短編
□愛しと思えど音は出ず【財前光】
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「先輩?」
「あ、財前くんだ!やっほ〜」
「......ちっす」
次は立海の切原と試合だとかなんとかで、俺がコートへ向かっていたその時だった。
たまたま道の途中で彼女の姿をみかけたのだ。おいしそうなアイスと奮闘している先輩の姿を。
声をかければ、ぱっとまばゆい笑顔を咲かせて元気に手を振ってくれた。それがなんとなく嬉しい。
「なにしてるんですか?」
「あはは、あのね、アイスがうまく二つに割れなくて困ってたんだ〜」
彼女の持つ袋から滴がこぼれ落ちる。
地面がじんわりと濡れた。
「一人でうまそうなもん食おうとするからや。ちゃんと仕事してください」
「サボってなんかないよっ!?おつかいのご褒美に買ってもらったの!」
「おつかいにご褒美って、小学生かいな」
「小学生じゃないよ!?」
それでも、自覚があるのか、小さな先輩は顔を背けて『小学生じゃないもん』と呟いた。ヤバい、拗ねている仕草にすらときめく俺は異常やろうか。
俺は思わずくちもとを隠した。ついにやけてしまいそうやったから。
そんな間に、先輩は再びアイスとの格闘を再開していた。ひねったり曲げたり、膝に打ち付けてみたりーーいっこうに割れる気配が見えない。
頬にはうっすらと汗がにじんでいた。
「ダサいっスわ」
「むー、ダサいってなんだよって、あ.......」
彼女の手の中からアイスを奪い取る。
大きく見開かれた丸い瞳が俺の顔を見つめる。
それは本当に一瞬の出来事。
「か、返してっ!」
「よっ、と」
「わわ、ちょっと!?」
取り返されないようにと高く上げたアイスに飛びかかる先輩。
といっても、背の低い先輩と俺とでは見た感じ15aくらいは差があるから、俺が腕を伸ばしてしまえばとれるはずもない。分かりきったことなのに、彼女は一生懸命跳び跳ねていた。
視線を向ければ、今までにない近さに彼女の顔があって、内心動揺するが、それを顔に出すのはしゃくなので、俺はいつもの調子で声をかける。
「割ってあげますわ。できないんやろ?」
「え?本当!?やった、ありがとっ!」
先輩の動きが止まった。
そのまま花が咲き誇るような笑顔を浮かべて俺を見上げてる彼女に、俺は言葉につまらせ、思わず顔をそむけて頷くことしかできない。なんやこの小動物。ほんま単純で可愛い。
気恥ずかしさを誤魔化すように、さっさと割ってしまおうとアイスに手をかける。
パキッと音を立ててアイスは簡単に半分になったが、俺はその動作のまま動けなくなってしまった。
「......なにしてるんスか」
顔を上げれば、すぐそこに先輩の顔。
「えへへ〜、冷たい?」
先輩は両手を俺の両頬に添えながら、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。ひんやりとした感触がするはずの頬は、まるで熱でも出たかの ように熱い。まさか、赤くなったりなんかしていないだろうか。
心臓が早鐘を打ち出していた。
「財前くん?」
不思議そうに首をかしげる先輩。
何も考えていないからこそ、その無邪気さが憎らし い。
下から上目遣いで見つめられて、柔らかい小さな手で触れられて、何やそれ誘っとるんか?
「おーい、財前くん。きっこえてるー?」
このまま抱きしめてキスすることだって出来るんやで?
せやのに、なしてそないに無防備なん?
なしてそない無邪気なん?
「先輩……」
危機感などまるで感じていない先輩に、そんなことを考えたところで無駄なのだろう。
俺は沸き起こった苛立ちを隠すように、割れたアイスを先輩の頬に押し付けた。
「冷たぁっっ!」
先輩が叫んで、一気に俺から離れる。小さな柔らかい手の平を名残惜しいなんて思ってはいない。
「財前くんひどいよっ!」
頬を膨らませるながら睨み付けてくる先輩は相変わらず上目遣いや。ええな、この身長差、なんて思うのも大概にして、俺はため息をついた。
ひどいのはどっちや。
そう言ってやりたかった。
先輩には分からんやろうけど、そういう態度を取られると変に期待するし、我慢するのだっていつまでもつか分からない。深い意味はないんだと分かってはいるからこそ、それが辛い。
「お互い様っスわ。んじゃ、俺もう行きますわ」
顔を背けてさっさと去ろうとしたが、めざとい先輩によって行く手を遮られてしまった。
「こらこらこらこら!ちゃっかりもらっていこうとしないっ!」
「ちっ」
仕方なく手元に残った二つのアイスを差し出す。アイスは時間がたってしまったせいで少し溶けだしていた。
「財前くんって、甘いの平気?」
先輩がアイスを受け取りながら俺を見上げる。
「まぁ」
「じゃあそれはきみにあげようっ」
「ええんですか?」
思いがけない収穫に、思わず彼女を見た。
「うんっ!割ってくれたお礼とーー、次の試合がんばれってことで♪」
今度こそ、俺は驚きを隠せなかった。
こんなにたくさんの生徒が来ているなかで、たくさんの予定が同時進行されている中で、俺の予定を知っていてくれたということが単純に嬉しい。これはもしかすればもしかするんやろうか。
そんな期待をこめて言葉を紡ぐ。
「試合のこと知っとったんですか」
「うん!だって、相手赤也くんでしょ?赤也くんに朝教えてもらったんだ〜」
高揚していた気分が一気に落ち込んだ。
分かっていたことやけど、嬉しそうに“赤也くん”なんて呼んでる先輩の姿なんて見とうない。俯く俺に先輩はなにを思ったのか言葉を続ける。
「皆すごいよねー。好きなスポーツやってるからなんだろうけど、めっちゃキラキラしていて憧れる」
目を細めてにっこり笑ってもらっても、全く嬉しくなかった。
それは暗に誰も眼中にはないということを示しとるわけでーー俺をさらに落ち込ませるには十分やった。
「それじゃ、引き留めちゃってごめんね!アイスありがとっ」
試合ガンバってね!
すれ違い様に、ポンと肩を叩かれる。
振り返れば、幸せそうにアイスをくわえて去っていく彼女の姿がそこにあった。
彼女にとってはなんでもないただの交流だったのだろう。
スキンシップの荒い上に、性別に関係なく誰とでも仲のいい彼女にとって、こんなことはなんの特別でもなんでもないのは分かっとる。
それでも、彼女の手が触れた頬が熱かった。
触れた肩に感覚が残っているような気がした。
胸の奥でなにかがきゅっと引き締まる。
先輩にとって俺はただの知り合いで、それ以上でもそれ以下でもない。その事実が俺を突き刺す。
あんなに暖かい笑顔をくれる人に、
あんなに無邪気で素直な人に、
あんなにまっすぐで輝いている人に
思いを告げたら全てが壊れてしまいそうで、ほんのちょっとの幸せすらも失ってしまいそうで。
この気持ちを言葉にすることすら、俺にはできない。
「ホンマ辛い」
好きやねん。その気持ちは心の中に留めることを選んだのは自分やのに、胸の痛みが体を蝕む。
俺はこれ以上苦しくないようにと、遠くなった彼女の背中から瞳を外してアイスをくわえた。
溶けだしたアイスはとても甘くて、甘ったるくて、冷たくてうまい。それでいて溶けている食感だけが異様に気持ち悪かった。