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「……くれの…置いて、いかないで…」

弱々しく服の裾を握る小さな子供。
愛しい愛しい、僕らの神様。
血の呪縛。それは抗おうにも抗えないほどの強い呪い。この手を振り払えないのは、そのせいか。

否。

呪いが解けた今、この手を振り払わないのは僕の意思。一番呪いに囚われているのは僕らではなくきっと彼女だ。
小さな手を握り返すと、涙で溢れる瞳を細めて嬉しそうに笑った。







「くれの……くれの、どこ……?」

いつもは呼べば来てくれる紅野が、今日はどこにもいなかった。
今日ははとりも外来でいない。紫呉もはとりがいないと来ない。
しんとした部屋に恐ろしさが湧いてくる。
この部屋に外の音は聞こえない。
誰もいない、誰も返事をしてくれない。まるで、世界に一人だけ残されたかのよう、なんてメルヘンなことを考える。

昔は、由紀が側にいてくれて、紫呉も優しくて、一人でいることのほうが少なかった。
じわりと滲んでくる涙をぐっと耐える。
由紀を外に出したことに後悔はない。
あのままだと彼はアキトに壊されてしまう。体の弱い彼ではあのまま散ってしまうだろう。

そういえば、アキトはいつからいたんだっけ。

「慊人さんっ!誰か!はとりさんを早く呼んで!」

嗚呼、やめて、やめて。
せっかくはとりが外で羽を伸ばせているのに。
こんな鳥籠なんかに呼び戻さないで。

どんどん熱くなる身体がふわりと浮いた。

「…?だ、れ…」

霞む目で焦点を合わせようとするも、すぐに大きな手で目を覆われた。

「お休みなさい、慊人」

嗚呼、この声。私の一番大好きな声。
優しかったこの声が私の名前を呼ぶのが一番好きだった。
今はもう呼んでくれないあの人の声。

「……し、ぐれ…」

懐かしさと嬉しさで、涙が頬を伝った。





はとりに会いに来てみれば、彼は外来で留守だった。とんだ無駄足だと辟易して彼女の所へ足を伸ばすかどうかを思案しつつも、足は無意識に彼女の部屋がある方向に向かっていた。

草摩家には2つのタブーがある。
1つは、当主が女であること。
もう1つは、当主の中に2つの人格があること。

雪のように静かな性格の表の人格である慊人と、苛烈で人を人と思わない裏の性格のアキト。

ある日を境にアキトが表れ、静かな性格の慊人である時間は徐々に短くなっている。
母親から受けられなかった愛情を埋めるように、ぼくらの後ろをひよこみたいについて回ってきたり、静かに横にいた彼女は遠い記憶の彼方。

今でははとりや紅野ばかりを頼る彼女に、黒い感情が溢れそうになる。

「慊人さんっ!」

聞こえてきたのは焦ったような悲鳴に近い声。
下女たちがバタバタと慌ただしくなった。
覗いてみると、胸元を押さえて倒れている彼女。息遣いも荒々しい。
はとりを呼ぼうとする側仕えたちに、彼女は朦朧としている意識のなか、必死に止めている。

今の彼女は表の慊人だ。

そう思うと、無性に懐かしい気持ちになった。
彼女ははとりや紅野が自分のそばを離れられないことに憂いを感じている。たまの休みくらい、ゆっくりしてほしいのだろう。
荒い息遣いで、やめて、と消えそうな声を出していた。
具合が悪いなら、自分を優先すればいいのに、と思いつつ、他者を思いやる"慊人"に安心した。
下女たちの間を通って熱で熱くなった軽い身体を抱き上げ、布団へ運ぶ。
朦朧とした頭ではこのことは覚えてはいないだろう。

「お休みなさい、慊人」

取って付けたような敬称は、今の彼女には不要だろう。
呼ばなくなった名前と声色に、彼女が微笑んだような気がした。



優しい貴方は夢の中。



2017.11.01

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