main.

□Cryptic coloration.
1ページ/2ページ



テニス部の朝練が終わると、俄に騒がしくなる。
ただでさえ登校時間で生徒の動きが激しいのに、女子からの圧倒的な人気を得る男子テニス部が校舎に移動することで一際注目を集めるから。

一番人の出入りが激しい時間を避けて少し早めに教室に入ってた私も、窓から昇降口を見下ろし一際目を引く美しい男子生徒を眺める。


『跡部さまぁ!おはよーございまーすっ』


きゃぴきゃぴと声を張り上げて呼びかけると、跡部様の隣を歩いてた男子が…彼は確か隣のクラスだったはず。反応して顔を上げ、つられるように跡部様もこちらを見る。

これにはちょっと驚いた。私みたいなミーハーなファンなんてはっきり言ってたくさんいる。
だから跡部様がわざわざ反応するとは思わなかった。でもそこで驚いて黙るようじゃミーハーじゃない。

パァっと笑って元気よく手を振ると、ふたりは揃って口元を緩めた。跡部様はいつもと同じく不遜に笑い、隣の彼は少し困ったような微苦笑を浮かべる。
私と同じく窓に張りついていた多くのファンがそれを見て悲鳴を上げた。悲鳴と言うか、奇声と言うか。

テニス部は顔の造作が整った人が多い。タイプはさまざまだけど、このふたりは雰囲気は違うけどどちらも綺麗めだ。揃った時の絵力ときたら。

跡部様達の姿が昇降口に消えていったので、私も体重を預けてた窓から躰を起こす。


「あんまり騒ぎ立てると迷惑になるんじゃない?テニス部の人達だって朝練で疲れてるだろうし…」

『んー、それも思うんだけどね。やっぱり応援したくて!やめられないんだぁ』


同じクラスの女の子に控えめに注意をされた。この子とはわりと話すほうだけど、ミーハーの私とは正反対だ。現に、『あなたは応援しないの?』と続ければ、一瞬言葉に詰まって目を泳がせた後「してるよ」と続ける。


「応援は、してる。素敵だとも思う。でもみなさんだって静かに過ごしたい時もあるんじゃないかな、って」

『うん、いーんじゃない?』

「え?」

『そういう意見も大事!ちゃんとテニス部の人達にも伝わってると思う。あたしはつい力いっぱい応援しちゃうけど』


こういう子のことは可愛いと思う。優しい考え方のできるいい子だ。
言葉の通り、静かに見守る思いやりのある応援は健気で一途。こうやって影ながら一途に想い続ける可愛い子が、いつか王子様と結ばれるんだと思う。

間違っても私みたいなミーハーな尻軽じゃなくて。
男からしてもきっと嫌だろうから私みたいなのは本命には選ばれない。その普遍的な理に逆らうつもりはない。

私は健気で一途なヒロインタイプにはなれないしなるつもりないけど、健気で一途なヒロイン達に対する敬意はある。
彼女達がいつか王子様と結ばれることを心から願ってる。


「あ、」


廊下が騒がしくなって、私達は揃って振り返る。
近づいてくる喧騒が王様の登場を告げていた。

眩しすぎるキラキラオーラを纏った姿が見えた瞬間、私は『きゃー』と悲鳴を上げた。


『跡部さまー!朝練お疲れさまーっ』


恐れ多くも同じクラスに在籍する学園のキングに声を張り上げてみたけど、今度は他のファンの声に紛れて耳に届かなかったのか反応はなかった。
こっちのほうがデフォだからちっとも気にならない。

私の学園での一日は、毎朝こんなふうに騒がしく始まる。

















私の母親はそれなりの旧家のひとり娘で、父親はそれと比べると少し見劣りするような家の出だ。
後継者が欲しかった母方の家に是非にと望まれて父親は婿養子に迎えられた。
父は若かったけど勤めてた企業ではなかなかの頭角を現してたし、将来有望だったらしいから。

とはいえそんな背景がありつつも母は父のことが好きだったし、父もお高く止まった妻じゃないことに救われてもいたんだと思う。自分に尽くす母を大切にしていた。
娘の目から見てもわかるぐらいの、何て言うか、仲睦まじい夫婦像だった。

そんな風に親のことを考えてたからってわけじゃないと思うけど、放課後携帯を見たら父親からメッセージが来てることに気づいた。
仕事で忙しい父とは今は離れて暮らしてるから、こういうことはたまにある。

内容は簡潔に言って、父が今どんな仕事をしてるかだとかの近況と、忙しくてなかなか会えないけど私のことを気にかけてるよ、みたいなこと。
忙しい仕事の合間に娘を思いやって寄越された優しい言葉に、何て返信しようかと考えてた時。


「何だおまえ、まだ残ってたのか」


教室の入り口から聞こえた低くて艶のある声にパッと顔を上げる。


『跡部さまだー。あれ、部活は?』

「今からだ。生徒会のほうに行ってたんでな」

『あぁ、そうなんだぁ』


相変わらず忙しくしてるなぁ、この人も。

話しながら自分の席に近づいた跡部様は荷物を手に取る。そのまますぐ部活に向かうものだと思ってたのに、綺麗な目が前触れもなくこっちに向けられた。視線がぶつかって、予想外のことに硬直してしまう。


「おまえは何で残ってた?」

『え、理由は別に…』


単にボケッとしてただけだしなぁ。
口ごもると跡部様が鋭い眼差しを更に眇めて私を見る。


「おまえ、顔色悪くねぇか。体調は、」

『あぁぁ、うん。大丈夫!今ちょうど親に連絡しようとしてたとこだったの』


まさか体調を案じられてるとは思わず、焦って変な動作をしてたかもしれないけど。
私が咄嗟に口から出任せを言ったら跡部様は表情を幾らか和らげた。
こういう言い方をすれば“迎えを呼ぼうとしてた”と解釈されるだろうと踏んでのことだけど、上手くいったらしい。

…んまぁ、父親に返信しようとしてたから連絡しようとしてたのは事実だし、嘘は言ってないよね。


「…そうか」

『うん。て言うか跡部さまのほうこそ気をつけてくださいよぉ?あたしなんかよりずっとずーっとお忙しいじゃないですかぁ。無理のない、ように…、えっと…?』


言葉の途中で不自然に途切れがちになったのは、跡部様が物言いたげにこっちを見てきたからだ。

あ、あれ…。ここはアレだ。「アーン?誰に向かって言ってやがる、この雌猫」ぐらい言われる場面かと思ったんだけど。


「おまえ、」

『はぁい?』

「いや、気をつけて帰れよ」

『ありがとぉ。跡部さまも部活頑張ってねー』

「あぁ、じゃあな」


教室を出ていく跡部様にひらひらと手を振って。机の上に置きっぱなしにしてた携帯を見た瞬間に自分の失態に気づいた。と同時に、跡部様の物言いたげな表情のわけにも。

父親にしようとしてた返信の内容を、跡部様に言ってたんだ。跡部様にあんな風に言われたら『跡部様に心配してもらっちゃった!きゃーっ』ぐらいがミーハー女子の定型文だろう。

父親に返信する気力も萎えて、携帯を閉じる。あー…


『気持ち悪い』









‐‐‐‐‐








あの放課後の一件から、妙に跡部様に絡まれるようになった気がする。たとえば、


「おい、これ」

『跡部さま、なーに?』

「さっきの選択の授業のノートだ。取ってなかっただろ」

『あ、うん。えーと、』

「あぁ、サボってたんじゃねぇのはわかってる。見え辛そうにしてたからな」

『何でもお見通しだねぇ。さすが跡部さまー…』


私と跡部様は選択の授業が被ってる。私の選択授業の席は後ろのほうで、確かに最近ちょっと板書が見え辛い。
視力が落ちてコンタクトの度が合わなくなってるからだと思うんだけど、まさか気づかれてるとは。


「さっさと度数合わせ直して来いよ」

『はぁい』


え、そこまで気づかれてるの?
そう言えば、謎のお誘いもあった。


「おまえも一緒にどうだ?テニス部の奴らも一緒だが」

『うれしー。でも今日お弁当だからなぁ』

「そうか。ならまた今度だな」

『わぁい、仲のいいファンクラブの子達にも声かけていいですかぁ?』


お昼はお弁当派でカフェテリアにあまり行かないのは本当だ。…じゃなくてさ。

おかしい。男はミーハー女は嫌いだ。遊び相手や適度に囃し立ててくれる取り巻きぐらいの程よい距離ならよくても、本命には選ばない。
そして跡部様なら本命も遊びも選び放題だ。

絡まれる度にミーハーっぽく躱してるけど、躱しきれてない。それに周囲もさすがに勘繰ってきた。
そりゃ、声かけられる頻度があれだけ多かったら気づかれるわ。
そしてとうとう、


「おまえ、放課後少しつき合え」

『は、い?』

「生徒会の雑務に手が足りねぇ。部活はやってなかったはずだな?それに…」

『…?』

「おまえの、───、」


距離が近づいて潜めた声で告げられたのは、一応周囲に聞こえないよう配慮してくれたからか。かえって親密そうに見えるんじゃないかとは、今は言うまい。


『!?』


そんな余裕もなかったわけだけれども。

跡部様の口から出た「おまえの父親に言われたんでな。是非娘に目をかけて欲しい、と」の言葉のせいで。

この跡部様絶対王政支配国家の氷帝学園で、キングに背くことは許されない。逃れようのない状況で命令され、ついにふたりきりになることを余儀なくされた。

そう、ふたりきりだ。言われるまま放課後に足を踏み入れた生徒会室には、他に誰もいなかったから。
…手が足りない、って言い方だったから、多少の人手はあるのかと思ってたんだけど。いや、うん…呼び出す口実だったってことはわかってるけど。

でも一応雑務があったのは本当らしく、しばらくは単調な作業が黙々と続いた。


「さっきの件だが、おまえの父親と話す機会があったのは本当だ」

『…そう』


私がちらちら様子を窺ってたせいだろう、跡部様が唐突に口を開く。


「彼の口から聞く娘の特徴と実際のおまえのイメージがかけ離れてたんで、人違いかと思ったんだが」

『そりゃお手間を取らせましたね。…別に父の言うことなんて無視してくれてもよかったんだよ。わ…あたしに興味とかないでしょ』

「興味はなかったが、今はそうでもねぇ」

『えぇぇ…そこはないままでよかったのに』

「取り繕わなくなってきたな」

『ほとんどバレてるのに跡部さま相手に無駄なことしてもさぁ』

「…そう馬鹿じゃねぇらしいな」

『いや、残念ながら賢くもないよ』


一番バレちゃだめな人にあっさりバレたもん。


「おまえの“ソレ”は…」

『ソレ?あ、擬態…って言うか化けの皮?』

「あぁ、おまえの家の噂は多少耳に入ってくる。それのせいか?」


跡部様の言う私の家の噂って言うのは、両親の夫婦仲が破綻してるって話。それだけなら別に珍しいことでもないけど。

かつては実の娘の目から見てもわかるぐらいの、仲睦まじい夫婦像。
今や夫は事業に成功して結婚前と立場は逆転、自分をお金で買った女の家を見下し寄りつかず。
妻は現実を受け入れられず、とうに自分を省みなくなった夫を繋ぎ止めるためにメンヘラ化。

在りし日の両親の姿はもう見る影もない。無惨な元夫婦の今の姿が私にとっての反面教師。

ミーハーの皮を被って本性隠すのは男子、特に一軍と距離を詰めすぎないため。健気で一途なヒロインタイプの女子にならないのは母のようにならないため。


『まぁ、概ね。だからね、跡部さま』

「アーン?」

『単なる“興味”で、あたしに近づいて来ないでね』

「……」

『私にとってあなたみたいな人は、触れることがもう災厄で…罪悪なんです』


私は女の子ですからね。
全てを差し出して、心ない男に利用されるだけされ尽くして終わる未来なんて、わかってるなら回避するに決まってる。

好きにさせるだけさせておいて、捨てるぐらいなら責任持って殺せばいいのに。母を見て、父に対してそう思ったことは数知れない。

カタンと軽い音がした。作業途中の手を止めて顔を上げると、向かいに座っていた跡部様が傍らに立っていた。
座る私を見下ろす青い眸を、私は無感動で見返す。


「この俺様が、おまえの両親と同じだとでも?」

『違うとでも?』


無造作に伸びてきた手がたやすく顎にかかり、下唇を指先がなぞっていく感触に目を眇める。

触れることが災厄で、罪悪。もちろんそれは精神的な距離のことだけれど、それだけでなくこの男は物理的な距離をも一瞬で越えてきた。

言葉を尽くされたところで、私には無意味だ。だから思い知らせることにしたんだろうか。

私の化けの皮を引き剥がして、私自身に手を伸ばすことで。


END.
*→あとがき。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ