短編中編
□救世主
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あの頃からずっと、君は僕の救世主だった
清々しい金属音が響くと、使い込まれた白いボールがグラウンドを囲むフェンスまで飛んで行く
見事なホームランだ
『ホント、有言実行するんだから…』
試合の前に言われた言葉を思い出して呟いた
―絶対ホームラン打って来るのな!
地区予選決勝を前にしてそう宣言して行った山本は、その通りに打って見せた
この試合の後にはちゃんと見ていたか聞きに来るのは明白だ
そこからの試合展開は苦戦していたのが嘘のようにヒットを連発、見事勝利を収め本戦に駒を進めた
「ハヅキ!」
『お疲れ、よく宣言通りにホームラン出したね』
「ハヅキがちゃんと見ててくれたからだぜ」
恥ずかしげもなく言い切った
ファンクラブの女子達が聞いたら嫉妬に狂ってしまうだろうか
しかし今のところ妬みを引き金にした逆恨みの被害は受けていない
それが幼馴染みだからと寛大に受け入れられているからか、並中に張り巡らされた呪布達のおかげかは分からないが
少なくとも現状は悪くない
だが、所詮は幼馴染み
それ以上には到底なり得ない仲だ
ましてや天然が代名詞にもなる山本はその手の感情に疎いとくれば
奇跡でも起きなければ恋は成就しないだろう
最も、ハヅキは山本にその感情を向けてはいないが
「なぁハヅキ、やっぱり野球部のマネージャーやってくれねーの?」
『何度聞いても答えは変わらないよ。僕は元々野球は好きでもない』
その言葉に少し残念そうに視線を落とす
それを見て付け加えた
『でも嫌いじゃないよ。僕が応援してるのは、野球やってる武なんだから』
「…そっか!」
パッと笑顔が戻る
まるで子犬だと思いながら薄く笑った
思えば昔からこの笑顔に心を救われていた
家の面倒な事情に囚われ精神が疲弊した時も、悲しみに暮れて涙した時も、山本の裏表のない言葉と笑顔に安らぎを覚えた
行き詰まった自分をいつでも救ってくれていた彼の存在は、メシアその者だった
だからこそ、時折思うのだ
その大切な存在を守れる者になりたいと
『武はさ』
「ん?」
『僕にとって救世主なんだよね』
「どうした?突然」
前に伸びる影を見つめながら言うが、隣がきょとんとしているのは見ずとも分かる
『ちょっと昔の事思い出してね。あの頃の僕は君に救われてばっかりだったな』
「そうか?俺もすげー助けられたけどなー」
『どういうこと?』
「お袋が死んだ時さ、ハヅキがいたから、ハヅキが笑ってくれたから寂しくなかったんだぜ」
思い返すと気恥ずかしいのか、頬をかきながら笑う
『あれは…ああでもしないと武、泣かなかったでしょ。無理して笑うなんて事しなくて良かったのに』
「だな。だからそう言われた時、心が軽くなったっつーか…何か嬉しかったのな」
お互いに本心が求める救いの手を差し延べあっていた訳だ
『まぁ結局は家族みたいな物だし、辛い思いはしてほしくないから』
何気なくそう口にすると、隣を歩く影が立ち止まった
『武?』
「なぁ…もし俺が、ハヅキが好きだって言ったらどうする?」
余りに唐突な告白だ
しかし漠然とし過ぎて想像も付かない、そういう関係としてはピンと来なかった
『よく分からないかな。イメージが沸かない、家族みたいに思ってるから…そういう対象としては見れないよ』
「ハヅキ…そうだよな。ずっと近くにいたんだもんな…悪ィ、変な事聞いちまって」
いつもの冗談のように笑顔を見せるが、どこか憂いが混ざっていた
『武は、僕とそういう関係になりたいの?』
「…そうかもな」
意外すぎる返答だ
「ハヅキが俺を家族だと思ってる事にモヤモヤしてたし、やっぱ幼馴染みじゃその程度なんだって思うと何か悲しくてさ」
ずっと近くに居たからこそ、それ以上にはなれないと気付いていた
『…やっぱり、僕には考えられない。きっと分かり過ぎたんだよ』
「…そっか」
会話がなくなっても夕陽を背に並んで歩くのは長年の習慣になっている
差し迫る分れ道を見ながら、これからどう接すればいいか考えていた
「ハヅキ」
十字路で背を向ける直前に名前を呼ばれた
「さっきの、気にしなくて良いぜ。無理に変わろうとしなくても構わねーから」
変わる事を望んでいたんじゃ無いのか、とは言えなかった
「そのままのハヅキが好きなんだ」
『武…』
2回目のその言葉はすんなりと心に落ち着いた
先ほどまでの靄が取り払われたように気持ちが晴れる
「それに、ハヅキは俺が守るのな!」
笑顔がいつもの調子に戻った
『へぇ、それは心強いね』
「…ハヅキ、その言い方当てにしてねーだろ」
いつもの会話が戻って来ると、それぞれの分れ道を歩き出した
『やっぱり君は、僕の救世主だよ』
後ろ姿を見送りながらそう呟いた
end