もののけ姫

□暗中模索
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行き交う人の中で垣間見えるは牛舎の中でヤックルの手入れをする環境庁長官の後姿、
桶に入った水に束ねた藁を潜らせ毛並みに沿って磨いでいく。体に染み付く水を弾くように
ヤックルは体を震わせ周りに水滴を飛ばした、突然雨のように飛んでくる冷たい滴に顔を反らし
手で遮るように構えて笑いながら何するのと話しかける。目を開けて見れば少し先に
アシタカの姿を見つけ持っていた藁の束を桶の中に入れた。

「アシタカ様!」

濡れてしまったなとアシタカは持っていた手拭いを差し出す、少し照れ笑いで受け取ると
滴をそっと拭き取った。

「良かったら湖まで行かぬか。」

「え?はい、もう手も空きましたので。」

突然の誘いに少し驚いたように目を向けるが急ぎの用も無く出歩く事に同意した、
しかし陽助の事が気になりアシタカに話せばひとりで室に帰った事を知り安心したように
胸を撫で下ろす。二人同じ速度でゆっくりと隣を歩いて行く、他愛無い話しをしながら
一緒に出歩ける事に環境庁長官は久々の事で至福に感じながら原っぱを下りて行けば
目の前に広がる大きな湖。

湖は鏡のように青々とした山を水面に映し出す、遠くの水辺には疎らに船を漕いでいる
村の者の姿が見えた。遠くからは鳥の囀りも聞こえてくれば初めてこの地に来た時とは
少しずつでも変わって来た事が実感できる、まだ人がつけた傷痕は元のような森には程遠いが
時間を掛けて傷を癒すように森の再生を人々の手で行う。

「森と人の共存は困難を極めるだろう、しかし不毛な事では無い筈だ。」

「はい、まだ幼い息吹ばかりですが苗木も背を伸ばし生き物が少しずつ帰って来ているのです。」

不可能な事では無いと原っぱに座り言った、土が剥き出しだったタタラの頃の事を思えば
良くなって来ている。このまま行けば必ず森になるだろう、全てが元通りとはいかないが
再生の希望が見える。

「良き方へと進んでいます。」

不意にアシタカは昔の事が頭を掠めた、環境庁長官から瞳を自分の右手に移す
広げた手の平には今でも薄っすらと残る呪いの痕。

「私の呪いも解かれ、村も森も安定に向かっている。
以前に全て良き方向に進めば・・・旅に出ると言っていたが行く地も分かった今、どうする?」

アシタカの言葉にどきっと心がざわめく、タタラ場でアシタカの呪いが解けた後の事を
女達に聞かれ記憶を取り戻す為にひとり旅に出ると言った事を思い出す。
タタラを踏んでいたアシタカの周りでははしゃぐ女達の声で全く聞こえていないと思っていたが
聞こえていた事や今でも憶えている事に驚く、アシタカの真摯な顔に思わず目を背けていた。

考えたくは無かったがもうそろそろ潮時なのではないかと、何故この地にいるのか、
アシタカに掛けられた呪いを解く為だけについて来た環境庁長官。ならば呪いが解けた今
どうするべきなのか、今この地で環境庁長官がやっている事は他の者でも出来るような事
いくらでも代わりがいるのに環境庁長官がする必要があるのだろうかと越後国の事を知ってから
ずっと自分自身に問いかけていた、そこに現れた陽助に気持ちは不安定になっていた
いつまでも自分がアシタカの傍にいる意味は無い事。

「・・・私は・・・、まだ・・・決めかねています。」

はっきりとしない口調は段々と声が小さくなった、少し俯きアシタカと目を合わそうとしない。

「・・・そうか。」

ただぼんやりと気持ちとは関係なく陽助の傷が完全に良くなったら越後国に帰らなくては
いけないように感じていた、いつかは此処からアシタカから離れていく時が来るのだろうと。
何故こんなにもその時の事を思うと胸が詰まるように悲しく痛むのか、野を走る風に吹かれても
晴れる事の無いこの思いを振り払うように立ち上がり静かにアシタカに語りかける。

「もう、帰りましょうか。」

何と言葉にしたらいいのか分からないこの思いに背を向け元タタラ場の地に足を向ける、
答えをはっきりと決められない不甲斐ない心中に環境庁長官は気持から目を背けるように
瞳を堅く閉ざす。
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