短編小説

□名無しの侍
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「お兄さん」

突然、頭上から声が降る。聞き覚えの無い声。しかし、周りに人はいない上に声は俺の真上からしたのだから、間違いなく俺に用があるのだろう。

「…どうかしやしたか」

顔を上げて、その人物を見ながら首を傾げる。俺の非番を邪魔するとはまた大層な怖いもの知らずな輩も居たものだ、などと心の中で毒づきながら。

「君、お侍さん?」

脈絡なく掛けたられた問いに真意をはかりかね、俺の返答も曖昧になる。

「江戸には侍なんざいくらでもいやすが…まあ、そうですかねィ」

「じゃあ、江戸にも詳しいんだよネ。案内してくれない?」

相手の後ろには太陽、さらになぜか傘をさしているため、眩しくて顔がよく見えない。

だが状況は飲み込めた。なるほど、目の前の人物はいい歳こいて…

「迷子さん、ですか。で、どこに行きたいんでさァ?」

非番と言えど、警察官である自分が助けを求めてきた人を突き放すのは宜しくない。

付き合ってやろう、と決めた俺は脇に置いた刀を手に取り立ち上がる。見上げた体勢から俺の目線は上昇し、謎の来訪者の目線とほぼピタリと一致した。

ようやくはっきり見えた相手の姿。どこかで見たような赤い髪、青い瞳。雨を避けるためだけに作られたとしてはかなり頑丈すぎる傘。黄色人種としての許容範囲の「白さ」の俺とは別次元の真っ白い肌。

(…夜兎。)

思わず口に出そうになり、何とか息を呑むことで堪えた。

絶滅寸前の戦闘種族、夜兎。この天人に俺も全く馴染みがないわけではない。ただし、俺の知るこの種族の者は「絶滅寸前」に思いっきり首を傾げたくなるような奴らばかりなのだが。

そして姿形は我々地球人と大差ないこの天人を一発で見抜けたのは、別に理由がある。その知り合いにあたる夜兎の少女の持つ特徴に、ことごとく当てはまるからだ。

(もしかしたら、親戚か何かなのかもしれねェな。)

彼女とは決して浅い付き合いではないが、お互い過去を詮索し合うような真似はしたことはない。

明らかに自分より年下の少女が、家族や母星から離れてこの街に住み着いているのも、何かしら事情を抱えているのだろう。だとすればそれを他人がとやかく言うのは野暮と言うものである。

だから、案外お互いが背後に抱えるものは知らない。彼女にとって己は気に食わない警察官にしかすぎないのだろうし、俺にしてもまた然り。

無知というのは一番怖い物で、ここで二人の関係をうっかり問い質したりしてしまえば取り返しのつかぬことにもなり得る。案内と言われても、どう付き合ったものか…

「どうしたの?」

ここにいない少女のことで頭を埋め尽くされていた俺は、目の前の青年の発した声で我に返った。

「ああ、いえ。それで結局、俺は何をすれば宜しいんですかィ?」

「江戸の街を見たいんだどさ、俺は余所者だからここの地理に疎くって。暇だったらでいいんだけど、今日一日案内してくれないかな」

困ったような笑みを浮かべる相手の言葉に、どうも偽りはないようだ。何をどう迷ってここに行き着いたのかはわからないが、実際迷って参っているらしい。

「お安い御用でさァ。えーっと…飯、食いやしたか」

今までぼんやりと過ごしていた咲きかけの桜の下を離れながら、少し後ろを追う相手に問う。敢えて名前は聞かない。これがガキならともかく、そこそこ大人の、しかも天人では厄介事になりかねない。その辺の「大人の事情」というのは真選組一番隊隊長という立場上、重々承知している。

「ううん。そんなの探すような余裕もなかったんだよ。お腹空いたー…」

「じゃ、まず昼飯から行きやしょう」

「本当!?」

他愛ない会話。そんな事情云々はさておき、この青年と一日共にしてみるのも悪くないかもしれない。

――にしても。侍なのか、という問いに俺が曖昧ながらも肯定した瞬間。咄嗟に手が刀に伸びた。恐らく殺気に応じてしまったのだろう。

お腹ペコペコだヨー、と邪気の欠片もない表情でぼやく相手からそんな感じは一切ない。

俺の気のせいなのか、それとも。一体こいつは内に何を抱えている…?

「…考えるだけ無駄、ってやつですかィ」

迷いを振り切るように呟いた俺の声に応じる、腹ペコな迷子さん。

「さっきから何難しい顔してるの?早くご飯食べさせてヨ」

「我が儘言うなってんでィ。ここにこのまま放置するぜ」

前半の質問は流し、軽口で返す。本当に考えるだけ無駄のようだ。

「それは困るなぁ」

「じゃあ、しばらく黙ってろ」

何がいいだろう。江戸らしいものがいいのだろうか。

このとき、俺の心が少しばかりワクワクしていたことに俺自身気づくことはなかった。
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