市丸帝国

□希望の春:3(終)
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 乱菊は『チビ丸日記』を閉じた。楽しいからつけ始めて、そのまま続けているのだが、最初から読み返してみても、記憶が戻る気配さえない。もしかしたら本当に卯ノ花隊長が推測した通り、『戻ってくる』為の代償に、記憶が抜かれているのかもしれないな、窓の外をぼんやり眺めていたら、例の如く、「仕事しろ」から「お仕事してくれませんか」という、諦め口調に変わった自隊長の懇願が聞こえてきた。そろそろ尸魂界も梅雨に入る時期になっていた。



 「で、お話というのは?」
 その頃、吉良は総隊長に呼ばれていた。


 「隠密機動から報告があっての、他の二人が見付かる気配はないそうじゃ。市丸の方はどうかの?」
 「一向に…」

 嘘をついても仕方がないのだが、そもそも、つく嘘がないのだ。沈みがちな返答と共に、深い溜め息が出た。

 「吉良、奴の記憶が戻ることを期待するな。もし前兆が見えても放っておくのじゃ」
 「何故ですか?」


 チビ丸が『市丸ギン』としての記憶を取り戻したら、それが引き金となって、三界の何処かに、残り二人が現れるかもしれないからだと言う。
 「払う犠牲が何であれ、護廷としては、危険を見逃す訳にはいかんのじゃ。そなたとて、見た目が幼子を手に掛けるのは忍びなかろう?」
 「隊長の記憶が戻るようなことがあれば…僕が始末をしろ…と?」
 「お主等の居らん場所では隙を見せんのじゃ。彼奴は、お主か松本副隊長にしか隙を見せんからの」
 「…そ、んな」




 どうやって自隊舎まで戻ったのか、全く覚えていない。総隊長の言葉が頭の中をグルグル回っている。
 「松本さんには…絶対話せないな」


 「おかえりィ。今日のおやつ、早ぅ出してぇな」
 チビ丸狐が霊術院から帰ってきていた。無邪気に手を伸ばして、お菓子を催促している。じんわり涙が浮いてきた。
 「な、なんや?どないしたん、イヅル?お腹壊したんか?転んだんか?せやなかったら誰かにイタズラでもされたんか?」
 「大丈夫ですよ、そんなイタズラするのも、出来るのも貴方くらいですからね。それより今日のおやつですね?頂き物の葛饅頭ですよ。今、お茶と一緒にお持ちしますね」



 「イヅルが変なんや」
 「吉良が変って、いつもの事じゃないの?」
 「違ぅような気ィするんやけどなァ…?」

 学校帰りに十番隊舎に寄ったチビ丸を、いつもは追い出そうとする日番谷までもが、何故か今日ばかりはもてなしてくれた。

 「う〜ん、鼻血出しすぎて、おかしくなっちゃった、とか?とにかく、しばらく様子見るしかないんじゃないの?」
 「最近、鼻血なん全然噴いてへんで?悩み…女ちゃうんやろか?彼女でも出来たん違ぅん?」
 「吉良に限ってそれは有り得ないって☆」
 「せやろか…?ほんでも、付き合うとる彼女、出来たんやったら、部屋出てったらんとアカンよなァ?」


 「どうだ?心配するだけ損だろ?」
 「そのようですね。ありがとうございました」
 「いや、松本に言わないで居て貰えて助かったから、お互い様だ」



 記憶が戻るかもしれない等とは杞憂に過ぎないということが、幸か不幸か分からないまま、季節は梅雨から夏に流れていく。チビ丸の霊術院卒業も間近になっていた。護廷入りも、もうすぐ。



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