* * *

 慌てて飛び起きたイヅルは、寝間着のまま執務室へ走った。自分の執務机の抽斗を開ける。

「……やっぱり……!」

 提出期限が数日前の書類が鎮座していた。
 余裕をもって仕上げたはずなのに、どこかへ持っていって受理された記憶も、誰かに頼んだ覚えも綺麗さっぱりなかった。

「どうしよう……」

 もう一度提出期限を確認しようと書類を手に取ると、その下から『要返却』の赤い判が顔を出した。

「え? うそ……これも!?」

 一か月前に出したはずの重要書類だった。いや、出した『つもり』だっただけだったから、こうして出てきたのだ。
 もしかして、と下を覗くと、半年前には提出していなくてはならない書類があった。その下には一年前、さらに下から二年、三年前の書類が次々に出てくる。

「う、嘘だ……こんな……こんな初歩的なミスをっ……!」




「……という夢を見たんです」
「それで寝坊したんやな」

 今朝、イヅルは遅刻した。それも二時間以上。
 滅多にない珍事にギンが理由を訊いても、イヅルは茫然としてなかなか答えなかった。というか、執務室の入り口で亡霊のように立っていたイヅルを、椅子に座らせて湯呑を持たせて、落ち着くのを待っていた。
 飲み慣れた茶の香りと手に馴染む湯呑の感触で、ようやくイヅルは現実に還ってきた。

「で、すごい寝汗をかいたので湯を浴びて茶漬けをかっこんでから、急いでここに向かう途中で夢を思い出して、」
「入口んとこで固まってた、と」

「そんなの、リアルあるあるじゃない」

 午前中から聞くのは珍しい声が、イヅルの動揺を一刀両断した。

「あれ、松本さん。おはようございます。昨夜はお泊りだったんですか?」
「おはよ、吉良。今日は女性死神の健康診断があったからね」

 席官クラスの女性死神の健診日だったっけ、とイヅルはカレンダーを振り向いた。自分の席に戻ったギンが呆れ混じりの溜息を吐く。

「朝イチで起きれる自信ない・いうて、昨夜えらい遅い時間になってからヒトの部屋に押しかけて来たんや」

 飲んだら駄目と言われたら飲みたくなるとか、こんなの年に一度でなければ我慢できないとか、ギンに言っても無駄な文句を吐きながら、ギンの部屋でさんざん駄々をこねて転がって安眠を妨害しまくった。
 朝は朝で、遅れないよう早めに起こしてくれたギンに、寝ぼけて逆ギレしてしまった。しこたま怒られて叩き出されたが、四番隊に早めに到着したおかげで、あらゆる検査の待ち時間がゼロだった。

「どんだけ夢見わるくても一人で起きれるイヅルの方が偉い」
「だーかーらー。そもそも書類の期限くらいで悪夢だって騒ぐ方が変だって言ってんの」
「くらい・て……」

 責任ある立場なら慌てるだろう。しかも次から次へと、下にいくほど古いものが出てくるとか、現実だったらホラーでしかない――その前に催促の一本もきているだろうが。

「でも、ホントにこないだ一ヶ月前に出さなきゃなんない書類が出てきたわよ?」
「どっから?」
「あたしの机の抽斗から」

 あっけらかんと言い放つこの奔放さはギンの知らないところで形成されたものだから、幼馴染だからといって責任を感じる必要などないのだが、いつものことながら日番谷に対して申し訳なくて仕方なくなる。

「……で、その書類。結局どないしたん?」
「隊長が目を通してから、黙って出しに行ってくれたわ」
「……。」

 どこへ提出しなくてはならないものだったのかはわからないが、きっと日番谷は下げなくてもいい頭を下げたのだろう。生真面目な彼なら、監督不行き届きを謝罪したに違いない。

「上司に恵まれたこと、感謝せなあかんで?」
「えー、あたしギンの方がよかっ「駄目です! 市丸隊長は駄目で――あだ!!」

 本当に未提出の書類がないか、執務室中を探していたイヅルは、急いで立ち上がろうとして書類棚にぶつかった。開けっ放しの抽斗がカコーンと脳天に落ちた。

「……ほんと書類なんて、大したことない、と思うわ……今のあんたを見てると……ね、ギン?」
「うん、ま、あったとしても……常習犯ちゃうし」

 微妙な雰囲気の漂う執務室に、珍しい霊圧が近寄ってきて扉を開けた。乱菊を発見すると、あからさまに眉をしかめる。

「昨夜は仕方ねえから許可したが、いつまで油売ってたら気が済むんだ」
「あ、隊長」
「『あ、たいちょー』じゃねえ。仕事が溜まってるんだぞ」
「ふあーい」

 日番谷はギンに向かって、邪魔して済まねえな、と軽く頭を下げてから瞬歩で消えた。

「わざわざ迎えに来てくれはる、ええ上司やん」

 健康診断の結果に問題があって長引いているのか心配になって四番隊近辺まで来てみれば、副官の霊圧は三番隊に留まったまま。安心と呆れが突き抜けてしまったらしく、言葉にも棘がなかった。

「そうね。今度からは気を付けるわ……隊長の眉間に鳥居が立ったり、橋がかかったりしないように」

 鳥居が立つ、橋が架かる……。すでに手遅れな気もしたが、今より酷くならないことを祈りながら、ギンは苦笑で乱菊を見送った。

 * * *








[TOPへ]
[カスタマイズ]

©フォレストページ