B-girl

□01)再会の悪戯
2ページ/2ページ

* * *

(リョーマ視点)



 フェンスの音はすぐ近くで聞えて、しかも二度目の音は間違えようもなく俺に向けられていて。

「元気だったかよ、リョーマ!」

 キャップを目深に被ったその人物は英語で話しかけた後、つばをほんのすこし上げて、実に楽しそうに言った。
 わずかに覗く目許も玩具を見つけた子供みたいで、見覚えはある。

「誰、あんた」

 言ってから珍しくイヤな気分になった。
 胸に広がる罪悪感。
 そのぐらい、彼女は淋しそうな瞳をしていた。

 しかし、敵はすぐに復活。

「テニスはたのしーか?」
「…別に」

 なんだかおぼえのあるやりとりで。
 反面、違和感もある。

ーー誰だ、こいつ。

「かっわいくねー!
 かわいくないぞ、リョーマ!」

 男が可愛いって言われて喜ぶわけないじゃん。
 悔しそうにいいながら、でも楽しそうな。
 誰かを彷彿とさせる妙な感じ。
 それが、ふっと急に静かになった。

「その調子じゃ、まだ父親に勝ててないんだな」
「だから誰だよ。
 あんた」

 くっそ、やなこと思い出させやがって。
 あんな親父なんかすぐ追い越してやる。

「かっわいくないなー、マジで。
 昔は私の後を付いてきて、ヒヨコみたいに可愛かったのに。
 あー、あの頃のリョーマがまた見たいっ」

 誰だよそれ。
 俺は誰かのあとについてったコトなんて記憶に無いね。

 知ってる奴のような気はするけど…別にいいか。
 ほっとこ。

 向きを変えて、家路を急ぐ。
 今日試合に間に合わなかった分は、あんな遊び程度じゃ収まらない。
 あれなら家で親父の相手してる方がよっぽどマシだ。

 俺が歩き出したことに気が付いて、追いかけてくる足音がする。
 少しクセのある走り方は、知っているような知らないような。

「っまてよ!
 待てっつーの、馬鹿リョーマ!」

 フェンスが途切れるところで掛けられた彼女の言葉で、完全に思い出した。
 どうして忘れていたのか自分でも不思議なぐらいだ。

 振りかえるともう追いついてくる。
 本能が避けろと言って、体が勝手に右にずれた。
 すぐ脇を何かが飛んでゆく。
 掛け寄ってくる人物は小さく舌打をしている。

「まだま…っ」

 後頭部に鈍い衝撃が当って、目の前に火花が散る。
 そうだ、この人はこういう人だ。

「甘いね、リョーマ」

 すぐ上から聞こえる声に顔を上げると、勝ち誇る口元がある。
 なんでどうして俺、忘れてたんだろう。

「まさか、晴樹?」

 見開いた瞳を細く緩め、満足そうに笑う。
 それも懐かしい笑顔だ。
 でも、まさかこんなところで会うなんて信じられない。

「本当に、晴樹?」
「疑うなよ」

 さっきからの行動を思い返せば、晴樹ならやるだろうなとは思うけど、でも思い出せなかった違和感は何だ。

「こっちは一目でわかったってのに、おまえ薄情すぎ。
 淡白すぎ。
 生意気すぎ」

 呆然としている俺の両頬を掴んで、引っ張り上げて立たせるなんて、たしかに晴樹しかいないけど。

 立たせてから俺のテニスバッグを拾い上げる。
 身長は元々高かったけど、さらに伸びている。
 目線の高さでは口元しか見えない。
 懐かしい、人。
 もう二度と会わないと思っていた。

「思い出すのも遅すぎ」

 帽子の上から軽く頭を叩かれて、目を伏せる。
 別のことも一緒に思い出しちゃったじゃん。

 二年前までたしかに尊敬していたバスケの先輩で、ずっと好きだった先輩でもある。
 絶対忘れられていると思ったのに、綺麗になりすぎ。
 そっちのが反則だよ。

 自分のボールを足で蹴って、木に当てて上がった所を手に取って、歩き出す背中を追いかける。
 こうやって、追いかけていた時期もあった。
 彼女の言うとおり。
 近所に住むバスケ好きの晴樹はいろんな意味で有名だった。
 彼女の家は両親ともがプレーヤーだったし、その才能を受け継いで、この上なく楽しそうにバスケしていた姿に惹かれた人間は多い。
 世界の全てがバスケだった彼女に釣られて、やってた連中も少なくない。

「帰ってきてたんなら、連絡寄越せよ。
 リョーマ」
「そっちだって手紙も寄越さなかったじゃん」

 だから、忘れられてると思ったんだよ。

 バスケ止めて、結局母さんについてアメリカに行くことになった日。
 この人だけには言わなかった。
 言えなかった。
 だって、バスケやめたなんて言ったら、晴樹は俺を絶対見なくなると思ったから。
 それが、それだけが怖かった。

 今だって、怖い。

 でもそんなことは関係ないみたいに今は話しかけてくれる。
 恥ずかしい反面、やはり嬉しい。

「親父さん、家にいる?」
「暇だからね、あの人」
「ふふふ。
 じゃ、相手してもらおう」

 この人には妙なクセがある。
 勝つなら相手の土俵で勝ってやるという、とんでもない負けず嫌い。
 ま、それは俺もだけど。

「その前に俺とやってよ」
「やだ」
「なんで」

 即答されて、むっとした。
 なんでだよ。
 親父とやりたくても、俺とはやりたくないわけ。

「ジュニア大会4連続優勝の天才少年は、負けず嫌いだからね〜」

 見上げても何を考えているのか読み取れるような人物じゃない。
 でも、光差す横顔はとても綺麗だ。
 風に真っ直ぐな髪が靡き、白い項がのぞく。
 やっぱり格段に大人に変化しつつある。
 くやしいぐらいに。

「だから何?」
「んで、私も負けず嫌いだから勝負つかないでしょ」

 その点親父なら負けても諦めがつくかと言われればそうでもないだろう。

「それにリョーマの親父さんとは決着ついてないしね」
「俺との勝負もついてないじゃん」
「そいつはまた今度」
「バスケで」

 返事は返ってこない。
 その視線の先は淋しそうに遠くを見ている。

「…いや、テニスで」

 声も淋しさを響かせて、晴樹は泣くかと思った。

 俺がせめて同じくらいの背なら、抱きしめてやれるのに。
 日本に帰ってきて、初めて自分の身長が憎くなった。
 なんで俺、まだこんなに小さいんだろう。
 相手がなめてかかってくれて都合のいいことのが多いけど、晴樹を抱きしめてあげらんないのだけが悔しい。

「ん?
 リョーマ?」

 滑り込ませた手は柔らかくて、でも撥ね退けられることなく、躊躇されることもなく握り返される。
 温かくて、柔らかくて、少し恥ずかしい。

「…まだまだだね」

 俺も。

 でもこれからだよ。
 まだ俺は晴樹の中じゃ生意気な弟だろうけど、その立場を最大限に利用してやる。

「ねえ、晴樹」

 階段を登りきっても息を全然乱さない晴樹の手を引いて、屈ませる。
 目線をあわせようとする、これは彼女のクセだ。

 笑っている晴樹の首に腕を回す。
 甘い花の香りがする。

「ただいま、晴樹」

 耳元で言うと、すぐに柔らかく抱き返される。
 壊れ物みたいに、優しく。

「おかえり、リョーマ」

 優しい声は体全体に響いて、本当に帰ってきたってことをやっと実感した。

 まだまだ弟扱いだけど、覚悟しててよね。
 晴樹。
 すぐに俺が男だって、気がつかせてやる。
 離れる前に口付けた頬は、とても柔らかくて、ドキドキした。
次の章へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ