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□Temptation of a lip
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吉野千秋、職業少女漫画家。


ほかほかの風呂上りの そんな俺は今、とんでもない衝動にかられている。




まだまだ修羅場には程遠い穏やかな時期。




担当である羽鳥芳雪ことトリとの打ち合わせも 滞りなく進み、気分がよくなった俺は、 トリを部屋に残して風呂へと向かった。


出てきたら、今日は仕事が終わりだという トリと一緒に飲むつもりで、 鼻歌交じりにシャワーを浴びて 出てきたところで、俺はとんでもないものを目にした。





ソファーに横たわる羽鳥。



いや、決して死んでるとかじゃなく、 ただ単に眠っているだけだと思う。


でも、トリがこんなふうにソファーで居眠りなんて 滅多にない、それこそ4年に1度あるかないかの オリンピックよりレアな光景なのだ。


ネクタイは少しだけ緩められて、 俺の目にいつもは隠されている喉元が映る。


いつも皺を刻んでいる眉間は穏やかに緩まり 真一文字の口元も少しだけ開いている。



(む、無防備すぎる…)




頭にタオルをかぶったまま、俺はついつい ソファーの上の担当、もとい恋人を凝視した。


いつも仏頂面で覆われているけど、整った顔立ち。

少しだけ聞こえる静かな寝息。

あまり見慣れないその寝顔は、 見つめているだけで鼓動がどくどくと速くなる。


(どうしよう…トリに…ちゅー、したい…かも。)



いつも隙のない恋人のこんな無防備な姿を見ていると どうしようもなく触れたくなってしまった。



どうしても仕事上の会話が多くなる俺たちは あまり恋人らしい空気に浸る時間がない。



毎日あったらそれはそれでいろいろもたない気がするけど それでもあまりにも少ないと、いわゆる欲求不満状態になる。



落ち着かなくて、気が付けばトリのことを考える。



優しすぎるその手や、抱きしめられたときの体温、 低く名前を呼んでくる声。



そしてキスをした時の…胸の痛み。


決して不愉快じゃないその痛みを いつのまにか自ら貪欲に欲しがっている自分がいた。



(ちょっとだけなら…起きないよな…)



自分の大胆な思いつきに驚きながらも、 求めだしたら止まらない。


そっと、そっと…その薄く開いた唇に自分の唇を近づける。

自分のものじゃない温かさが唇に伝わった瞬間、 急いで体を後ろに引っ込める。



「起きて、ないよな…?」


声を潜めて呟くけど、その言葉に反応はない。

そのことに安堵しながらも、少しだけ残念な思いが募る。


トリが目を覚まして、いつもみたいにキスしてくれたらいいのに。


つい、そんなことが頭をよぎった。



「ば、バカか俺は…トリだって疲れてるだろうし。」


ぶんぶんっと頭を横に振って 頭の中に浮かび上がる艶っぽいシーンをかき消そうとする。


それなのに、それらはどんどんと脳内に 浮かび上がり、身体が勝手に熱をあげていく。



触れるだけのキスじゃ物足りない。


もっと、深く長く…呼吸が奪われるような…

けれどそんなもの自分から仕掛ける度胸も技術もない。


なのに身体は、まるで別の生き物みたいに 再びソファーで眠るトリのそばへと近づいていく。



(もう1回…もう1回だけ…)


そろそろと近づいて、再度顔が急接近する。

1度目より2度目のほうがなぜか恥ずかしい。


(俺…どんだけトリの顔好きなんだろ。)


今までどんな女の子が好きだったのかも 忘れてしまうくらい、今は…この顔しか好きになれない。


羽鳥芳雪という存在だけに焦がれている。


今度はトリが起きないように、なんて配慮は出来なかった。

重ねてしまえばもう離れることができなかった。



「ん…」

トリの小さな声が聞こえた。

そしてその切れ長の目が見開かれる。


「よし、の…?」



唇を離せば、寝起きの擦れた声。

自分も何か言おうと思うけれど、 言葉を発したら心臓まで一緒に飛び出てしまいそうで 必死に俯くしかなかった。


しかし、俯いて床を見ていたはずの俺の視線は 一瞬の浮遊感の後、トリを見下ろしていた。


回らない頭で考えると、トリに抱き上げられてその体を跨ぐように座らされている。



「俺が寝てて寂しかったのか?」

「そ、そんなんじゃ…」


やっと出た声は情けないほど裏返った。


「お前からキスしてくるなんて、誘ってるとしか思えないんだが。」

「だからそんなんじゃ…っ!」


口先だけの否定を口にすれば、後頭部に大きな手の感触が触れて…


ゆっくり堕ちる様に、3度目のキス。



最初は触れるだけ。

恥ずかしさで固く結んだ唇を舌でなぞられれば
まるで魔法のように開いてしまう。


そして俺が望んでいたとおりのキスをくれる。


頭の中までぐちゃぐちゃに溶けてしまいそうな トリだけが知ってる、俺の好きなキス。



トリにしかできない…甘い誘惑。



***


「なんか心なしか腫れてる気がする。」

「気のせいだろ。」


すっかり満たされてしまった後、明日が早いからと、シャワーを浴びて帰り支度をするトリに不満をぶつける。


「いーや、腫れてるね。このまま治らなかったらどうしてくれるんだ!」


情事中、延々と繰り返されたキスによりさっきより赤く色づいてぽてっとしている自分の唇をつつきながらぶつくさ言うとトリがふっと笑う。


「お前が欲しがるから与えたまでだ。」

「お、俺は別に欲しがってなんか!」

「人の寝込みを襲ったヤツのいうセリフじゃないな。」

きゅっとネクタイをしめる姿に反論も忘れて一瞬見惚れてしまった。


「まぁ、でも…嬉しかったよ。千秋がキスしてくれたこと。」

「う、う、う、うっさい!」


自分がしてしまった暴挙に茹で上がっていると立ち上がったトリがこちらに向かって屈みこむ。


そして、俺と違ってまったく腫れた様子のない唇を俺のおでこに押し付けてきた。


「ありがとう。」

「れ、礼なんていってんじゃねぇ!」


あー、もう!死ぬほど恥ずかしい!


絶対これから先、いろんなところで引き合いに出されるに違いない。


「それじゃ帰るからな。明日の朝食と昼食は用意してる。  夜はまた作りに来るから。それまでにプロット進めておけよ。」

「うん…」


沸いていた頭が急に冷える。

トリが帰ってしまう瞬間は、いつだってちょっと寂しい。



「寂しい?」


「へ!?」


心の声が出てしまったのかと慌てて口を押えるとトリが嬉しそうに笑った。


「そんな顔してた。」

「そ、そんな顔って…」


自分でも感情が表情に出やすいとは思うけどそれ以上にトリが俺の気持ちに敏感すぎるんだ。



大事な時は鈍感のくせして。


「そんな顔されると帰れなくなる。」

「…じゃあ帰るなよ。」


困ったように笑うトリに、 もう今日は何を言っても恥ずかしさに変わりはないと 思い切って告げた。


「朝まで…ここにいろ。」

スーツの裾を掴んで、 振りほどかれたらおしまい程度のゆるい拘束をかける。

しかし、俺の手は振りほどかれることなく トリの手の中に包み込まれた。


「こまったヤツだな。」


その声が嬉しそうなのは…俺の気のせいかな。


そんなことを考えているうちに もう何度目かもわからない、けれど飽きることのない 甘いキスが降ってきた。



「ほんとに腫れが引かなくなっても知らないぞ。」

「うるせぇ。」



*END*



→はるあ様の御言葉&カナコの雄叫び


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