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寡黙と憂鬱に咲く[9]


14.
刺青を見る心境は、自分の大怪我を見る心境とよく似ていた。
単に高杉のマゾヒズムの血がそうさせているのではなく、一種「後遺症」のような複雑な思考回路があって、
あの日も、そして今日も、自分はこの退廃的な一室に身を置いている。

「音楽でも流しやすかい?今日は5時までは予約入ってねえし」
「サッズとかある?」
「セカンドしか持ってねえんですが」
「それでいいよ」

貸し切りのこの空間を気に入っている。
飽きやすい性質が繰り返す、皮膚に芸術を刻んでいく儀式。その深刻さを少しだけ和らいでくれるのが、好きな音楽と、この彫り師との会話。
沖田はそこまで長くない髪を一本に縛る。
これから高杉の身体へ写すだろう、絵図を見せてくれる。さすが沖田。了解した。

同意書にサインを記す。
大切な肉体の一部を、人間離れしたものに変えるという、どことなくグロテスクな響きがある。
これから味わう苦痛が与えてくれるものはきっと、喜びではない解放感だろう。

「上の服は脱いで、そこにうつ伏せになってくだせえ」

施術台の上に乗り、高杉は言われた通りにする。100%の信頼は、その行為に時間をかけなかった。
痛みは思考の大半をはぎ取ってくれる。退屈しなくていい。
激しめの官能的な音楽に、皮膚を削る音が混ざり合って、わけがわからなくなって、変に心地よくなってきた。

「相変わらず綺麗な身体ですねい」
「抱いてもかまわねえよ?」
「まぢでー?めちゃめちゃにしちゃおっかなー…って、だーかーらー興味ねえし…」

冗談だ、と高杉は笑う。沖田も勿論、冗談に返した冗談だ。
針の先が傷口を往復して、さらに深く掘りこんでいく。

「い…っ」
「ちっと我慢してくだせえ。ゆっくりやりやすから」
「ああ、我慢する」

何度か、頂点に到達する瞬間があって、甘えたい気持ちになった。
それらの門をいくつも潜り抜けると、麻痺感覚に救われる。

「なあ、聞かせろよ」
「はい?」
「彫り師の話ってやつ」
「ああ、そんな約束でしたねえ」

半分上の空で返事してくる。話しかけるタイミングが悪かったらしい。
彼も芸術家の一種だ。いざ仕事となると、その世界に入り込み、没頭してしまうのだろう。


「ちっと休憩しやすか。半分くらい終わった」


背中が涼しくなった。力が抜けた証拠だ。
いつのまにか3時間も経っている。銀八に連絡するのは終わってからでいいか。

「冷たい茶、用意しやしたよ」
「サンキュ」

手術台から降りて、背もたれのない椅子に腰かける。
沖田に手渡された飲み物を喉に流し込み、一息つく。


「最初に掘ったのは」


沖田はソファに座る。
彼は肘まで腕まくりしていて、空気にさらされた手首から腕の付け根までは、ほぼ隙間なく、刺青が施されていた。

「あんたと同じくらいかなー」

自分の刺青と高杉の顔を交互に見やり、懐かしそうに話す。

「両腕をこう、がっつりと」
「やるな」
「あんたに言われたかねえけど」

睨みと笑いを混じらせて、沖田は自分も紙コップに入った茶を飲む。
彼の腕には花が、いろんなバリエーションの色と柄で刻まれてる、と、観察しつつ、高杉はふと思う。

「沖田の刺青、見たいんだけど」
「腕の?」
「できれば全部」

沖田は一瞬、難しい顔をする。


「そりゃあ俺、全裸にならねえと」


苦笑して言った。高杉は目を細める。

「全身?」
「はい。さすがに性器にはいれてねえけど」

足のほうはデニムとスニーカーのせいで見られなかったが、指先まで入っているという。

「全部見せるのはもうちょっと、仲良くなってからにしやしょうか」
「………」

好奇心だけの人間には教えてやらない。
全身に刻むということが、彼にとって、人間にとってどれほどの覚悟がいるものであったか。
このとき、高杉は自分に置き換えても、想像できなかった。

「あんたみたいな、モノ好きな人間のほうが、多分俺と同じことしたい、なんて思うかもしれねえんで」

自分の人間性を否定されている気がした。
だが沖田の目には、「卑下」の文字というよりも、「写し身」。まるで鏡を見るかのように、高杉を見据えてくる。

「俺と似てるから、同じ衝動起こすかもしれねえって思って…」
「似てる?」
「人間として欠落してる部分があるから」

声を出して笑われた。笑うことではないと、自覚があっての笑いだった。

「失礼。俺と似てるなんて、失礼な言葉ですよねえ」
「………」
「気を悪くしねえでくだせえ」

今更のように言われても、どんな表情で「平気だ」と言えるのだろうか。

「刺青、全身にいれてる奴なんて、ロクなことありやせんよ…」
「え?」
「皮膚呼吸を閉ざしてるんだ。俺、あまり長くないと思う」

高杉は心臓の端を貫通する、棘の音を聞いた。
本来なら涙を通り越す衝動を、一瞬のうちに何とか収めたのだ。
沖田は残された茶を一気飲みする。


「おっとー、つい語り癖が。いけやせんねえ。若いのに格好つけすぎですねえ」


その時の沖田の表情に、何の言葉も返せなかった。
この彫り師との関係も年単位になるかわからない。
また次回。生きていればね。そんな細い糸の上の関係。
大切にしなければ、この時間を、と思った。

15.
施術が終わる前に、客がもうひとり来た。両肩から龍が浮いて出てきそうな、大柄の男だった。
施術中の高杉を見て、「ほおー」と惚気面になる。
これは習性なのか、男に対して誘うような眼差しを送ってやった。男は前のめりになる。
ふと、頭を軽く叩かれた。

「ここをラブホにしねえでくだせえよ」

冗談抜きに、沖田は怒っているようだった。
プライドを持って仕事している男の前で、軽率だった。
一言謝って、大人しく目を閉じる。この後は、もっと激しいだろう。

「沁みやすよ」

仕上げに消毒される。はっきり言って一番痛かった。高杉は小さく悲鳴した。
沖田は患者のそばから離れると、スマートフォンを取り出して、高杉に向けてきた。


「写真、とっていいですかい?」


勿論、作品を、だ。
顎をひいて承諾の意を示した。後々、この店のサイトにアップされるのだろう。

「寝るときは気をつけてくだせえ。あと、くれぐれもー」
「はーい、わかってまーす」

ふざけてやると、「よろしい」と沖田も台詞口調になる。
約束は破る。でも沖田が魂込めた絵は汚さないようにするから安心してくれ、と、音なく呟いた。

初日は手当てしてもらう。
背中に痛みを感じながらも、高杉は外に出て、少しだけ伸びをした。
ああ、生まれ変わった気分だ。それはただの錯覚なのだろうけど。
ポケットから携帯を取り出し、液晶画面を開く。

着信1件。
名前を確認して、すぐに折り返した。

「終わったよ」

語尾が掠れた、お疲れ、の一言が返ってくる。
電話越しに響いた男の声が、いい声だと思った。

『いけそうか?』
「多分平気だけど、少し加減してくんないかな」
『へえ。ぶち込まねえで帰るか?』
「…やっぱいいや。いつも通りで」

銀八が奥で意地悪く笑っている。すでに息を呑む自分がいる。

「いつもの駅でいい?」
『ああ、いいよ』

到着次第、連絡をすると約束して、いったん携帯を閉じた。
1週間くらい我慢すればいいのに。
この世で退屈しないものは少ないから、その僅かは贅沢に味わっておくべきか。
これは意図的ではない、多分、感情という奴が促した動作だ。
銀八に早く会いたい、とは思っていた。
基本的にペースを乱されるのは嫌いだが。

刺青という大怪我をした自分を、どんなふうに抱く気だろうか。
その時の反応とか、少し優しくしてくれることを願ったり、拒んだり、対して長くない移動時間で、
長くて、長い妄想にふけっていた。

傷口は直接服と触れることはなかったが、ふとした時にピリっとした痛みを感じる。
これ、大丈夫か、と駅の改札を出る時に、高杉は少々不安がった。
それでも到着の連絡が先だった。
念のため周りを見渡したのだが、銀八は見つからなかった。

『ついた』と簡素な文章を送る。
人溜まりがいくつかある。人のいないところへと思い、売店付近に移動した。
喉が渇いたから水でも買っていこうか。どうせホテルでも飲むだろうし。
500mlの水をひとつ購入して、すぐさま口をあけて飲んだ。

いきなり耳元に突風が押し寄せた。
高杉はびくっと肩をはね上げて、咄嗟に左耳を抑える。
小さく笑い声が聞こえた。
反射的にそちらに向き直ると、視界に入った人間を理解して、高杉は一気に目を細めた。


「面白くねえ反応だな」
「面白くねえから」
「かわいくねえ」


スーツを少し着崩した銀髪の男は、ちょっかいに失敗したのがわかると、つまらなそうにさっさと前を行った。
悲鳴のひとつでもあげたら彼は大いに喜んだのか。どうでもいい。どちらにしろ、自分の性ではない。
距離ができたので、早足で追いかけた。

「終電、何時?」
「この前言ったと思う」
「忘れたよ。何時?」

かく言う自分もうる覚えだったが、時間を告げると銀八は、

「帰れるの、その電車だけ?」

と、機嫌を斜めにした表情で聞いてきた。
他にも路線はあるが、その電車を使うのが一番の近道なのだ。

「もう一個の線使える?」
「使えるけど」
「じゃあそっちで帰れよ」

意味に迷ったのは僅かな時間だった。銀八のほうが終電が遅いのだ。
自分に合わせろ、というのか。

「早く帰りてえなら別だけどな」

強制ではない、と。
それが高杉に与えた逃げ道なのか、銀八にとっての逃げ道なのかまではわからない。
どうせ帰っても一人だし、そんな数十分の差にこだわることもない。
それにその分この男と抱き合えるならいいか、と思った。

「別にいいよ、そっちで」

軽く返すと、銀八は笑みとは判別しにくい笑みを浮かべた。
長い夜。けどきっと、あっという間だ。

どこに向かっているのかわからないが、ホテルは銀八に任せているから、高杉はついてくだけだった。
人通りの多い場所を歩いていた。

「お前何食いたい?」
「え?」
「メシ。どっかで食ってこうぜ」

高杉は軽く驚いた。先日と同様、食糧をホテルに持ち込むのかと思っていた。

「別にコンビニでもいいけど…」
「俺が腹減ってんだよ」
「俺あんまり」
「肉。よし決まりだ」
「おい、誰も言ってねえぞ」

コンビニの件を思い出した。いつもの傲慢さに睨んでやると、


「勢力つけさせろよ…メチャメチャにされてえんだろ?」


不意打ちすぎる言葉を耳に吹き込まれた。
(こいつ…)
あげた手は銀八を叩けずに、眼光だけ鋭く彼に叩きつけられるだけだった。

16.
焼き肉店につれて行かれた。

「俺は皮と、ホルモンと、あとロース…あ、このサラダもちょうだい。それと…」

高杉がメニューに目を通している間に、既に銀八は店員に注文している。

「そんなに食うのかよ」
「普通だろ。お前も食わねえと体力持たねえよ?」
「逆に動けなくなるし…」
「お前が食欲旺盛なのはセっクスの時だけかい?」
「お前に言われたくないんだけど」
「俺はどっちも肉食だよ」

些細な口喧嘩はそれで終わった。肉が来たら、銀八は早々に焼き始める。
高杉の小皿と自分の小皿にタレを入れて、「好きなの摘まんでいいよ」と言い、オレンジ色の炎の中で、
肉を遊ばせていた。

ジュウ、という肉の脂が蒸発する音が心地良かった。
匂いと音に誘われて、高杉も空腹感を覚えた。
とうとう箸を構えて肉を挟んだ。タレに何度かつけて口に含む。美味い。

「上手くいった?」
「ん、何が?」
「刺青」

次々焦げのついた肉を口に放り込みながら、銀八が尋ねてきた。
沖田との話が脳裏を掠めながらも、それは言うべきことではないとして、黙ったまま首を縦に振った。

「背中だっけ?」
「ん。て言っても、肩甲骨あたりだけど」

忘れかけていた痛みを感じた。

「痛いか?」
「そりゃあ、皮膚削ってるわけだし」
「じゃあ正乗位は無理だな。了解」

すんなりそう言って、肉をまた一つ摘まむ銀八に少しぽかんとした。

「嫌がっても、無理やりするかと思った」
「俺ってどんだけ酷いヤツよ」

細めた目で睨まれる。
笑ってやるとますます仏頂面になるが、高杉の言葉に対しては特に反論もなく、銀八は箸を止めない。

「…まあ、本当のことだけどな…」

それだけ、小さく呟いた。今、彼の頭に浮かんだのは家族か。これまでの恋人か。
それを細かく詮索するほど、自分たちは近くない。
近くないから聞かない、というのが、徐々に言い訳に聞こえてくる。
それは自覚として、日に日に濃厚になって、高杉を揺らしていくこととなる。

「食わねえの?」

箸が止まっていた。はっとなって一枚とる。
その様子を、銀八は何気なく見据える。
視線を感じる時間が長くて、思わず高杉は面をあげた。

「何?」
「…別に」

動揺の色は見せず、銀八は自身の手元に視線を移す。
目の前の男の心情など読み取れるはずもなく、高杉も再び食に集中した。

「何でもねえよ…」

無自覚な仕草に、ただ何となく、そんな気になっただけだ。

店を出たのは7時半を過ぎた頃だった。
騒々しく、そして寡黙に夜は深まっていく。


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