足を止めた。
聞き覚えがある、今日の日勤に入ってた比較的若い看護師ふたりの声だ。


「例のハーフの男の子さ、今この階にいるんでしょ?」

「個室入ったって。あれでしょ、実習生の子の知り合い」

「そうそう!誤魔化してたけど、あれ絶対つき合ってるでしょ。実習先でイチャつくなっての!大した仕事もできないくせにさ」

「年下イケメン彼氏ですぅー、って自慢?」


…うっわぁ。
わたしはふらつくまま背中を壁に預けた。はぁぁ、と深く息を吐く。
予感が的中してて何ていうか…。
頭の中でぶちんと音がした。
ていうかさぁ、わたし何かしたっけ。何でこんなビクビクしてるんだっけ。
リエーフがここに搬送されたのは不可抗力だし、つき合ってるけどそれは誰かに断りを入れるようなことじゃない。
そう思うとだんだん腹立ってきた。そもそも学生がヘマしたり仕事ができないのは普通だし、それを勉強するための実習なんじゃないの。
もちろん命を預かる現場での失敗は許されないから注意は払わないといけないし、失敗してしまったら反省は必要だ。
でもだからって、わたしが自分らしさを失くす必要は別にないんじゃない。
今度はすぅっ、と息を吸い込んで、わたしは止めていた足を踏み出した。


『お疲れさまです』

「あ、お疲れさま。…そういえば入院患者さんから聞いてるよー。灰羽さんと仲良さそうにしてたって」

『あぁ、うるさくしてしまってすみません。感情表現がストレートな子で』

「えぇー、そんな風に言うってことはさぁ、結構親密な仲なんじゃないの?」

『そうですね。ご想像にお任せします』


はっきりと肯定はしてないけど、さっきのように誤魔化しはしなかった。若い看護師達は意外そうな顔をする。


「へぇ、そうなんだ。まぁ格好いいもんね、彼。確かに年上のお姉さんに好かれそうな感じ。でもそしたらさ、心配じゃない?病院なんて愛想も面倒見もよくて仕事のできるお姉さんばっかりじゃない」


面白くなさそうな表情を途中から一変させ、突っかかるような言い方になる。意訳すると「誘惑しちゃったらゴメンね?」かな。


『あー…あの子が目移りしないか、ってことですか。ないんじゃないですかね。大抵の女の人は視界に入らないでしょうから』

「な、」


軽い嫌味を飛ばすとカチンときた顔をするわかりやすい看護師に、こちらは表情を変えずに内心でほくそ笑む。


『あの子身長190以上ありますから。多分わたしでギリギリぐらいですよ』


これでも170は越えてるんですけどねー、と続けながらチラッと様子を窺うと、


「あ、そういうこと…」


と勘違いに気づき今度は羞恥で赤くなっていた。いやホントは勘違いじゃないけどね。ガッツリ嫌味込めて言いましたから。


『あれ、そう言えば先輩。看護師長さんに手術の指示受けてませんでした?予定が変わったとか?』

「えっ」


わたしがわざとらしく首を傾げて言うと、若い看護師のひとりがパッと時計を確認して青くなる。


「うそ、ヤバイんじゃ…」


もうひとりも気づいて席を立つ。既にわたしなんか目もくれず慌ただしく詰め所を出ていくふたりを立ち尽くして見てたら、戻ってきた学生担当の看護師さんが状況を察してやれやれと肩を竦めた。


「実習時間は終わりでしょ。あなたはそろそろ帰りなさい」

『はい、お先に失礼します』


頭を下げて退室の挨拶を述べた後、しゃんと背筋を伸ばして直立する。それを見てた学生担当の看護師は軽く肯いて微笑んだ。
うん、こっちのほうがよっぽど自分らしい。わたしみたいなでかい女が背中丸めて小さくなってたら可愛くもないし見苦しいだけよね。
あとは見かけ倒しじゃないことを認めさせるだけ。
これでも座学には自信がある。それはつまり集中力と学習意欲はあるってことだ。なら次は現場で見聞きしたことを躰のほうが吸収すればいい。
堂々と自分らしく、その上で死ぬほど頑張れば済む話、単純。

更衣室で着替えて荷物を持ったわたしは、入院患者さんの病室に足を向ける。その中のひとつ、『灰羽リエーフ様』と名前のかかったドアの前に立ってノックした。
せっかく諸々吹っ切れたんだし、こういうのは早めにはっきりさせるのが一番。


「ハイッ」

『リエーフ、わたし。入るね』


困惑してる気配がドア向こうから伝わってくるけど、わたしは三拍待ってドアを開く。ダメって言われても聞く気はなかったから関係ない。
中に入るとベッドの上で気まずい顔の巨人。身長190オーバーのはずがやけに小さく見える。


「あっの、さっきは…!」

『さっきはごめんね、八つ当たりしちゃった』


リエーフの声に被せるように言う。彼に謝らせるわけにはいかない。


「えっ、いや…俺が邪魔したから、」

『確かにかなりウザかったけど、リエーフがそういう子だって知っててつき合ってるのわたしだしね』

「ウザかっ…ハイ、スンマセン」

『だから謝らなくていいって。それに心配してくれたのは嬉しかったし』

「えっ?」

『わたしが疲れてるの気づいたでしょ。まぁ、仕方のないことなんだけど』


むしろ本来は患者さんに悟らせないようチークやリップで隠さないといけないことだ。…て言うか、わたしもメイクはしてるのによく気づいたな。


「そんなん、いつもと違うんだからすぐ気づく、ます!」

『…うん、そっか』


今のは結構キュンときたけど、これは柄じゃないから黙っておこう。


「…体調、ヘーキ?」

『平気だけど、すっごい眠い。安心したからかな』

「アンシン…」

『リエーフと仲直りできたからね』

「…っに、それ」


かわいい…と口の中でもごもご言ってるの、隠せてないよ。可愛いのどっちよ。


『よ、っと』

「んえ?なにしてんスか!」

『言ったでしょ、眠いの。ちょっと寝かせて。今帰ったら電車の中で爆睡しそう』


リエーフがわたわた長い腕を振り回しながら焦ってるのも構わず、わたしはベッドに上がって横になった。


「マジで寝るんスか…?」

『ん、悪いけど15分経って起きなかったら起こして』

「うす…」

『おやすみ』


何か言いたげなリエーフに有無を言わせず目を閉じる。眠かったのはホントだから、そのまますぐに眠りに落ちた。

それほど時間は経ってないのか、わたしは自力で目覚めた。ぱかりと目を開けると、近い距離にリエーフの綺麗な顔がある。


「あ!起きました?」

『ん、はよ』

「ハザマス!」


重たい躰を引きずって起きると、リエーフの様子がおかしいことに気づく。何か落ち着かない、っていうかそわそわしてる?みたいな。


『なーに?そんな慌てて。…キスでもしてた?』

「ぅえ!してね…ません!口には…っ」

『別にしてても怒んないよ?』


キスなら何度かしてるし。それ以上はまだだけど。
部活に精力的なスポーツ少年相手だから、これでも遠慮してるのよ。


「なな…っなに言ってんスか!」


そんな不健全なこと言ってないのに。
女の子が身内にいてしかもそれがあんな美人の姉ちゃんなのに、あんまり慣れてないよねこの子。可愛いけどさ。


『リエーフ』


でもこんな近くでこんな可愛い反応されたら、わたしも多少悪い気は起こしたくなるよね。
病人じゃなかったら手ぇ出してるとこ…あ、検査結果に異常なかったんなら病人じゃないのか。なら別にいいのかな?でも、んー…
わたしが顔を近づけてほっぺたを撫でながら考えてるもんだから、困惑と羞恥を浮かべた翠色の眸が潤んでいく。
その時、わたしは遠くからこっちに近づいてくる慌ただしい足音に気づいてパッと手を離した。


「え…?」


だらしなく寝乱れた髪や服を手早く直しベッドを降りると、リエーフが不思議そうに目を見開く。
直後に、ドアの外に人の気配が立った。


「 Лев !!」


ノックもそこそこにドアが開いて、悲鳴のような声を上げて飛び込んできたのは、


「えっ、ねーちゃん!?」


美しい顔を痛ましく歪めたリエーフの姉、灰羽アリサだ。わたしの友人でもあるけど、今は溺愛してる弟一直線でわたしには気づいてなさそう。
普段ならふにゃふにゃの声で「レーヴォチカー(はぁと)」って愛称で呼ぶのにそれも忘れてるほどだし。


「救急車で運ばれたって聞いて…生きててよかったぁぁ!」

「うん。死んでねーって」

「わぁぁん!リエーフー!」


ベッドに飛び乗って弟に泣きつくアリサ。姉弟水入らずを邪魔したくないし、ていうか面倒臭いし、わたしは帰ろう。
床に置いてあった鞄を取り、目だけでリエーフにそれを伝える。気づいて「あっ」と声を上げたが、ぎゅうぎゅうにしがみつかれてて動けない。
わたしはちょっと笑って、アリサから死角になる位置でこっそり投げキッスを贈った。
ボッと音がしそうなほど赤くなる顔を見て満足する。
ひらひらっと手を振って、わたしは病室を後にした。














帰宅したわたしは荷物を置いてお風呂場に向かう。このあとすることの段取りを考えながら、さっとシャワーを浴びた。
帰宅後のシャワーはこの実習が始まってから毎日のことだ。家に帰ってからも記録をつけたり見直したりして、気づけば机で寝てましたなんてこともよくあるから。
脱衣所で濡れた髪を拭きスキンケアをするために鏡の前に立ったところで、あることに気づいて動きを止めた。当然同じように固まった鏡の中の自分、その首の…普段は髪に隠れて見えない位置に赤い痕がある。
朝はなかったし、実習中も行き帰りの移動中でも虫に刺されるようなことはない。刺されたとしたら…夕方の仮眠中か?
…確かに“口にはしてない”って言ってたから、嘘ではないけどさ。


『牙を立てるライオン、か…』


犯人は虫じゃなかった。これは獰猛な銀の獅子のマーキング。純情そうな振りしてやってくれるじゃないの。
さぁ、次会った時どうしてくれようか。

END.


*→あとがき。
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