風日祈宮

□嫁に来ないか
2ページ/5ページ


 伸ばした尻尾の先がアスファルトに触れるだけで移動が可能なのも一種の神通力なのだろうが、乱菊は同じ高さにギンの顔があるので話し易い、くらいにしか気にしていなかった。

「ねぇ、ずっと気になってたんだけど、その尻尾、攣らないの?」

 ビルの窓ガラスには、乱菊より少し背の高い銀髪の男がゆったりした歩幅で歩いている姿が映っている。が、肉眼で真横を見れば、年端もいかない和装束の仔狐が宙に浮いている。今日も乱菊は通り過ぎる人達の反応と現実とのギャップを楽しんでいた。

「えーと、アレ、何やったっけ?ほんま少しだけ宙に浮いとるロボット…」

 ギンは先程より少しだけ高く浮いてみせた。首を傾げる時に乱菊の眼にだけ見える大振りな耳が僅かに垂れる瞬間が、特に気に入っている。

「あぁ、ドラ○もん?」

 仔狐は納得がいった時にみせる満面の笑顔で頷いた。小さな子供に懐かれているような喜びと同時に、最近ではどこか腑に落ちない居心地の悪さを感じるようになっていた。

「うん、地面に直接着いとるん違てな、少しだけ浮いとんの。やないと汚れてまうやん?先っちょだけ洗うんも大変やし」

 乱菊は、帰宅と同時にバスルームへ駆け込んでフサフサの尻尾を懸命に洗っている姿を想像してみた。これは笑える。

「そ、そうね。ホント大変そうよね」

 耳は髪用のシャンプーで一緒に洗っているようだが、犬や猫より毛量が多い尻尾だけは、乱菊がペットショップで購入してきた長毛猫用シャンプーを使っている。

 髪にも乱菊のような癖はないし、耳や尻尾の毛並みだけならペルシャ猫より柔らかい。毎晩一緒に眠る時に頬や足に触れるのだから、乱菊にしても毛触りは柔らかい方が良いに決まっている。それなりに値が張る品だが、切らさないように気を付けてもいる。

「頭領さんは何で尻尾洗ってるの?五本もあるんだから、もっと大変なんじゃない?」

 ギンが御山で頭領達と暮らしていた頃は、湧水で身を清めるだけで済んでいたが、ちょくちょく人間界に遊びに下りる頭領と、その頭領を探して回る副頭領は人間が使う日用品を頻繁に購入していた。「お子様には百年早い」が頭領の口癖だった、とギンは懐かしそうに笑った。

 他愛ない会話を楽しみながら歩いていた矢先、ギンが素頓狂な声を上げて駆け出した。乱菊も慌てて追い掛けるが、尻尾の先だけで移動しているとは思えない速さに、どんどん引き離されていく。

「ちょっ!待ってよ…」

 特徴的な銀髪を見失うようなヘマはしないが、流石にヒールで全力疾走するには無理があり過ぎる。宙に浮く仔狐は、一本路地裏へ入っていく。乱菊はかなり遅れて角を曲がった。

「あー、いやぁ、その、何だ。だからね…」

「『あーいやその何だ』やないッ!やからの後に碌な言い訳付いとんの、聞いたコトあらへんわッ!」

 ギンが掴みかかっているスーツ姿の男性に見覚えがあり過ぎて、乱菊は再び頭痛に見舞われた。不幸にも朧気ながら、茶色の横縞模様の尻尾も見えてしまったのだ。今回の騒動の発端を追い掛けて御山を下りてきたに違いない。乱菊はビルの壁に凭れて深い溜め息を吐いた。ついでに弾んだ息も整える。ギンのように気軽に話し掛けられる相手ではない…目下は掴み掛かっているのだが。

「だって頭領がフラフラ居なくなっちゃったんだから、私が探さない訳にはいかないだろう?あんなんでも一応あの方は神様で上司なんだし」

 狸の副頭領から『あんなんでも』とか『一応』とか添付されている事実より、神格にも上司、部下といった認識があるのか、と乱菊は感心する。と同時に、狐頭領みたいな上司に振り回され続けるくらいなら、元より狐ではない副頭領は転職した方が心穏やかなのではないか、と前回より痩けた横顔を眺めていた。

 狐の里に迷い込んでからサポート役に徹してきた狸な副頭領は、どうやら次代の頭領である仔狐に弱いらしい。何か知られてはマズい裏でも握られているのだろうか…。乱菊は、どうせ近くに居るのはバレているだろうと、自販機で購入してきたジュースで喉を潤しながら、内輪揉めという名の立ち話を傍聴することに決めた。

「やったら、さっき何しとったん!メス猫口説いとったん、見られてへん思っとったん!?」

 乱菊は胸に小さな痛みを感じた。彼ら神格にしてみれば、自分も『百年も生きられない人間』の『メス』に過ぎないのかもしれない。ここ最近の乱菊が感じていた居心地の悪さの原因でもあった。

「メスなんて言い方したら彼女に失礼だろう?」

「何言うてんの!立派な野良猫やったやろ!?」

 身元が明らかでない人間の女性は、ギンにとっては野良猫に分類されるのか…。乱菊の足許が脆く崩れそうになる。それほどショックだった。

「血統書付きのマンチカンなんだけど、ギンには分からないかもしれないね。それに彼女ね、ちゃんと飼い主いるって言ってたよ。ただ、首輪が外れてしまって困っていたようだったから…」

…血統書付き?マンチカン?

 いくら狸がイヌ科でも、同じネコ目の血が騒いだのかもしれない。相変わらずギンは副頭領に絡んでいる。正確には一目で高級だと分かるスーツの胸元に両手でぶら下がっている。

「で?頭領探さんとナンパしとった、て認めるんやな?」

「あー、いや、だからね?袖振り合うも多少の縁って言うだ…」

「副頭領は袖振りすぎやっ!」

 乱菊はギンの言っていた『タラシでちゃらんぽらん』な、一言の弁明も出来ずにいる困り顔の副頭領を眺めた。視えない人には男前に映るのだろう。それはギンも同じだが、何故か乱菊には狐と狸が全くの別物に思えてきた。

 バッグから紙ナプキンを取り出す。もしかしたら書かれている内容以上に、実は思慮に満ちた何かが隠されているのかもしれない。

『嫁に来るか?というか来てください』

 誰の嫁に来てくださいとは書かれていない。間接目的語が抜けているのだ。乱菊はfor Ginかもしれない可能性にはじめて気付く。そのギンは副頭領への追及を続けていた。

「……見た目、完璧に子供じゃない」

 乱菊にとってギンは一緒に暮らせれば楽しいし居なくなれば寂しいが、恋愛対象にはなり得ない存在である。乱菊の瞳に映るギンの体が大人のものだったなら、身分(?)違いでも恋焦がれたかもしれない。だが、所詮は夢物語…

「頭領は君のお嫁さん探すって書き置き残して消えたんだ。だったら、この辺りに出没する筈だしね。なら、後は聞いて回る方が…」

「やからって、ナンパはないやろ、ナンパは!」

 ふらふらと乱菊はその場を離れた。ギンの嫁を探して頭領が来ているのだとしたら、狐でも狸でもない自分は、単に揶揄われたのだろう。何故か身を切られる思いがしたのだ。続きを聞きたくない一心で、乱菊は足が遠のいていた繁華街へ向かっていた。

 * *

次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ