短編小説

□適応能力も万能じゃない
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数年前の夏の日、たまたま職場に泊まった僕は、女の子の声で起こされた。

珍しく半泣きになりつつも、馬鹿力は健在な彼女に僕は抵抗することを諦め、大人しく彼女に着いていった。

連れられた先は玄関前。表から見れば、ちょうど「万事屋銀ちゃん」の看板の掛かっているあたりだ。

僕の着物の裾を全力で掴んだ神楽ちゃんが、恐る恐る指差した先には。

「ああ、クワガタか。」

「クワガタ…?」

「クワガタって名前の虫だよ。昨日風がすごかったから飛ばされちゃったんだろうね。」

説明しながら、暴風ついでに飛ばされてきていた小枝にひっくり返ってジタバタ藻掻くクワガタを捕まらせた。そんな僕を、神楽ちゃんは信じられないといった表情で見つめる。

「ほら、見てみなよ。」

そんな彼女の表情が珍しく、枝を彼女の眼前に近づけてみると、明らかに怯えた表情を見せた。

「新八なんて大っ嫌いアル!!」

…すみませんでした。今のはグサッときました。
朝から早々に心をボッキリ折られてしまった。

「大丈夫だって、これコクワガタだし、おまけにメスだから怖いことないよ。」

ほら、持ってみる?と枝を差し出すと神楽ちゃんは手を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返した末に、ちょこんと掴んだ。本当に何も危害を加えなかったから警戒が薄らいだのか、興味深そうに観察している。

「というか、なんで神楽ちゃん、クワガタ怖いの?」

「だって見たことないネ、こんな虫。」

ああそうか、この子は地球に来て初めて夏を迎えたのか。
いつの間にか自分の日常に彼女が溶け込んでいたことを実感した。しかし彼女は、れっきとした「天人」なのだ。

僕の天人へのイメージは、あまりいいとは言えない。

代々続いていた剣術道場は、天人が無理やりこの国の鎖国をこじ開けたことによって寂れてしまった。

父は「雲一つない江戸の空をもう一度拝みたかった」と嘆きながら死んでいった。

職も親も失った僕たちは、侍の住みにくいこの世界で苦しむことになった。

そして姉は、父の遺したものを護ろうとしたがために、天人に身を売られそうになった。

そういえば、銀さんは銀さんで攘夷戦争に参加していたらしい。何だか当然の様に神楽ちゃんを受け入れている僕たちだが、元々はなかなか受け付けられない対象だったはずなのだ。

しかし彼女は、確かに僕らの想像を軽く凌駕するだけの食物を欲するし、度肝を抜かれるだけのとんでもない力も持っているが、案外普通の女の子だった。

ある意味、当たり前のことではある。「天人」とは地球上の生物を除いた全宇宙の生命体だ。途方もない数いるその全てが、地球に害を及ぼそうと思っている、というのはまずありえない。実際そうであった場合、地球人は絶滅に追い込まれていたことだろう。

そしてそれは地球人も同じことだ。攘夷を叫び少々行き過ぎたテロ行為を繰り返す攘夷浪士も、居心地の悪さは感じながらも何とか生活している庶民も、天人に膝を屈し媚を売る幕府上層部も、全て同じ種族なのだ。

先入観というのは、人を損させる要因なのだろう。

神楽ちゃんに出会ってから、毎日がハプニングの連続だが、それも悪くないかもしれない。
少なくとも、僕は新しいことに気づけたのだから――


…という今まですっかり忘れていた出来事を思い起こさせたのはクワガタ。しかも今度はオオクワガタのオス。なかなかお目にかかれないレア物だ。

他でもない、神楽ちゃんが捕獲してきた。ふふんと得意げに見せる彼女につくづく、すっかり馴染んだなあと思わされた。

今でも変わらないことといえば、ゴキブリは相変わらず対処できないということぐらいだ。

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