malicious tale★
□甘い蜜に囚われて
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「ねぇ―」
放課後の教室。帰り支度をしていた僕は、ふわりと空気に溶けるような不思議な声に、顔を上げた。
目の前に立っていたのは、鷹宮紅というクラスメイトだった。
切れ長の目を縁取る長い睫毛が、頬に影をおとし、思わず見惚れるほどに色素がうすい澄んだ瞳が、僕を捉えている。額に流れる髪は柔らかく、瞳と同様の、綺麗な色味だ。
彼は、存在までもが、人目を惹きつける。そんな、日本人離れした少年。
「どうかした?鷹宮」
鷹宮紅の瞳に映る僕が、軽く微笑むのが見えた。きっと僕は今、愛想がよくて明るい少年のそれらしく笑んでいるのだろう。
「それ」
言葉を発した鷹宮紅が、不意に僕の頬に指を触れさせた。
ひやりと冷たく、意外にも心地好い感触は、スルリと僕の頬を撫でて離れる。
僕は、彼の次の言葉をまって、淡色の唇に視線をうつした。
「俺にも、その笑顔の作り方
教えてくれない?」
伏し目がちに見つめてくる鷹宮紅の言ったことを、僕は一瞬で解した。
途端に、僕の顔から表情が消える。
こいつは知っているんだ。僕の明るさも笑顔も虚像だと。知っている相手にまで、わざわざ作る必要もないだろう。
教室にはまだ何人かクラスメイトが残っていて、普段全く話さない僕らが話しているのを興味ありげに盗み見ていた。
僕はゆっくりと椅子から立ち上がって、至近距離にある綺麗な顔に微笑む。
「…場所、かえようか?紅くん」
「―神無がそうしたいなら」
僕の苗字を口にして、鷹宮紅は艶やかに笑ってみせた。
場所を移し、人気のない化学準備室に入ると、紅は窓の桟に腰かけた。カーテンが開いた窓から注ぎ込む陽が、彼の肌をすべり、髪を透かす。
「あんまり動揺しないんだ?」
「させたかったのか」
扉を閉めながら返すと、軽い笑い声が返ってきた。
不思議な気持ちで、目の前の少年を見つめる。これは、本当に鷹宮紅なのか?紅は、こんなふうに笑うやつじゃない。
紅のことをよく知ってるわけではないが、それくらいわかる。鷹宮紅という少年は、学校でも有名な美少年で、無口で無愛想。それに殆ど無表情。『無』という評価が多い男だ。
こんなふうに、笑うヤツじゃないハズなんだ。
「神無が驚く顔はちょっと
見たかった」
「ふぅん……。で?」
「ん?」
僕が目の前に立ち、促すように声をかけると、紅は小首を傾げた。
「―なにが目的」
「別に…?強いていえば、
神無と話してみたかったからかな」
今度は僕が首を傾げた。なんで有名人の鷹宮紅が、僕と話したかったのか全くわからない。何も楽しいことなどないのに。
「急に声かけてごめんね。
でも、俺はずっと神無と
話したかったんだよ」
「…そうか。何か収穫あった?」
「もちろん」
…?
ふわりとのびてきた紅の両手が、僕の首の後ろで交差された。僕は、艶然と笑う彼の瞳を、見返す。
「神無は素のほうがいーよ」
「…ちゃんとわかってる?―紅」
僕は自らも手を伸ばして、さっき紅がそうしたように頬を撫でる。
僕が名前で呼び、触れたことに驚いたのか紅がちいさく身じろぎした。
「なに…?」
「俺がどうして自分を
つくってるか」
僕と紅の視線が絡む。輝くような虹彩にひきこまれそうだ。
「俺にはな、クラスメイトが
ただの物体にしか見えない。
動いて、喋ることが不思議だ。
不思議で…愛しくて、
壊したい。わかるか?」
「……神無」
「お前は、どうしてそんなに
綺麗なんだ―?
お前を壊せば、わかるのか」
異常だと、逃げればいい。
僕が素直に話せば、必ず相手は僕を奇異の目で見る。怯えて、引き攣った笑いを浮かべ、後ずさりして。
お前もそうだろ?
別にいいさ。だって、僕は現実で、いつか誰かを壊してしまうかもしれない。自分の本能が命じるままに。
僕は、生まれた時からこうだったのだろうか。わからない。
まるで、獣。
あるいは…全てを傷つけることが存在理由のナイフか。