風日祈宮

□Love letter
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 1942年、満州国。


 「ここではまだ桜は咲いてないのね…」

 遠縁の叔父に頼み込み、以前から行ってみたいと思っていた満州国開国十周年と、満業五年の記念セレモニー出席に合わせて異国の地を踏んだ乱菊は、船に乗り込む前に、港へ向かう道の途中で見た、日本の桜を思い出していた。白く霞む花吹雪の中、名以外は良く知らぬ大陸を夢見て揺られた車の中から眺めた、舞い散り注ぐ、あの桜吹雪を…


 きな臭い国情や、戦地の情勢は分からない。ただ、日本総国民を巻き込みつつある、熱に浮かされた嵐から逃げたかった。大陸を渡る風に吹かれれば、少しは気が紛れるかもしれないと思ったのだ。


 北にソ連軍、西に南に、国内にも中国人民解放軍と戦場に囲まれた満州は、内地よりも危険な多くのものを孕み、今にも爆発しそうな状態だった。激しさを増す一方の抗日運動を暗部に隠し持つ街、満州国首都、新京(長春)。





 「お嬢さん、昼間の日本人街でも、女性の一人歩きは危険ですよ。支那人苦力(クーリー)に見付かる前に、早く満業のお屋敷に戻られた方が良いです」

 確信を持ったように満業関係者だと分かって声を掛けてきている。髪の色からして、内地から来た邦人だと分かるはずもない。が、振り向いた乱菊は、声を掛けてきた憲兵の色合いを見て納得した。

 「憲兵さんも、お一人だと危ないんじゃないですか?邦人に見付かったら、憲兵の制服を強奪したロシア人と間違われません?」

 苦笑して、既にこの界隈も安全とは言えないので、取り敢えず安全な場所に案内するからついてきてくれと言った憲兵に、乱菊は、大人しくついて行った。



 憲兵詰所とは思えない、古びた建物に入ると、中は思いがけず現代的な造りになっていた。一番奥の部屋に案内された乱菊は驚いた。今まで見たことのない、見事な、銀髪。

 「そちらのお嬢さん、軍属関係者ちゃうやろ?どないしたん、イヅル?拉致って来たらアカンやろ〜?」

 「拉致じゃありません…保護したんです。では、自分はもう一度見回りに行って参ります」



※新京:満州国のみの長春の呼称

※満業:満州重工業(株)

※苦力:中国人労働者

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