main

□ぼくは銀河に泳ぐ魚
1ページ/2ページ





※未来捏造です。シリアス(?)です。
苦手なお嬢様はご注意ください。











玄関ドアの覗き穴から見えた姿に、頭のてっぺんから爪先まで甘い痺れが一気に駆け抜けた。同時に、自分を構成する細胞の一つ一つが全て鉛になったかのような重苦しいものを感じた。会いたかった。見たくなかった。今までどこに居た?どうしてここに来た?

頭と心は矛盾だらけだ。





「………来ちゃった」

「………こんばんは」


扉を開けたその先には、夜の冷気で頬と鼻先を朱に染めたその人。頽廃的で妖艶な笑みは、幼く儚げな容姿にはアンバランス過ぎる。口ぶりは困っているようだけど、纏っているのは色気。また違う男の香り。


「………あがっていい?」


伺いを立てながら、木佐さんは俺に一歩近づき手を伸ばす。

「………どうぞ」

手が触れる直前で、俺は木佐さんのために道を開けた。宙を掬う木佐さんの右手。そのまま木佐さんは何も言わず、履いていたスニーカーを雑に脱ぎ捨てそのまま廊下を進んだ。

アトリエ。床も壁も冷たく無機質なコンクリート。俺の城。俺が戻った時には、木佐さんはその中央に置いた大きなソファーの上にうつ伏せで身を投げていた。



「あー………疲れたな」

「……どうしたんですか?」



クッションのせいでくぐもっている木佐さんの声を聞きながら、俺はキャンバスに向かって筆を取り、描きかけの絵を描く。


「いま付き合ってるカレシ…………………付き合って“た”カレシ?まぁ…どっちでもいーや。そいつが今日いきなりさ、マンション買おうとか言い出して。最初は冗談かと思ったら色んなモデルルームのパンフ取り出してきて。しかも既にご丁寧に付箋と赤ペンである程度の目星まで付けてんの。ローンの組み方とかもシュミレーションしててさ、それも35年で。あり得ないだろ。まだ付き合い始めて3週間なのにマンションを『借りよう』じゃなくて『買おう』だぜ?ずっと俺と一緒にいるつもりだったんだぜアイツ。馬ッ鹿じゃねーの?」


そうですね木佐さん。その男は馬鹿ですね。でも木佐さん、俺も馬鹿なんですよ。あの頃は俺も、ずっとあなたと一緒にいるつもりだったんですよ。

いつからこんな風になったんだっけ。少なくとも俺が大学を卒業してからだったと思う。最初は自分たちでも気づかないくらいの小さな綻びで。でも気づいた時には修復可能か否かギリギリのところまできていて。そもそも、綻びの原因は何だったかな?もう思い出せない。というよりも、心当たりがない。でも、いま冷静に振り返って思うことがひとつ。あの頃の俺はコドモ過ぎて、木佐さんはオトナ過ぎたんだと思う。

木佐さんは俺から離れていった。世に言う“少し距離を置こう”を試してみただけだ。別に俺が疲れて突き放したわけでも、木佐さんが疲れて逃げ出したわけではない。ただ単に、金のない駆け出しの画家である俺よりも、一定の収入とある程度の社会的地位がある木佐さんのほうが動きやすかったというだけの話だ。木佐さんは通勤が不便になる労を厭わずに俺の生活圏外に引っ越し、俺も俺で木佐さんをはじめとした丸川書店の全てに関わらないようにブックスまりもを辞め、その後も決して出版関連のバイトに就かないようにした。エメラルド関連の漫画も読むのをやめた。

俺の描いた絵と俺自身に、権威ある賞が与えられた。それを機に俺は、新進気鋭の若手画家として第一線に躍り出た。ただしその絵は、俺の大好きな“キラキラフワフワキューン”とは到底無縁で。俺の大好きなクリムト,フェルメール,サージェント,ハンマースホイ,ウォーターハウスが描くような明るく華やかなものでもなくて。ましてや、大好きな人への愛を込めて描いた絵でもない。木佐さんを想って描いた。けれど込めたのは愛ではなく、“孤独”,“絶望”,“不信”,“欲望”,そして“憎しみ”。本当に真っ黒でドロドロで。描きあげた後、涙と渇いた笑いが同時に出た。綺麗な俺の醜い部分は芸術として昇華し、認められ、俺を芸術家としての天上まで連れてきた。

多分それが決定打。木佐さんはその絵から全てを読み取った。画家としてある程度の地位を築き、あの小さなアパートから今のアトリエに移った直後に、木佐さんはここで、俺を好きだと言ったその唇で。

“さよなら”を刻んだ。












「…………木佐さん」

描きかけの絵を仕上げ、木佐さんの沈むソファーの端に腰を降ろした。そのまま木佐さんに覆い被さり、うつ伏せの木佐さんの項に唇を這わせ、背中をなぞり上げる。木佐さんの身体が僅かに跳ねた。それに少し気分が良くなって、シャツの裾から手を差し込み、直にその肌を撫でた。

終わりを迎えた後も、俺たちは何故かこうして戯れる。今日のようにムシャクシャした木佐さんからここに来ることもあるし、思うように作業が進まない俺から呼びつけることもある。そして意味もなく絡み合う。傍から見たら、元恋人同士がセフレになったようなモノなのだろう。だけど現実はそうじゃない。


「……それ以上はダメ」

木佐さんを裸に剥き、嬲り、1度果てさせて、欲望のまま自分のベルトに手をかけていた俺を木佐さんは制する。俺はその言葉に従い、そしてそのまま木佐さんを抱きしめた。



別れてから………この曖昧な関係を持ち始めてから、木佐さんは絶対に抱かせてくれなくなった。あの頃のように、無条件にその身体を俺に預けてくれなくなった。抱こうとすれば、拒絶反応。子供のように癇癪を起こして、この家に有るありとあらゆる物を投げて壊されたこともあった。年上らしい余裕を醸し出して、優しい声で諭されたこともあった。まるで聖処女のように、泣いて身を捩って抵抗されたこともあった。

木佐さんが求めるモノを、セックスと等価交換しようと持ち掛けたこともあったが、それも断られた。

無理矢理犯すこともできる。だけど、それはしない。きっと二度と戻ることのない、俺の愛しい人。いま俺の隣にいるのだって、幻と同じくらいにあやふやなことなのだ。『心が手に入らないなら身体だけ』と思ったこともあったけど、木佐さん本人が居てくれなきゃ意味がない。永遠は無理でも、 刹那は愛し合える。






「………木佐さん」

「………なに?」

「お風呂………入りませんか?久しぶりに、一緒に」

「………そう、しよっか」


木佐さんは俺の腕から抜け出し、床に落ちていた俺のシャツを羽織った。




「……綺麗だった」

「……え?」

「アトリエに置いてあった絵。綺麗だった。新作?」

「あ、はい。俺の絵をよく買ってくれるご婦人の依頼で」

「そのお金持ちの有閑マダムが今のお前の恋人?」

「違いますよ。ご婦人はもう80歳を超えてますし、第一まだ旦那さんも健在で今でも仲睦まじいですよ」

「そっか、ごめんごめん。まぁ、お前の実力があればパトロンなんかいなくても大丈夫だよな」


バスルームで木佐さんに服を脱がせてもらいながら、こんな自然に会話ができてしまう。でも、心の中では別のことを考える。




俺たちは何処まで行けばいいのか。

いつになったら木佐さんの匂いにもがかず冷静で居られるようになるんだろう。

次の終止符を打つのは俺なのかな、木佐さんなのかな。

その終止符をまた侵犯してしまうのは、俺?あなた?


あぁ、とにかく苦しい。息苦しい。

俺に相応しい安息の地で、呼吸がしたい。


END











あとがきという名の謝罪→


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ