09/15の日記

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近況報告(※注意書有り)
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皆さまお久し振りでございます。

当サイト管理人のカナコでございます。

今日も当サイトにお越しいただき、ありがとうございます。


長らく放置して申し訳ございません。


肝心の受験ですが………


8月末日に、取り敢えず学科試験が終わりました。

ただいま結果待ちです。


このあと面接など諸々ありまして、最終的な合否が出るのは10月か11月くらいですかね。

本格的な復活には及びませんが、これからぼちぼち更新を再開したいと思います。


未熟者ゆえ更新に波があるとは思いますが、何卒よろしくお願いします。






………さて

ここから先は、カナコの個人的な事を書きます。

BL全く関係ありません。本当に個人的な事です。

人によっては、もしかしたら気分を害されるかもしれません。

『管理人の自己満足』と言われるかもしれません。いえ、事実“自己満足”です。

管理人の特権と言いますか職権濫用と言いますか『私のサイトなんだから私の好きにしていいでしょ!!』的な、運営者として最悪な開き直りの態度で書きます。本当に申し訳ございません。

でわ





















8月末日、私の母方の祖父が亡くなりました。

今年の2月末に倒れて、それから約半年の闘病生活でした。

前々から何だかんだと入院したり手術したりしていましたが、まさか本当に亡くなるなんて。



孫の私が言うのも変ですが、祖父は本当に凄い人です。

電気関係の難しい免許をいくつも持っていて、60歳を過ぎて定年退職した後も色んな会社から『再就職しませんか?』と引っ張りだこでした。

祖父は愛知県発祥の某有名自動車会社の親(?)会社に勤めていました。ト◯タって、創業当初から自動車製造してたワケじゃないんですよ(←どうでもいい豆知識)?

祖母と叔父(母の弟)が言っていましたが、バブルの時代とかは本当に寝る間もないくらい働いていたそうです。

若い時から馬車馬のように働いていて、定年退職した後も働いて……………



そりゃ、身体も疲れてしまいますよね。



祖父は新幹線マニアで、昔はよく私の弟(隠れ鉄道マニア)と近くの新幹線が見える河原まで遊びに行っていました。

イトコは2人共男の子だったので(叔父家族と祖父母は敷地内同居)、いつも祖父と弟とイトコの4人で遊んでいました。

女は私1人だけだったので寂しかったし、構ってくれない祖父をちょっぴり恨んでいた時期もありました。

《一姫二太郎》どころじゃありませんよ、太郎だらけですからね。ちなみにハトコ連中も何故か男だらけ(笑)



だけど弟とイトコも成長すると、おじいちゃんと外で野球や鉄道観察するよりも、子供だけでテレビゲームとかしたいお年頃になっていったんですよ。


そうしたら、一姫のカナコ様登場(笑)

祖父ご自慢の黒いカ◯ーラに乗って、色んなところにデートに出掛けました。

よく叔父に『じいちゃんの相手大変だね』と言われましたが、カナコは基本じじばばっ子なので全然余裕でした☆




祖父が倒れてから、毎週末祖父の病院に通いました。祖父母の家まで片道1時間ちょっとでしたから。



最初入院した病院はレストランとか待合室とか売店とかがちゃんと整備されていたので、朝から夜までずっと居れました。

土曜の朝に家を出て病院に行って、夜は祖父母の家に泊まって、日曜もまた朝から病院行って、夜に帰宅。月曜から学校………みたいな。

トップの更新停滞宣言文も、実はこの時祖父のベッドの横で書いてました。



4月に入ると、病院を転院しました。祖父の病状が悪化して、その病院ではもう入院できなくなったのです。

移った病院は、“治療”よりも“介護”に重点を置いた病院でした。

そこは前の病院のように見舞い客の待合室みたいなモノがなかったので、1日中居続けるのは無理でした。

幸い祖父母の家から車で10分の距離だったので、お昼ご飯と夜ご飯の時間だけ祖父のもとへ通いました。


別に行かなくても病院の看護師さんがお世話してくれたのですが、『家で面倒を看れないから、せめて』と祖母が毎日ご飯を食べさせる為だけに通いました。

私はやっぱり、週末だけ通ってました。


朝10時くらいの電車に乗って、11時半くらいに病院に行って、祖父にご飯を食べさせて、13時に祖父母の家に帰って、また17時には病院に向かって………………



春になってから、ほぼ毎週末そんな生活でした。

週末とかGWとか夏休みとか、クラスの友達から《受験勉強息抜きカラオケ》とか《教室で勉強会&お菓子パーティー(カナコの学校は休日は基本的に開放されてます)》等に誘われてましたが、ほぼ全部断ってました。


休日の受験勉強は、ほぼ祖父母の家でしていたと言っても過言ではありません。

祖父母の家には祖父の1人部屋があって、カナコはいつもそこで寝泊まりしてました。

高齢のじいさんのクセに意外にも敷き布団じゃなくてベッドだし、パソコンだのオーディオだのハイテク機器が7畳半の部屋に所狭しと置いてあるような部屋でした。

新しいモノ好きで派手好きのハイカラなじいさんでした(笑)


KのS者様のかおすやHかぺ様のチャット会も、実はほとんど祖父のパソコンから参加してました。

4月に入ってからの小説更新等も、ほぼ祖父のパソコンからです。

いやぁ〜……、やっぱりキーボードはいいですね。

1度Myケータイ(notスマホ)でチャット会参加したのですが…………、ハイスピードで流れてゆく萌えについていけず2分でフェードアウトしました←ヘタレ

キーボードだと時代の流れに乗れる(笑)


ただ辛いのが、祖父のパソコンの予測変換が腐ワードに…………

ex)

あ→『ぁ……や、ァん』
り→『律っちゃん』
と→『トリチア』
む→『夢M姉さま』←(一部伏せ字)
ま→『丸川書店』
み→『美濃優』
う→『受け』
か→『×(かける)』



etc.



………“あ”とか、最低ッスね。

おじいちゃん………、ごめん。








7月26日。祖父が家に帰って来ました。

病気が完治することは100%ないと、春の時点でお医者様から宣告されていました。

もっても、秋までだと………。


お医者様の許可も出て、入院から在宅介護に切り替えました。

もうほとんど喋れなくて、何も食べれなくて………………。


私にできる事といえば、薬の副作用で出てくる痰(たん)を取ること。

一緒に甲子園とオリンピックを観ること。

嘔吐の時に、背中を擦ること。

腕や脚を擦ってあげること。


でも、たったこれだけの事も、休日しかできませんでした。

私は受験の補習、弟は部活、イトコたちもそれぞれ部活や野球。



母や祖母や叔母………大人は、他にもたくさんしてあげられる事がありました。

ただ私……私たち孫は、子供でした。

点滴も換えれないし、訪問の看護師さんと対等に話もできないし。


たまに祖父と同じ部屋で寝ることがありましたが、母は夜中もずっと起きて祖父を看てました。


私は、睡魔に勝てず朝まで寝てました。



カナコの母は、仕事を休んで8月はほとんど祖父母の家に居ました。

その代わり、家のことは私がやってました。

父方の祖父母がめっちゃ近く(徒歩20秒w)に住んでいるので何かと助けてもらいました。

が、ウチの男はマジで動きません。


父よ、せめて自分のパンツは自分で畳んでくれ。私は腐ってはいるが、(一応)イマドキJKだ。

弟よ、お前の部活の予定なぞ私は知らん。寝坊して遅刻しそうになっても私に逆ギレするな。

《カナコは受験生☆》的な気遣いはこの2人には0でした。

掃除洗濯食事に皿洗い、弟のお弁当(爆弾おにぎり×2w)……カナコの担当でした。

………母の偉大さを痛感する日々でした。








カナコの学科試験が8月の最終週でした。



テストが終わった次の日に、祖父母の家に行き一泊しました。

次の日の朝、弟が来ました。

その日の午前中、祖父の再入院が決まりました。

祖父はすぐにベッドごと、病院へ行ってしまいました。

大人達は隠していましたが、私たち子供は何となくわかってました。

祖父が病院へ行って、叔父と祖母もすぐに病院に行って、母と叔母は色々と準備を始めて。


子供4人は家でお留守番でした。

最年長の私と最年少の小6のイトコは、大人達がいなくなった瞬間に、馬鹿みたいに泣き出しました。

真ん中2人は何かゲームやりだしましたが、多分強がってたんだと思います。


午後に病院に行って、お医者様から『1週間』と言われました。


その日は一旦、母も私も弟も祖父母の家ではなく自分の家に帰りました。



その次の日の朝、祖父は亡くなりました。


心の準備はしてはいましたが…………、やっぱりショックでした。

朝すぐに家を出て病院へ向かいましたが、あと10分、間に合いませんでした。


イトコたちは間に合って、言葉を掛けて、祖父からの返事は無かったけど微かに反応はあって…………それだけが心の救いです。




それに、祖父には感謝しています。

秋までとは言われていましたが、夏に入った時点で既にかなり弱っていて、8月の後半に入ると、もういつお迎えが来てもおかしくない状態でした。


でも祖父は、私の学科試験が終わるまで待っててくれました。

薬の副作用は辛いし、点滴からの栄養だけで食事は摂ってないから、ガリガリに痩せて骨と皮だけになってしまって………

祖父は最期まで弱音は吐かなかったし、本人は完治するつもりでいました。

が、やっぱり辛かっただろうと思います。

でも私の学科試験が終わってから3日も持ちこたえてくれました。

言葉は変だけど、嬉しかったです。





………ハイ、とゆーワケで(←どーゆーワケ?)。

支離滅裂ですみません。文章まとまってませんね(汗)

何せカナコ、身近な人の死に立ち会ったのが小4の時にひいおばあちゃんが亡くなって以来でしたので。

しかもまだ父方の祖父母と母方の祖母は元気ですから。


父方の祖父母なんて凄いんですよ。2人とも70過ぎの年寄りのクセに、『ちょっと車で出掛けてくる〜』が兵庫とか広島ですからね(笑)

“車でちょっと”の距離が九州・中国辺りとか……。ウチら家族の認識は“近所のスーパー”レベルなのに。

『帰り遅いなぁ〜』と思って電話すると『あ、いま鳥取砂丘〜♪』って返事来ますからね(゜ロ゜;


まぁ、そんなよく分かんないジジババは放っといて←

自分の中ではけっこう大きな出来事だったので、正直いまでも心の整理が完了し切れてなくて。

学校では平気なフリしてたけど、親友M子(激しいジャニヲタ)にバレまして。

『辛いのはわかるけど、落ち込み過ぎ。いい加減浮上しろ!!』と笑い半分で説教喰らいました(笑)

でもM子の言う通り、いつまでも落ち込んでちゃダメだなぁ〜……、と。

自分の心を整理する意味で、今回このような形で心境暴露(?)させて頂きました。

完全な自己満足です、ごめんなさい。


このような事情がありまして、隆史に高まり切れず(←親愛なるうKぎ姉さまの日記タイトルからパクりましたゴメンナサイ)、雪誕もイマイチ盛り上がれませんでした。

あ、でもちゃんと桐横2巻買いました。

……横澤ママにはひたすら平伏です、ハイ。

子育てから解放されたからって、そんな桐嶋さんの……ぅ、上……//!!

まさか桐横であのスタイルが見れるなんて………!!

この流れで同じくガチムチ系の井坂専務様にも是非……!!←変態




でも皆さま、どうかこれだけは言わせて下さい。

家族を大切にしてください。

どんな家族にもそれぞれ事情があって、そう単純なことではないかもしれません。まだカナコが子供だから簡単に言えるのかもしれません。

カナコは幸せだと思っています。

18才まで、祖父母4人に恵まれて。



皆さまどうか、本当にどうか、家族を大切にしてください。


でわ。

皆さまに愛を込めて。





☆コメント☆
[琳] 09-15 07:10 削除

お久しぶりです。

最後まで内容を読ませて頂きました!

私は今年の2月に伯母が亡くなったのですが、その時のお通夜は式に参加出来ずにずっと受け付けをしていたので、式が終った後に泣いたのを覚えています。 そしてそれに続くように友達二人のお母様が亡くなりました。 あの時、[家族ってとても大事なんだ]と思えました。


今すぐに立ち直る事は簡単な事では無いと思いますので、ゆっくりと回復して下さいね!

[涼] 09-15 21:44 削除

コメント失礼させて頂きます

最後まで読ませて頂きました。
私の祖父は2年前、私の修学旅行中に
亡くなりました。
私は帰ってから知らされました。
お通夜もお葬式も出られませんでした。
正直、凄くショックでした。
ですが、こんな私でも立ち直れました。
だから、大丈夫です。
ゆっくりで良いんです。

小説、いつも楽しみにしています。
カナコ様が、必ず立ち直れると
信じています。

長文、失礼致しました。

[獣の奏者] 09-16 13:42 削除

まず、お悔やみ申し上げます。
ご冥福をお祈りします。

私は優しい二人の祖父を小2、中2のときになくしました。
二人とも本当に優しくて共に農業、畜産業で地域に一目置かれているような存在でいつも尊敬してました。
小2の時になくした一緒に住んでいたおじいちゃんは、白血病だったのでいくらか心の準備は出来ていましたが、それでも本当に哀しかったです。
でも、それ以上に母方のおじいちゃんの死は、実は今でも受け入れきれていない気がします。
本当に突然にいなくなってしまいました。
あと20日したら一緒に旅行に行こうと言ってた矢先でした。
成績や私が頑張ったら一番褒めてくれるのは、両親ではなくそのおじいちゃんでした。
今でも、最後に頭をぐしゃぐしゃっと撫でられた感触を覚えてます。
いつも寝る前はお酒を飲んでべろべろになっているのですが、居間で勉強している私の頭に手を置いて、「奏者ちゃん、頑張りなさい」て言ってました。
本当に今、祖父がいないことが信じられません。
この体験を基に私はサイトでみどりのめという話を書きましたが、下書きでノートに話を書いてるときに、涙が止まらなくなったこともありました。
今年の夏にも拍手文でその続編を書いたのですが、やっぱりおじいちゃんがいなくなったことがまだ信じられないという思いでいっぱいです。

近しい人の死はなかなか受け入れがたいことだと思います。
カナコさまもそうだとお見受けしました。
私も、二人の祖父の死を、未だに受け入れきれてません。
でも少しずつ、受け入れようと頑張っています。
なかなか受け入れられないことをあまり気に病まずに、少しずつ、少しずつ受け入れられればそれでいいと私は思っています。

何が言いたいのか、よく分からない文になってしまいました。長文失礼しました。

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