B-girl

□15)病院
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 無機質な病院の自動ドアをくぐり抜けて外へ出ると、やけに日差しが眩しかった。
 あーもう、なんでこれぐらいで見えなくなるかな。
 この忌々しい左目は。
 動けやしない、と近くの植え込み端に座り込む。
 このままじゃ家に帰れないじゃない。
 両親にもまた心配をかけてしまう。

 本当なら、両親ともが私の通院に付き添いたがってる。
 ただ、私が嫌がるって知ってるから来ないだけ。
 これで見えなくて帰るまでに掠り傷一つ負おうものなら、今後は一人で歩かせてもくれなくなる。
 それが私は嫌だった。
 本人達に自覚はないけれど、あれでもプロのバスケプレイヤーなのだ。
 その娘が通院していて、しかも目が見えなくなって、バスケもできないなんて世間に知られたら、それこそ同情の的だ。
 そんなことになったら、もう。

「…杏ちゃんにでも電話しようかな」

 持たされている携帯電話を取り出して眺める。
 杏ちゃんというのは通院していて知り合った他校の女の子で、快活で可愛いという言葉がとてもよく似合う。
 まるで昔の私みたいだって、他の人はいうかもしれない。
 明るくて、強くて、優しい杏ちゃん。

 ああ、でも確か彼女の学校とかも大変なんだっけ。
 去年はいろいろあったんだよね、彼女の学校とかでも。
 いや、彼女のお兄さんの周辺が、か。
 先輩だか先生だか殴って停学なったとか聞いたし。
 詳細は知らないけれど、あの杏ちゃんのお兄さんがキレるような事態が起きたのだろう。

「なにしてるんだ、麻生?」
「…噂をすれば…」

 噂?と鸚鵡返しする声で方向はわかるからワザと顔を背けて、私も可愛くない。

「休憩です」

 声だけで分かる。
 杏ちゃんのお兄さんだ。
 この人も私が見えないときに限って現れたりするんだよね。
 それで、少し声が好きだったりする。
 なんだか安心するんだもの。
 低音で響く音がふわふわ包み込んで、頼って良いんだよって言ってくれているみたいで。
 お兄さんがいたら、きっとこんな感じなんだろうな。
 羨ましいよ、杏ちゃん。

 彼は苦笑して、そのまま隣に座った。
 前の時と同じように。
 違うのは、私がそっぽを向いているコトぐらい。

 この人、橘桔平と初めて会った時の私はボロボロで、今日みたいな快晴で初めて左側が真っ白に見えなくなった時だった。
 やっぱり私はこの植え込みに座り込むしか無くて、自分が情けなくて、両親に申し訳なくて、今まで自分を慕ってきてくれた仲間に申し訳なくて、みっともなく涙を流していた。
 これでもかってぐらい涙は溢れるのに、嗚咽とかそんなんは全然出てこなくて、泣いている自分を他人事みたいに見ている自分がいるみたいだった。

 これからどうするのかとか、これまで一緒にやってきた仲間になんて言って詫びれるのかとか、泣き腫らした顔で帰ったら余計にお父さんとお母さんに心配かけちゃうなとか。
 あーこんな状況に私酔ってるのかもしれないなーとか思ったら、笑えてきた。

「ねえ、何かあったの?」

 絶妙のタイミングだったよ、あの時。

「あーちょっとねー」

 たぶん私は泣き笑いみたいな顔だった。
 それから、杏ちゃんは何故か苦しそうな顔をして、私をぎゅって抱きしめた。

「泣きたいときは思いっきり泣かないと駄目だよ。
 溜めこんだら、後で辛くなるから」

 背中を優しく叩いて、優しい言葉をかけてくれるから。
 ここが病院の前だとかいうのも忘れて泣いちゃったんだよね。
 あれは、恥ずかしかった。
 言わないでって言っておいたけど、大丈夫だよねぇ。

 横目でちらりと橘兄を見ると、こちらを見て微笑んでいる。
 笑顔の大安売りだ。
 なんでこんなに機嫌良いんだか。

「橘さん」
「なんだ?」
「…杏ちゃんは元気ですか?」

 毎日メールとかしてるし、知ってるけど。
 私のコト以外で共通の話題って言ったら、彼女ぐらいしかない。

「ああ、元気だ」

 杏ちゃんの話題でってだけじゃない。
 今日は随分と機嫌が良い。

「そろそろ見えるか?」
「え?」

 意識して、二、三回瞬きする。
 うん、もう大丈夫。
 よく見える。

「はい、もう大丈夫です」

 普通の視界に戻った瞬間はいつでも嬉しくて、たぶん私はその嬉しい笑顔のまま振り返ったんだと思う。
 彼は吃驚した後で、相好を崩して、くしゃりと笑った。
 ああ、なんか太陽みたい。

 目を細めた私に、彼が首を傾げる。

「いえ、橘さんって、杏ちゃんもだけど太陽みたいですね」

 目が見えたぐらい浮かれて、ああもう馬鹿だなって思える言葉が出てくる。
 でもさ、本当にこの見えるってことが大切で、今見えるコト全部が大切で愛しくて仕方がない。

 世界が愛しくて仕方ないこの時だけは、馬鹿でもいいやって思うんだ。



 ねぇ神様。
 私からゆっくりと世界を奪っていくのは何のため?

 私は憶えているためだと思っているから、だから精一杯今を愛したいって思うから。

 だから、バスケに関する全てを捨てて逃げる私を許してください。
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