歪みの国のアリス

□人をタべた話
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「えぇ、アリスを食べました」

チロチロと先の割れた赤い舌を見せながら、蜥蜴は言う。

「アリスの味は、どうだったかい」

僕は彼に尋ねてみる。
誰に聞いても答えはいつも同じだったが。

「舌がとろける極上の味でしたよ」

と、何ともない舌をチラつかせながら言う。
とろけていないではないか、と伝えるべきだろうか。

「そうかい」

とりあえず返事だけを返すことにしておく。
不意に僕はビルのテラテラと緑色に光る髪を見ながら、自分とは反対の色だと思った。

「何か、不満なことがあるようですね」

そう蜥蜴に聞かれて、自分自身で初めて不満な気持ちなのだと気付かされた。

「顔に出ていたかな」

「いいえ、いつも通りの顔です」

僕は首を傾げる。

「それじゃあ何で僕が不満そうだと気付いたの」

「不満だったのですか」

彼は気付いてなどいなかった。
ただ何となく僕に聞いたことが当たっていただけのようだ。

それだけの会話を交わすと、僕らはお互いにしばらく黙っていた。
その間、僕はこれまで会ってきた歪みの国の住人たちのことを思い返す。


はじめに会ったのはあんパンたちだった。
それは奇妙な光景だった。

争いごとばかりしているはずの漉しあんと粒あんが、手を取り合い肩を組み合い談笑していた。
平和そのものだった。
あんパンたちは言った。

「俺たちはどちらがより食べられているかや、メジャーであるか、選ばれるかなんかどうでもよくなったんだ」

「ああ、そうだとも。パンがいつまでも食べられる側であるとも限らないしな」

「このまま腐ろうがカビが生えようが知ったことじゃ無い。むしろ本望だ」

「幸せだよ…パンとして生まれて、こんなに幸せなんだ。この幸せな気分のまま果てたいなぁ」

同じような言葉ばかり繰り返す彼らを見かね、僕はなにがあったのかと尋ねた。
そうすると、彼らは一斉にこうこたえたんだ。

「アリスを食べたんだ」

そして口々に、

「いやぁ天にも昇る味だった」

「アリスを、嬉しいなぁ。食べられるだなんて」

などと味を絶賛した。

次に会ったのは時間くんだった。
彼は普段と違う形状をしていた。
なんと、彼に首があったのだ。

僕は

「あんパンたちが、アリスを食べたと言っていたよ」

と伝えると、時間くんもアリスを食べたと言うではないか。
そしてうっとりとしたように、いかにアリスが美味だったかも話してくれた。

その次はグリフォンに会った。
彼に

「君はアリスを食べたかい」

と尋ねれば

「あぁ。食べた。非常においしかったわい」

とこたえ、鷹も満足げに鳴いた。
そして彼は、お尻と頭が入れ替わっていた。
それは場所が変わっていたのではなく、ただグリフォンが言うには

「もともと尻の方向に飛ぶんじゃから、もしかしたらはじめから頭はこっちだったのかもしれんなぁ」

と、非常に納得したように話した。

蛙たちにも会った。
彼らは僕がたずねる前に、

「やぁチェシャ猫。聞いてくださいよ、実はアリスを食べたんです!」

「そうそう、食べました。いやはや、形容のし難い美味しさ」

「食感や口当たりの細部まで覚えてるんですよ〜」

「おいしかったなぁ。天にも昇るような心持ちだ」

などと、料理を運ぶのも忘れてアリスの味を絶賛した。


誰もが口々にアリスを食べたと言い、極上の味だったと絶賛し、歪みの国の常識から外れた状態になっていた。
女王は首に見向きもせず、バラは猫を襲うことはなく、ネムリネズミは常に覚醒し、公爵夫人は食事を止め、芋虫は禁煙していた。


「何か、不満なことがあるようですね」

ビルにそう言われて、僕は彼のことを見る。

「うん。僕は不満だらけだね」

ふと、そういえば蜥蜴は何が変わったのだろうと疑問になった。
見たところ雰囲気は変わりがないし、緑色の髪の毛に微笑むような口元、先の割れた舌と揺らぎの無い立ち姿で、身体的にも変わりは無いようだ。

「何故、何が不満なのですか」

そう問われても、僕はしばらく自分自身の不満の原因を掴めずにいた。
それよりも今の歪みの国の異様な事態の方が気になっていたからだ。

「僕は悔しいんだよ。みんながアリスを食べたと言って」

「それは間違っていますね」

間違えている。
僕も、口から出した時に違うと思った。

もう少し根本的なところが問題なのだ。

「僕は…納得がいかないよ。だって、僕がアリスを食べたんだもの…」

そうだとも、他の住人たちが食べるはずがない。

「私のどこが変わったか、気になりませんか」

僕が残さず食べ尽くしたはずだ。

「そして僕は…アリスを取り込む前に、君たちを殺したんだ。全員」

だから、天理は崩れてしまった!

「アリスの味はどうでしたか、猫」

アリスの肉は、舌がとろける
この世に一つの極上の味。

「アリス。アリスを守るのは僕だ」

君を決して悲しませたりはしない。

「チェシャ猫、あなたは灰色から赤色になったのですね」

僕の、僕だけの、アリス。

「君に言ってなかったことがあるね。僕は、これまでアリスを食べたと言っていた、君以外の住人たちを」

猫は灰色、という常識はなくなった。

「私はアリスを食べることで、アリスに最も近い存在になりました」

「もう一度、殺しているんだよ」

だって、僕はこんなにも赤い。



あんパンは皆引き裂いて水の中に落とした。

時間くんは首を折って切り裂いた。

グリフォンはヘビの方は引き抜くように千切り、鷹は頭を潰した。

蛙たちは全員の内蔵をぶちまけた。

女王の首を跳ね、バラに火を放ち、ネムリネズミは爪で叩ききり、公爵夫人に包丁を突き立て、芋虫を踏み潰した。





「殺さないのですか、」

「殺すよ」

僕は蜥蜴の殺し方を探していた。

「トカゲは尻尾を切ったくらいでは死にませんよ」

チロチロと眼下で動く舌が目障りだ。
裂いてやろうかと考えたのと同時に、この舌でアリスの味を堪能したのかと思った。

「今、アリスを食べた君を食べてみようかと考えていたのさ」

「嘘をついていますね」

もちろん嘘に他ならない。
みんながアリスを食べたからとはいえ、あんパンや蛇や蛙を食べる気にはなれない。

「アリスを守るのは、僕だけでいいんだよ」

「歪みの国の住人達全員でアリスを食べたと言うのに、いささか順番を間違えているように思いますよ」

違う、とすぐさま言い返そうとしたが、声にならなかった。

「僕はその前に、君たちを全員殺したんだよ」

あぁ、僕は気付いてしまった。
僕がアリスを取り込んだのに、彼らが当たり前のように存在しているのが怖くてたまらないのだ。
自分が殺した人物たちがいつの間にか普通に生活をしていて、僕を怨むでもなく抵抗もせずまた僕に殺されていくだなんて、よくできた安いホラー映画みたいだ。

何故、抵抗をしないんだい。とは聞かなかった。
きっと、みんなはこうこたえるだろう

『アリスを食べて、それだけで満足しているから』

と。










空に、赤くなった僕の手を差し出した。

「…アリス。僕を怨んでいるかい」

君を食べただけじゃ、物足りない僕を…。
雨が降っていた。
その雫は足元にある肉塊に当たり、赤い小川となって海に流れていく。


答えを求める腕に、彼女の言葉は届かない。









fin.

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