歪みの国のアリス
□猫と猫と猫
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「猫」
亜莉子は庭で音のした方を見ていました。
そこには何かの動物が居たような気配と揺れる草むらしかなく、彼女は実際にその動物を目にした訳ではありませんでしたが、瞬間的に猫だと思ったのでした。
「なんだいアリス」
足元で柘榴の実が落ちるような音の後に返事がしました。
そちらを見ると首だけのにんまり顔と対面します。
「あなたどこから現れたの。さっきまで部屋に居たはずじゃ…まさか落ちてきたの」
亜莉子は驚いて猫を見下ろすことしかできません。
神出鬼没な彼女の猫はただにんまりとして、
「アリスに呼ばれればどこへでも現れるよ」
と、こたえました。
亜莉子は首を拾い上げ、彼のフードの砂を払った後、
「あなたのことじゃないのよ、チェシャ猫。さっきそこを猫が通った気がして」
と草むらへ目を向けます。
首だけの猫はなんだそうだったのかい、と彼女の視線の先には興味を示しませんでした。
「…そういえば、あなたって普通の猫とはずいぶん違うのね」
チェシャ猫は少女の腕の中から彼女を見上げます。
「僕は猫だよ」
「でも猫は首だけじゃ生きられないのよ」
「猫は普通首だけになっても生きていられるものだよ」
亜莉子は少々頭が痛くなる思いで悩みます。
どうしたらこの猫にこちらの普通が通用するのでしょうか。
「歪みの国の常識と、こっちの常識は違うの」
首は、ふぅんとあまり感心なさげに相槌をしました。
事実彼自身が首だけでこの世界に生きていられるのですから、彼の主人の言い分がいまいち理解できないのでした。
「でも僕はこうして首だけでも生きているよ」
「うん…まぁそうなんだけど」
「窒息すると死ぬけどね」
「首から下がないのに窒息しないのはなぜかしらね?」
もし肺呼吸しているのなら、首が取れた時点で窒息してしまいそうなのに、と亜莉子は不思議そうです。首だけで喋ることができるのも謎です。
「さぁ?僕を食べながら考えてみるといい。おあがり、アリス」
「食べません」
もうこの猫は、ホラーなことを言うのは夏かハロウィンか深夜だけにしてほしいものだ、と呆れます。
「あなたを食べたら、あなたがいなくなっちゃうじゃない」
そう言ってから、自分はこの真っ昼間からホラーな発言をする猫にいなくなってほしくないのだと気付きました。
「いなくならないよ。ずっと一緒にいられる」
さも当たり前かのように、猫は言い切ります。
「さぁお食べ」
「食べません」
そんな形で一緒にいられたとしても嬉しくありません。
けれど、猫を食べない理由の一つに失うことが怖いというものがあるとは、自分でも少し驚きです。
「一度…いや、二度はお別れしたつもりなのにな」
「何がだい、アリス」
「ううん、いいの。今はこれで」
腕の中の首を抱えるようにして、フードに顔を埋めると獣の臭いがします。なんだか少し安心できて、猫をそっと地面におろしました。
「どこかにお出かけでもしようかな」
のびをひとつして、一人言のようにそう言うと、猫は喉をならしてこたえました。