群青の鮫_

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スペルビ・スクアーロの人生は、客観的に見れば、その全てが悲惨なものであったと言える。
金に困ったことこそほとんどないが、生まれたときから無理のある役割を押し付けられ、父の愛情を求めながら従順に生きてきた彼女に与えられたのは、愛情などではなく、暴力と暴言だけだった。
父親は最後まで彼女に愛を与えることなく、心を壊して、自身を殺してしまう。
それが、彼女が12歳の頃。
拠り所を失い、家も失った彼女は、マフィアびいきの学校の寮に住みながら、取り憑かれたように剣豪狩りをし始める。
そして14の時、当時剣帝とまで呼ばれた男を倒した彼女は、本格的にマフィアという暗がりの世界へと、身を沈めていった。
女の身でありながら、望まない暗殺稼業をこなし、慕う者を失い、ついには胸を貫かれて、彼女は今、死にかけている。
それでも、彼女は自分が不幸だとは思ってはいなかったという。
もしかしたら、そうだと思い込もうとしていたのかもしれない。
そんな彼女が、捨てた心、その一つが、今、ディーノ目の前にいる子どもであった。
彼女の人生も、目の前の魂の欠片の正体も、彼女が今まで何を思ってきたのかも、ディーノはほとんど知らなかった。
知らなかったが、だが、それでも、ただ一つ確かなことがあった。
気が付けば彼は、大きく口を開けて、叫んでいた。

「オレの女に、なんて事言うんだ!」

叫ぶと同時に、男の脇腹に蹴りつけていた。
案の定、その攻撃はすり抜けてしまうが、それでも諦めずに、蹴る、蹴る、蹴る、蹴る。

「『いらなかったのに』ってどういう意味だよ!!あんた、父親だろ!?父親ってのは、何があっても子どもを守ろうとするもんじゃねーのかよ!!」

ディーノの父は、そういう男だった。
それもあって、ディーノは争い嫌いの甘えた性格になってしまったのだが、今ではその父の遺志を継いで、ファミリーから慕われる心優しいボスとなっている。

「いらないなんて、父親が言って良い台詞じゃねーだろ!?こいつは……っ、こいつはずっとあんたから必要とされたくて、頑張ってきたはずなのに、なんでそんなこと言うんだよ!!」

今なら、あの古城の病室でスクアーロが言っていた言葉の意図がわかる。

――オレは……、必要なくなんか……!

必要なくなんかない。
あの時スクアーロは、そう言いたかったのだろう。
その存在を、ずっと父親に否定されてきて、それでも、必要とされたくて、頑張ってきた。

「オレは、オレ達はこんなに、スクアーロのこと大切に思ってるのに、必要としてるのに……、スクアーロが本当に必要としてるのが、あんたみたいな奴だったなんて、酷い話だよな……!なんで……、何で一言でも愛してるって、言ってやれなかったんだよ……!」

ディーノのスニーカーの爪先が、やっと、男の腹を捉えた。
蹴りあげられて、吹っ飛ぶ男の体。
すかさず子どもの体を抱き上げたディーノに放たれたのは、冷たい子どもの言葉だった。

『なんで、……なんで助けたんだよ。オレは、死にたかったのに』
「……え?」



 * * *



「どうして、どうして死んだんだ……!どうして生きているのが、お前なんだ……!!死んでしまえ!!死んでしまえ……!!」

スペルビ・スクアーロの父親は、3日に1度は決まって、彼女の首を絞めながらそう言っていた。
苦しくて、痛くて、辛くて、それでも彼女は、涙で霞む視界に見える父の瞳が自分を……息子のスペルビではなく、名もない娘の自分を映しているのを見ると、ほんの少し、嬉しかった。
それと同時に、彼女はこう思っていた。
どうして。
父親の向こうに見える、家族の写真。
写っているのは、自分によく似た幼い男の子と、綺麗な母、そして少しだけ若い父。
3人とも、溢れんばかりの笑顔を浮かべていた。
どうして?どうしてだろう?
本物のスペルビの横では、父はあんなに眩しく笑っているのに、どうして自分の目の前にいる父は、こんなに苦しそうな顔をしているのだろう?
オレが、偽物だからだろうか。
彼女はその時、酷く暗い感情を抱いた。
兄なんて、居なければ。
オレが、本物であったなら。
その気持ちは、間違いなく、『嫉妬』と呼べる、ものであった。



 * * *



『愛されたかった。兄は死んでもなお、あんなに深く愛されていた。オレも死んだら愛してくれるかもしれない。だから、死にたいんだ。死なせてくれ。お願いだから、殺してくれ』

幼い彼女は、嫉妬の感情を不要と断じた。
切り捨てられたその想いは、今も変わらず幼い姿のまま、嫉妬に狂い死を願っている。
殺してくれ、と唱え続ける子ども。
ディーノはその子に視線を合わせて、一つ、厳しい瞳で問い掛けた。

「お前は、本当に死にたいのか?」
『……、』

ピタリ、と、子どもの動きが止まる。
気にせずディーノは、言葉を続けた。

「愛されたかったのは、偽物の息子としてか?それとも、娘としてか?」
『……それ、は』
「素直に言ってみろ、スクアーロ。言わなきゃ、誰にもわからねーんだ。オレにも……親父さんにも」
『あ……おれ、オレ、は……』

ディーノ見上げた銀色の瞳は、涙で潤んで、歪んだディーノの姿を映していた。

『娘として、オレの事を、見てほしかった……!』

涙の滴が、ぼろりと落ちる。
続けてぼろぼろと落ちていく涙が、ディーノの洋服を濡らした。
小さな子どもを抱き締めて、その背を擦ってやりながら、涙で聞き取りづらい声を聴く。

『兄さんはあんなに愛されていたのに、なんで、オレは兄さんの振りをしないと愛してもらえないの!?ほ、本当は、兄さんの振りなんて嫌だった!!ちゃんと、娘として見てほしかった!!他の、女の子達と同じに、可愛い服着て、いっぱい遊びたかった!!なんでオレばっか、辛いことしなくちゃならないんだよ!オレばっか殴られなきゃならないんだよぉ!!オレもっ、ふ、普通が良かったのに!!みんな、みんなズルいよぉ……!!オレだって、お洒落して、父さんと一緒にっ、お買い物したり、美味しいもの食べたり、したかったんだっ……!なんで、なんでわかってくれないんだよ……、父さっ、父さんも、ズルい……!』
「うん、そうだよなぁ。いっぱい、いっぱい、したいこと、あったんだよなぁ……」
『ざ、ざんざすだって!まだ、父さんが生きてるのに!生きてるからっ、あんな風に、喧嘩できるのに……!なんで?なんで……!?』
「うん、うん」
『山本だってっ!さ、沢田だって!あんなに才能あるの、ズルい……!オレは、ずっと才能もないのに……悪あがきばっかして、やっとこれだけ、で……!』
「そうか、そうか……」
『ただ、褒めて欲しかっただけなのに……!父さん……お父さん……!『オレの娘だ』って!『愛してる』っ!そう言って欲しかっただけなのに……!』
「うん」
『ほ、んとは、死にたくなんか、ない!生きたい、よ。生きて、愛されたい……必要として……!頑張るから、頑張るからぁ……!』

その後は、言葉にならず、小さなスクアーロは、ただただ泣きじゃくるばかりだった。
ディーノが蹴った男の姿は、気が付けば消えている。
震えるか細い背中を抱き締めながら、ディーノは優しく、彼女の頭を撫でてやった。

「スクアーロ、お前の父親は、もうこの世にはいない」
『っ!』
「いない、けど、今のお前の側には、お前の事を大切に思ってる人達がたくさんいるんだぜ?」
『……』
「少なくとも、オレは、お前の事を愛してる、必要だって、思ってる」
『ほ、んとう?』
「本当だぜ。オレや、ヴァリアーの奴らがお前を大切に思ってるのはきっと、お前がこれまで、一生懸命に頑張ってきたからだよ。だからさ、スクアーロ。もう無理して頑張ることねーんだよ。お前これまで充分、頑張ってきたんだから。そんでさ、これからは皆で、やりたいこと、楽しいこといっぱいしようぜ!お洒落して、町歩いて、皆でクタクタになるまで遊ぼうぜ」

ぎゅっと抱き締めてそう言うと、スクアーロは不安そうにディーノの服を握り締めた。

『……オレ、こんな事ずっと思ってて、ザンザスにも、しっと、してて。気持ち悪く、ない、か?嫌いに、なったり、しないか?』
「……バーカ、そんなことで今さら嫌いになったりするかよ」

そんなことを考えていたのか、と、少し気が抜けたように笑ったディーノは、スクアーロの額を小突く。

「お前が考えすぎる奴だってのは、皆知ってるし、だいたい、人間ならそれくらいの嫉妬、当たり前にするもんだろ?誰もお前を嫌いになったりしやしねーって。安心して、帰ってこい、スクアーロ」

ディーノとスクアーロの視線が交差した。
赤くなった目を隠すように、スクアーロがディーノの肩に顔を埋める。
そして消え入るような小さな声で呟いた。

『ありがと、……ディーノ』

頬に柔らかい何かが触れるのを感じて、驚いて子どもの顔を振り向いたはずのディーノの視界に映ったのは、誰かを抱き締めたような形で固まった己の腕と、誰もいない寂しげな己の肩だった。
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