歪みの国のアリス
□だって今、この瞬間が
1ページ/1ページ
どうして、何もないところから生まれた歪みで、あなた達は壊れてしまうの。
それは僕らが何もないところから生まれたからだろうね。
「よく、分からないわ」
何も無いところで生まれたものは、何も無いところからうまれたことに感化される。
そうして生まれたものは、現実には何の関係も無いようなことで、とてつもない影響をあたえる。
「何も無いとは言っても、何の過程も無しにうまれたわけじゃない」
何でもないようなことで、人生の歯車は狂う。
たとえばそれが、己がよかれと思ってしたことだとしても。
「アリスが居て、オカアサンが居て、オトウサンが居た頃、僕らは居なかった。居る必要がなかったんだ。その意味がわかるね」
私にはその意味が痛いほど分かった。
なので、うつむきながら首を縦に振る。
「悲しいことだけど、過ぎた時間はいくら後悔しても戻らない」
そう、いくら嘆いても、謝っても、私が悪いことをしたという事実は残る。
「そんな悲しい現実があって歪みはうまれ、僕らも生まれた」
私は叩かれて、心も体もとても痛かった。
「僕らはアリスが歪んでしまわないように、自らの身に歪みを取り込む。しかし、歪みそのものの性質は僕らの体内に入っても変わらない」
だから、僕たちは壊れていくんだ。
「そんなの…それこそ悲しいよ」
「僕らのことは気にしなくていいんだよ、アリス」
君は安心して歪むといい。
あなたたちはいつだって、私の幸せを最優先する。
悲しくなるくらいに、一途に想われる。
けれど、どこか満たされない。
「僕らが居ることでアリスは歪まずに済むけれど、僕らが居る限りは本当の意味でアリスは幸せになれない。皮肉な事だね」
彼女の幸福を願う不幸の象徴たち。
彼らが私に本物の幸せをくれることは無い。
それでも悲しいだけの現実よりは、ここに居る方がましだと夢の住人が引き止めようとすることもあった。
「…夢を見たわ。幸せな夢だった」
とてもとても幸せすぎて、現実に帰って来ることが怖くなるくらい。
「でもね、目が覚めたら放課後の教室だった」
そこにあったのは、今まさに目の前に居るにんまり顔だった。
「幸せな夢の続きは悪夢だったってことかい」
その猫の返事に、私は笑みがこぼれる。
「私にとっては悪夢の方が優しいの」
「でも僕らはアリスに悪夢しか見せないよ」
君が目を覚ました時に、現実が悲しくて泣かないように。
「それじゃあ私が幸せになれたときは、チェシャ猫も消えちゃうの」
猫は頷く代わりに転がって私に近づいて喉をゴロゴロ鳴らし、
「出会った時から別れが来ることは必然的なのさ」
といつものようににんまりと笑う。
愛おしい悪夢からはいつか目覚める。
現実だっていつまでも変わらないものは無い。
私もいつか、オカアサンと一緒に笑える時が来る。
「そうよ、チェシャ猫。私たちは出会ったわ。人はね、何かと時間を共にすると愛着を持つものなの。だから、それが無くなることは少なからず悲しく感じるものよ。もう出会ってしまった私たちなんだから、私たちが別れることが私の幸せだなんて言わないで」
そう言って猫の首を引き寄せて、抱き上げる。
この温もりを知ってしまったから、まだ離したくないと思ってしまう。
「苦しいよ、アリス」
そう言われ、自然と首を抱える手に力が入っていたと気づく。
猫を離してクッションに下ろしてあげた。
「亜莉子夕飯だぞ」
叔父さんの声が聞こえた。
はーい今行くと返事をして、猫を見下ろす。
猫は私を見上げる。
「ふふふ。確かに、猫の首と話をしている高校生だなんて、幸せ者には見えないでしょうね」
ついつい笑いがこみ上げてきた。
しかし、自然に笑えるようになったのは彼らのおかげだろう。
「もしかしたら…」
「何だい、アリス」
「いいえ、何でもないっ」
私は立ち上がり、猫に後でねと手を振り部屋を出る。
今も、ひとつの幸せの形かもと猫に言ったらアナタが消えてしまいそうで、口にはしないことにした。
fin.