歪みの国のアリス

□勝ち誇る笑み
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「アリスは僕のアリスだ」

にんまりと赤い口が笑う。
灰色の猫は、口元をべったりと赤い液体で染め上げていた。
妙に裂けたように大きな口をした猫だったが、少女はそんなことは気にもとめなかった。

「食べたんだ、亜莉子を」

その声色は咎めるようでも確認するようでもなく、事実を述べるようだった。
その目は羨むようでも悔しがるようでもなく、ただ赤く燃えながら猫を見下ろしていた。

「アリスは僕のものだ」

猫はそのことが嬉しくてたまらないのか、にんまり顔を更ににんまりとさせていた。
そのうち声を上げて笑い出すかのように見えたが、猫はただ静かに笑うのみだった。

「亜莉子を取り込んで、キミは彼女の全てを手に入れたつもりなんだね」

白い肌をした少女は、いつの間にか一つの人形を腕に抱いていた。
とても大切そうな手付きだが、少し力無く気だるげな持ち方だった。

「亜莉子は望んでたのかな」

その言葉に、猫の口元は僅かな変化を見せる。
しかしその事に少女は気が付かなかったし、興味もなかった。

「キミが導いたんだろう」

猫は少しイライラとした動きを見せる。
目の前の少女には全てバレている気がして、知らず知らずのうちに体が動いていたのだ。
少女の方はというと、猫の口元のぬらぬらと光る血を美しい、と感じながらも何か大きなものを失ったかのような喪失感を否めずにいた。

「僕は僕のアリスが欲しくなった」

少女は人形を見下ろした。
口元が僅かにありこ、と囁くように動いた。

「けれど、アリスは僕を信じてくれなかった」

少女の視線は腕の中の人形に注がれている。
赤い瞳に映る人形を見た猫は焦燥感を覚え、言い訳を紡ぐように言葉を繋げていく。

「だから、アリスを食べたんだ」

猫の視線は少女に注がれている。隙を伺うような目つきだが、少女には警戒するような素振りは見えない。

「僕はアリスを手に入れたんだよ」

少女の意識は手元の人形に向けられている。
彼女の手に収まっているものこそ、猫が欲した少女を象っていたが、本物を手に入れた猫にとってそんなものはがらくた同然であった。

「亜莉子はね、雪乃を必要としたんだ」

少女の顔は猫の方を向いた。
しかし、その目は猫の口についた液体のみを映している。

「だから私は雪乃としてここにいるの」

少女はしゃがみこみ、彼女の主の血に触れる。
遠目に見れば、それは少女が猫を撫でているようにも見えた。

「でももう僕だけのアリスさ」

猫は笑う。
少女の隙を伺いながら、自身に触れる手にいつ爪を立てようかと思考する。

「キミは気付かないの。亜莉子を食べて、彼女を永遠に失ったことに」

少女は手を地面に下ろした。
先ほどまで燃えていた赤い瞳は、鎮火したような黒一色となっていた。彼女が失ったものが、とても大きなものだったと知らされるような深い闇だった。

「キミは今、泣いているんだよ。その事にも気付かないの」

猫の口元は乾き始めた赤黒い液体で濡れ、両端がつり上がっていた。ただ、それだけだった。
猫は自身より歪んでいるはずの少女に、全てを見抜かれていた。

「キミは最後に亜莉子に拒絶された」

少女はしゃがんだまま、空を見上げる。
手の中の人形に足りない命が、もう届かないところへいってしまったのを見届けようとするかのようだった。

「私は最後に亜莉子に求められた」

少女はその腕に抱いた人形を、強く強く抱きしめた。
本当の意味で主を手に入れられ無かった猫は、その人形を見つめた。
人形は猫が何よりも欲した少女を象っている。そして、今は少女の姿をしている歪んだ兎の手中にあるのだった。

「僕は、」

猫は一歩人形に近づいた。
近づいたはずなのに、少女の人形から余計遠ざかった心持ちになった。

「僕はアリスに近付きたくて、アリスが欲しくて」

空を見上げていた少女の黒い瞳が猫を見た。
その目には猫が主を手に入れたくてした過ちも、猫自身の後悔も、今なお猫が主を欲する気持ちも映っていたが、本人には興味の無いことだった。

「手に入れたんだよ。アリスを食べたんだから」

少女が立ち上がった。
猫はそれを目で追わず、彼女が抱いた人形のいた空間を見つめていた。

「そして亜莉子は死んじゃった」

少女の顔が、猫を見下ろしたまま歪んだ。

「最期に亜莉子は私を必要としてくれた。そのことはもう永遠に変わらない」

少女の歪んだ顔は、泣いているようにも笑っているようにもとれた。
虚空を見つめる猫もまた、泣いているようにも笑っているようにも見えた。

その場には、二つの歪んだ存在の欲望が沈下しているだけだった。










fin.

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