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□無神家
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『誰でも良かった』


多分それは私が一番聞きたくなかった言葉で、それ故に、あの家を飛び出してきたとしても何の後悔もしていないのだと思う。


『お前はただの餌だ』


そんな事は分かっていた。


そんな事は承知していた。


だからこそ忠実な餌であろうと努めたし、だからこそ彼らには私を求めてほしかった。


それがあのたった一言で崩れたのだ。


『誰でも良い』


私以外の血で口を真っ赤にした姿を、さも当たり前のように私以外の血をすするその姿を、私はとても見ていられなかったのだ。


自分が唯一でないことが耐えられなかった。


「感傷にでも浸っているのか?」


頭の中に描かれていた赤い映像が取り払われて、目の前に現れたのは黒一色だった。


「ううん、そんなことないよ」


全てを塗りつぶす黒。


苛まれた記憶までもを消してしまう黒。


あの日、どうやってここに辿りついたのかは覚えていない。


真っ赤な景色から逃れるように、走って走って気が付くと此処にいた。


それでも無神家の人たちは私を必要としてくれる。


唯一の存在だと言ってくれる。


「ねぇルキ」


「なんだ?」


「ルキは私のこと、ずるいと思ってる?」


こうして時々意地悪な質問をするのも。


こびりついた罪悪感を払拭しようとしているのも。


きっと全部お見通しなんだろうけれど。


「そうだな。お前はずるい女だろう」


「どうして?」


「・・・」


「どうして?」


ルキのことだからきっと、慎重に言葉を選んでいるんだろうと思うのだけれども


もういっそ言葉なんて選ばないでほしかった。


思ったことをありのまま言ってくれればいい。


そうして私のことを傷つけてくれればいい。


「名無し、お前がここに来た理由は何だ?」


「ここに来た理由?」


「そうだ。逆巻の奴らの何が気に食わなかった?」


「私は」


私以外の血を吸ったのが嫌だった。許せなかった。

私は絶対的なものなんだと感じてほしかった。


他の誰かじゃなくて私を求めてほしかった。


私は―


「必要とされたかった」


ああそうだ、結局はそういう理由だった。


代わりが効くのだと、そう思い知らされたのが耐えられなかったのだ。


「そうか。しかしお前の方はどうなんだ?」


「私の方?」


「そうだ。お前の方こそ、誰でも良かったんじゃないのか?」


その言葉は私の胸の内を深く深く切り裂いていった。


そうだ、選択しなかったのは私の方だ。


そんなこと、知っている筈だったのに―


「図星だろう?お前は、自分が思っている以上にずるい女だよ」


そうやって彼の言葉は、易々と私の傷を抉っていく。


しかし決して苦痛では無い。


心地よい痛みだ。


「そうは言っても、俺達にしてみれば利害は一致している。ここではお前は唯一の存在だ」


ああもう、本当に。


懐柔されていると理解してはいても、やめられなかった。


胸の痛みと、それを覆い尽くすような甘い蜜。


彼の完勝であった。


「ルキ」


「なんだ」


「ありがとう」


「・・・」


「・・・」


「図星を突かれて喜ぶとは。本当におかしな女だ」


彼はそれだけ言うと去っていった。


ああ、そうか。


ルキは以前、私のことを『家畜』と呼んでいた。


それはあながち間違っていなかったのかもしれない。


結局主人なしでは生きることができなくなってしまったのだから。







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