風日祈宮

□『破天荒』
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 『最低なオトコ』


 地方勤務から本社に栄転になった。新天地で頑張ろう、そう決心した矢先に想像もつかないような噂を耳にした。それは、転勤で本社勤務になった社員を集めて歓迎会が開かれた夜のことだった。

「とうとう会長婦人、落ちたらしいわよ?」
「よくやるわよね〜」

 噂好きなOLの黄色い声がする。自分も同じ年代のはずなのに、付いていけないのは何故だろう?乱菊は首を捻った。

 噂によれば、会長が邪魔になってきた社長が、今でも影響力の大きい会長を追い落とす為に、半年くらい前にヘッドハンティングとかで何処かから連れてきた秘書を会長夫妻に会わせたとか、会長も対抗して、最近優秀な秘書を見付け出してきたとか何とか。世の中には違う世界もあるものだ、感心して聞いていた。

「松本さんの髪、ダークブロンドって言うのよね?地毛でしょ?」
「あ?あ、うん」
「いいなぁ」
「何が?」
「目立つじゃない?」

 目立って良かったことなんて、そんなになかった。どちらかといえば良くないことの方が多かったように思う。

「あれって、ウチに来てすぐの頃だっけ?」
「そうそう」
「金髪碧眼でしょー?」
「陰のある感じがそそるのにねぇ」
「お婆ちゃんより若いコの方が絶対に…」

 彼女達は、また噂話に戻っていった。自分には関係のないオハナシと割りきって、途中から聞いていなかった。噂話より、営業部の気のいいおじさん達と飲む方が楽しかった。バリバリ営業している外回りのおじさん達が気前良く話してくれたお陰で、この辺りの交通事情や、安くて美味しい定食屋さんなど、役に立ちそうな情報を沢山ゲットした。出席した甲斐があったというものだ。慣れない初めての場所では、タクシーの運ちゃんか営業のおじさん達が地元に一番詳しい。

「あー、良く飲んだぁ…タダ酒が一番美味し…何よ、これ?」

 アパートの鍵をバックから出して開けようとした乱菊は何かに蹴躓いた。

…浮浪者?ご丁寧に他人様の部屋の前で?

「どちら様?警察呼びますよ?」

 ドアの前に横たわる薄汚れたパーカーをグイッと引っ張る。本気で梃子でも動かない気か?寝てるのは分かってる。

「…あァ、おかえり」

 一瞬自分の耳を疑った。自分を知っているらしい口ぶりに驚くより、記憶の底に眠っていた何かが勢いよく目を覚ます。このイントネーション、昔よく聞いていた…

「もしかして、ギン!?」

 のっそりと起き上がった薄汚い固まりは、フードを取って、ニマッと笑った。

「アタリ。久し振りやね、乱菊?」



「何年振り?」
「十何…」

 手が出ていた。でも本当に懐かしい。子供の頃、同じ施設にいた幼馴染みの銀髪の男の子。二人とも他の子達とは違う髪の色のせいで、よく一緒にいた。乱菊は、髪や瞳の色を指摘されては取っ組み合いの喧嘩をした。勝っても負けても悔しくて泣いてたら、ギンが慰めてくれてた。

 アパートの通路に放置する訳にもいかないし、顔見知りだし、何より懐かしい顔。ギン相手に警戒心を持つ必要がない。部屋に招き入れて、お茶を出した。

 フラフラしていたら、昨日の夜、乱菊を街で見掛けたので、昼間この辺りをさ迷ってアパートを見付けたから、待っていた。ギンはそう言った。

「ちゃんと仕事してんの?そのカッコ、まるで浮浪者じゃないのよ」

「浮浪者て、酷い言われようやなァ、仕事ならちゃんとしとるよ?」

 得意気にずだ袋から出したのはコンビニの制服と、どう見ても土方のあんちゃんのツナギの作業着だ。

「…あんたねぇ、それ、『日雇い労働者』!フリーターって言うの!ちゃんとした仕事とは言わないのよ!?子供の頃、あんなに頭良かったのに、何してたのよ!?」

「ん〜?半年前まではキタでホスト。そっからこン街来る前まではウリ専してて…」

 乱菊の中で何かがブチ切キレた音がしたが、知ったことではない。今度こそ鳩尾に正拳を入れて、本気で沈めた。

 大切な思い出だった。身寄りのない子供達を集めた施設でも、異色だった二人はいつも一緒にいた。他の子達に意地悪されて、悔しくて泣くことが多かった乱菊に、ギンはいつも優しかった。大人達には分からないような賢いやり方で、いじめっ子達に報復する小狡さを持っていた。乱菊にとっては辛い思い出が多かった施設で、唯一暖かい思い出だったのに…よりによってフリーター?ホスト?しかもウリ専って…

「あんまり幻滅させないでよ」

 つい先程聞いた噂話を思い出す。世の中にはヘッドハンティングされちゃうような、やり手の切れ者もいるって言うのに。記憶の底に大切に仕舞っておいた宝物が、ガラガラ音を立てて崩れていった。

 化粧だけ落として、床に伸びたギンを放置してさっさと寝ることにした。羊を数える代わりに(これは悪い夢、これは悪い夢)と自己暗示をかけるように呟いていたら眠ってしまった。


「昔っから片付けが得意な方やないとは思とったけど…変わっとらんなァ」

 乱菊が寝たのを確認して起き上がったギンは、太陽の光を集めたような髪を軽く撫でた。

「よう頑張ってここまで来たなァ、乱菊?昔はあないに泣き虫やったのに…ほんま別嬪サンになって。あ、さっきの嘘やから信じんといて?あと、なるべく巻き込まんように巧くやるから、堪忍な?」

 額に軽く口付けると、見回した部屋を簡単に片付けた。翌朝用に、温めるだけの簡単な食事を作って盆に乗せ、ラップをかけてから、荷物を担いで、乱菊の部屋を後にした。



「やっぱり悪夢じゃなかったんだ…ギン、全然変わってない」

 起きた乱菊は、片付いている部屋を見渡して、机の上の食事を確認してから、「悪」を返上した。ギンに会えたのは良い夢。次はいつ会えるのか楽しみにしよう…。その時は、出来ればまともな仕事に就いてますように…。気持ちのいい週末だった。




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