退屈。

□01
1ページ/1ページ



停学後初登校したカルマが殺せんせーにダメージを負わせたあと、キョロキョロとあたりを見回し、軽く首を傾けて渚を振り返った。


「あれー。渚くん、全理知らない?」
「全理…ってもしかして浅野全理君のこと?彼がここにいるわけ…」
「あれ、知らないの?」
『カルマ』


どこからともなく現れた細身の男。カルマよりも華奢な彼は、ひやっとするほどの無表情だった。


「俺より先に来てたんじゃないの」
『いや…サボってた』
「にゅ…新学期からずっとお休みだった浅野全理君ですか」
『ああ…ハジメマシテ、殺せんせーとE組さん。これからよろしくどーぞ』


にこりとも笑わずに挨拶した全理はカルマに向き直した。


『作戦成功?』
「案外チョロかったね」
『ふーん…なんだ、つまらない。折角切り札として使ってまで移籍したのに』


全理の"移籍"という言葉に生徒達がざわめく。
彼もこれからE組の仲間だと言うのだ。


『帰る』
「早っ!」
『カルマが簡単に殺せるやつなんて、見ててもつまらない』


そういうと殺せんせーを一瞥し、静かに去っていった。
それまで状況を飲み込めずにいた生徒達は、深く息を吐き出した。


「…学年トップの完全無欠が、なんでE組に移籍したんだ…?」


誰かが呆然と呟いた。
浅野全理という男は欠点がない。
進学校である椚ヶ丘で1年生から首席であり続け、武道にも秀でた天才。
そんな彼は生徒達から敬意と畏怖の念をもって、"完全無欠"と呼ばれていた。

その後、小テスト中に殺せんせーの一歩上をいったカルマは教室を出たあとケータイを取り出して全理にかけた。


《カルマ、あの教師は殺せたのか?》
「楽しみはとっておこうかと思ってさ。まずは心から殺していくよ」
《ふーん…》
「興味ない?」
《明日1日は様子を見る。それでダメだなら、拍子抜け》


お前も油断はするなよ、と切られたケータイを片手に駅前にいた渚に近寄った。



:::::



『あのタコ、わざわざ買ったのか…』
「くだらねー事思いついたんだよ」


教卓の上にナイフで串刺しにされた生のタコが置いてあった。
残酷なその所業に、クラスの空気は重い。
そしてもう一つ、浅野全理が自然にカルマと話していることが、何より不自然だった。

分厚めの本を開いている姿は、まるで一枚の絵画のようだ。
A組にいるころから、浅野全理は学校中の生徒の憧れの対象だ。恋心を抱く女子も少なくはないが、何しろその完璧さから遠巻きに見るだけに留まる。
ましてやエンドのE組とまで言われるクラスの女子が近づくことなど出来ることもなく。
カルマと話していてもニコリとも笑わないが、その顔の造形に女子はおろか男たちも頬を赤くそめていた。

しかし、殺せんせーが近づいてくる音が聞こえると、生徒達はサッと顔を青くさせた。
教室の古い引戸を開けて入ってきた殺せんせーは、教卓を見て口を閉じた。
カルマの言葉に応じてタコを持って近づいてくる殺せんせーを、全理は本の影から観察していた。
すると、触手の先がいきなりドリルへと変わり、一瞬で大きなミサイルを手にしていた。


「先生は、暗殺者を決して無事では帰さない」


目が妖しく光ったと思えば、カルマの口にはたこ焼きが詰め込まれていた。
何故か全理の机にもあった。


「二人ともその顔色では朝食を食べていないでしょう。これを食べれば健康優良児に近づけますね」
『………普通に食える』
「(食べるんだッ!!!!)」


何も言わずにたこ焼きに手を伸ばして口に運んだ全理に渚は言葉もなくツッコミを入れた。
たこ焼きを咀嚼する全理は、相対しているカルマと殺せんせーを一瞥し、小さく息を吐いた。


『(これはムリだな)』


暗殺対象が警戒してしまった。
かたや人間、かたや超生物。スペックも桁違いである相手を殺すには、一瞬の隙をつくのがセオリーだ。
対してカルマは初日に思い通りに作戦が成功してしまったことによって、相手をナメてかかった。
それさえなければ、彼はもっと上手く殺れるはずなのに。


『もったいない…』


誰にも聞こえない声量で呟いた全理は、発泡しようとしてネイルケアされてしまったカルマを一瞥した。


「にゅやッ!浅野君!授業中ですよ!本はしまってください」
『…暇になる』
「では、この問題を解けたら自習を許可しましょうか」


チョークで一瞬のうちに問題を書いた殺せんせーの言葉に顔をあげると、それはミレニアム懸賞問題といわれる世界7大数学難題のうちの一つだった。


『ポアンカレ予想…』
「おや、流石ですねえ。知っていましたか。しかし解けるかと言われればどうでしょうねえ」


ニヤニヤと緑のしましま模様になった殺せんせーに、大人気ないと心の中で生徒たちは呟く。
さすがの"完全無欠"でも、これは無理ゲーだろうと渚が肩ごしに振り向こうとするその横を、ふわりと通り過ぎた。


『ミレニアム問題のうちのポアンカレ予想は2003年にロシアの数学者によって既に解決済み……こんな問題を出すなんて…俺をナメてるとしか思えないな、殺せんせー』


カラン、とチョークを置く全理の前の黒板には頭が痛くなるような数式がズラリと並んでいた。
殺せんせーまでもが唖然とする中、パン!と銃声が鳴った。


「…っ!」
『残念、チャンスだと思ったんだが』


それは全理の右手に持たれた銃から発泡されたものだった。
瞬時に避けたものの、あと一瞬遅ければ殺られていただろう。
銃を取り出す音も気配もなかった。
クルン、と回してポケットに直しながら席へと戻る全理に、クラス中の視線が突き刺さるが、気にした様子はなかった。


「全理、余計なことしないでくれる?今日はオレの番だから」
『わかった』


そう言って、全理はもぎ取った自習権でその日1日は本を読んで過ごしていた。
カルマの言う通り、暗殺には一切手を出すことはなかった。
手を出さないだけで口を出すことは多々あったが。

例えば4時間目、家庭科。
鍋をひっくり返したカルマがナイフを向けると、可愛らしい三角巾にエプロンを装着されていた。
その姿をケータイの連写機能でばっちり収めていたのだ。


『珍しいものを見た』
「撮らないで、全理」


三角巾を握りしめるカルマをスルーした全理は結局授業には参加せず終いだった。


「あの…浅野君」
『全理でいい。その苗字はあまり好きじゃない』
「あ、えと…カルマ君に何も言わなくていいの?」


昼休み、教室で本を開いていた全理に渚が尋ねた。
本来なら話しかける機会などなかった彼に話しかけるという状況に、渚の心臓は早鐘を打っていた。
追い討ちをかけるように全理の瞳が渚を射抜く。
肌も白く、目も大きい。一見、女の子のような顔に見つめられ、渚はくらりと目眩がしそうになった。


『何故?』
「え?」
『何故、俺がカルマに言う必要がある?』
「え、と、友達なんでしょ?」
『友達…いや、悪友のほうがしっくりくる。カルマがいると楽しいのは確かだが…既に手を出すなと言われている。
俺に言われて行動を変えるなら、俺はあいつと悪友になどなってはいない』


本を閉じた全理が立ち上がるのと同時に、渚に向けて告げた。


『俺の代わりに君が言えば済むことだ。
それでもあいつが自暴自棄になるようことがあれば、それはあのタコの教師が何とかするだろう』


やけに詳しい口調で告げる全理に渚は首を傾げた。
しかし疑問を口にする前に、彼はどこかへ行ってしまったために、その疑問は音にすることはなかった。


その後、全理の言葉通りにカルマ君は崖から飛び降り、殺せんせーに助けられ、綺麗に手入れされてしまった。


そのことを彼は知らないはずなのに、雰囲気の変わったカルマ君に何も言うことはなかった。




- to next story -

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ