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□貴方は気づかない
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後ろ手にそっと扉を閉めて、ケータイの通話ボタンを押す。
「はい、もしもし」
《あ、薫君!?私だけど》
「あぁ、奥様。どうかなさいましたか?」
《あのねぇ、龍一郎と連絡が取れないのよ。》
「龍一郎様ですか?」
《そうなのよ。今ね、素敵なイタリアンレストランにいるんだけどね、一緒に来ていたお友達が急用で帰っちゃったのよ。》
電話の向こうの奥様は、小さな溜め息をつく。
《もうランチ2人分予約しちゃってるし、初めて来たお店だから1人で入るのは心細いし……………。だから龍一郎を誘おうと思ったんだけど、薫君知らない?あの子確か、今日は仕事お休みでしょう?》
「………龍一郎様でしたら、急ぎの用件ができたとかで先程会社に出社なさいました。」
《あら、そうなの?あの子も大変ねぇ。ランチどうしようかしら……………。》
「僭越ながら、うちの母が今日1日休暇を頂いていますので、今頃暇を持て余しているかと思います。奥様がよろしければ、母を誘ってやってください。」
《えっ、本当に?あなたのお母様なら大歓迎だわ!最近彼女と落ち着いてお喋りしてなかったから……………。》
「はい。母もきっと喜びます。」
私の提案に機嫌を良くした奥様は、そのまま電話を切った。
「…………電話、誰から?」
部屋に戻ると、龍一郎様がこちらを睨み付けながら不機嫌な声で聞いてくる。
「会社の同僚からですよ。単なる業務連絡でした。」
『会社』という単語を聞いて、龍一郎様の不機嫌は一気に加速する。
一瞬で表情が曇って、あからさまに私に背を向ける。
ここで『本当は奥様からですよ。』と言ったら、貴方は一体どんな反応を返してくれるだろう。
「…………会社、行くのかよ。」
龍一郎様がポツリと呟く。
これはきっと、貴方なりのサイン。
意地っ張りな貴方を好きになったのは私ですが、たまには素直に『行かないで』と言う貴方も見てみたいですよ。
そんな言葉は胸にしまって、龍一郎様の隣に座る。
「いいえ、行きませんよ。」
私はそう言って、龍一郎様の髪を梳く。
そうすれば…………、ほら。
「ほ………、本当に行かないのか?」
さっきまの不機嫌がまるで嘘みたいに、頬を赤く染めて私を見上げてくる。
まぁ…………、顔が赤い理由はそれだけではないけれど。
「行きませんよ、だって…………」
「…ン………。」
シーツの上で剥き出しになっている肩に口づけを落とせば、龍一郎様の口からは艶かしい声が溢れる。
それは、奥様からの電話によって中断された蜜事を再開する合図。
まったく…………………
休日とはいえ、真昼から30を過ぎた男が何をやっているのやら。
自分でも呆れてしまう、だけど仕方ない。
「龍一郎様………………」
「ン………ヤッ、………あ、あさひ…な………。」
久しぶりの休日。
まだ太陽も昇りきっていない早朝に、私の家に奇襲訪問してきた龍一郎様は言った。
『今日はずっと……、2人で、いよう?』
始めは、寝ぼけて錯覚と幻聴でも起こしたのかと思った。
でも、目の前にいたのは紛れもなく龍一郎様本人。
専務取締役としての業務を確実にこなして、常に頂点を見つめている龍一郎様。
でもその凛々しい姿は、その他大勢の人物が知る龍一郎様。
意地を張っている時の態度。
拗ねている時の声。
本当は嬉しいのに、照れて虚勢を張っている時の真っ赤な顔。
今朝の奇襲訪問の時に私を見つめてきた、あの潤んだ瞳。
それに──────
「ヤッ……ア、ン……そこ………触る、な………」
「ココ………、ですか?」
「…あっ!……ッハ、んァ……か、を…かを、る…………薫、………」
こんな風に、乱れる姿。
全部、私だけのものだ。
今日は貴方の言う通り、ずっと2人で過ごしましょう。
私だけしか知らない龍一郎様を、全部見たいです。
奥様に嘘がバレないように、貴方も協力してくださいね。
────なんて私が考えているだなんて。
貴方は気づきませんね、きっと
→あとがき&謝罪文