04/05の日記

20:36
SS))必然的人間論
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呼吸(イキ)をする。
欠伸をする。
背伸びをする。
立って歩く。
制服を着て学校へ行く。
ご飯を食べる。
手をつなぐ。
キスをする。

親と、兄妹と、近所の人と、友達と、あの子と話す。怒る。泣く。

笑う。


当たり前が当たり前じゃなくなるのはいつだって突然だ。
そして必然なのだ。

使い込んだ消しゴムが小さくなって行方不明になって、あるいは使い切って消しカスと化しては新しいものを使うように。

中学の時に流行りで買って着なくなったTシャツやジーンズを捨て、新しいデザインのオシャレなチュニックやスカートを買うように。


そこには後悔や未練なんか一切存在するはずもなくあっさりと、そして鮮やかに別れは終了する。

そして時折「あぁそんなこともあったなぁ」なんて思い出すのだ。

別れなんて、これっぽっちの未練も残さずやってのけるのが人間という生き物の性(サガ)なのだ。


ただ、人間が人間たりうるのは必ずしも別れを惜しまないからではない。


人は哭(ナ)く生き物だから。
それ故に人間は人間たりうるのだ。

嬉しいとき。
悲しいとき。
幸せなとき。
苦しいとき。
産まれるとき。
死ぬとき。
いつでも人間は哭くのだ。

誰かのために。
自分のために。
歓喜や悲哀に。

そして誰かとの出会いに。
別れに。
涙するのだ。


人は別れを意図も容易くこなす生き物である。
と同時に同じくらい別れ難き生き物であることは
やはり必然なのだ。


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《後記的反省文》


な ん だ こ れ 。
な ん だ 自 分 。

思いつくままにつらつらつらつらつらつらと徒然してたらこうなりましたー。

タイトルだけは〇〇論ってしたかったのでよしとしよう←

矛盾がいっぱい。
脳内混乱は必須。

読むときは根気と広い心を準備してから流し読みで一息にお願いしまーす!笑

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