風日祈宮

□Melty love
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 玄関の鉄扉を叩く音で起こされた乱菊は酷く不機嫌だった。枕元の時計を手に取った。アラームを合わせた時間より一時間も早い。届かないのは承知の上で、玄関のある方へ時計を投げ付けた。

「ったく、誰よ。こんな朝っぱらから…」

 此処に越してくるまではともかく、引っ越してから休日に訪ねてくる同僚はいない。考えられるのはツーリングチームのリーダーを譲った後輩か、隣に住み続けている義弟しかいない。どちらにせよ、乱菊の安眠を妨げればどんな目に遭わされるか判っている筈だ。承知の上で無茶をするなら義弟しか考えられない。

 そこで、乱菊は呆けた頭で理由を探してみる。

(なーんか引っ掛かってるんだけど…何だったかしら?)

 分厚いカーテンの隙間から洩れる陽射しは、今日は晴天だと乱菊に教えている。絶好の洗濯日和だ。

「あっ、思い出した!ギンだ!」

 跳び起きて叫んでから、かなり端折った感に苦笑が零れる。だが、彼から届いた絵葉書に要件は書かれていなかったのだ。他に言いようがない。取り敢えず思い当たる節があった乱菊は、足元に丸まっているガウンを羽織ってドアを開けた。

「お早うございます、まつもご…」

「お・義・姉・さ・ん!」

「あ、はい…お義姉さん」

「良く出来ました」

「じゃなくて!」

 全く、慌てるとすぐ戻るんだから…と愚痴る乱菊の寝起き姿を視界に入れないよう顔を逸らしながら、イヅルは早口でまくし立てた。

「スクランブルですよ、市丸さんが帰ってくるんです!」

「…はぁ?」

 たった二言で寝起きの頭が理解できる訳がない、とゴネる乱菊の背中をイヅルが寝室に押し戻す。鍋や茶碗が散乱するシンクを一瞥してから、閉めた寝室のドア越しに声を張り上げる。

「早く着替えてきて下さい!昼過ぎには飛行機が着くんです」

「ひ、昼過ぎ〜?今日の!?」

 移動しながらでも食べられる物を探していたイヅルが、乱菊の言葉に同意を示してがっくり肩を落とす。

「そうなんです、朝イチで電話したら、すぐ連絡とってくれたみたいで、折り返し電話もらったんですよ…」

 チケットを取ってから絵葉書を書いたことは、便名の明記で判る。そこに日付を入れ忘れたのか故意なのかは、本人に訊かなくては分からない。ともかくタチの悪い悪戯に変わりはない。一発ぶん殴ってやらなければ気が済まない乱菊は拳を握りしめた。

「空港に着いたら連絡ください。それまでにターミナルとかゲート番号を調べておきますから、」

 最後に手に取った上着を羽織りながら、乱菊は食品棚から簡易栄養食品を探り当てたイヅルに詰め寄った。

「ちょ、ちょっと、あんた一緒について来てくれないの!?」

 二人で迎えに行くより、一人は残って掃除しなければならないだろう、とイヅルは散らかりまくりの部屋を見回した。部屋の隅に積んだ物が雪崩を起こして中央部を浸食している。妙な存在感と圧迫感を醸し出している。

 数か月で見慣れてしまったイヅルは、以前ギンが一人で暮らしていた頃の部屋の情景を思い出せない。認識としては『物がなければギンの部屋』程度である。

「だって、この部屋の何処でご飯食べたりお喋りしたり出来るんです?それとも空港近くにホテル取りましょうか?」

 ツインよりダブルの方が良いだろう、とイヅルの中で決定事項として処理されかけている状況に、乱菊は同じ高さにある両肩を掴んで揺さぶった。

「嫌よ、一人じゃ困るの!どんな顔すれば良いのか分かんないのよ!」

 式を挙げて一週間しか一緒に居なかった男、海の向こうへ行ったきり十ヶ月近くも帰ってこなかった男を、どんな表情で出迎えれば良いのかさっぱり分からないのだ。今の乱菊は溺れる者。どんな頑丈な藁の縄よりイヅルに頼りたい。

 掴まれた肩を揺すられながら、イヅルは久し振りの事態に懐かしさを感じた。

…やっぱり振り回される運命なんだ、僕は

 大小に関係なく、事の発端はいつもギンだった…ような気がする。乱菊に揺すられ過ぎて遠くなりかけた意識の中で、イヅルはそろそろギンを恩人と慕うのを止めれば、出会う前は当然だった平穏な生活を取り戻せるのだろうか、と考えていた。



「俺ってホント可哀そう」

 気分だけでもシンデレラになって盛り上げよう、とシーツを腰に巻いて座り込み、箒に頬擦りしているのはイヅルに呼び出されて乱菊から『お願い』されて部屋の片付けに勤しんでいるジェラシーの塊、修兵である。

 建物近辺へ近付くことさえ禁じられて落ち込んでいた修兵が大喜びで駆け付けてみれば、ギンの帰国を教えられて更に落ち込んだ。しかも二人の為に部屋を掃除してくれという。交換条件を出そうとした修兵に乱菊の方から持ち掛けられたのが、今夜の食事に同席できる権利だった。

「笑ってる顔見れれば幸せとか、俺ってどんだけ一途な純情なのよ、ってハナシだよなー」

 今も変わらず乱菊を想っている。後輩のイヅルも可愛い。恋敵の筈のギンでさえ憎めない。人が好いにも程がある、と乾いた笑いを溜め息に乗せて吐き出した。

「俺が掃除した部屋であの二人が仲良く…、ってちょっと待てよ。あの二人って、もしかしなくても、まだ…」

 掃除はして欲しいが絶対に入るな、と念を押された寝室のドアを振り返ってみた。遊ぶ余裕はなかった筈だと聞いていたが、その実ギンは女の扱いに慣れている。乱菊が証言していた。そのギンが乱菊に手を出していないとしたら…。

「そんだけ乱菊さんが大事っつーことね。あー、だから憎めないのか…」

 一瞬、ギンが向こうで出会った女といい関係になって永住することになったから別れてくれないか、と言いに帰ってくる可能性も考えたが、彼が乱菊以外の女に見向きする様が想像できない。それほど結婚するまでの半年、互いに素を晒した口喧嘩が絶えなかったのだ。

「しゃあねぇよなー、惚れちゃった俺が悪いんだから」

 男女問わず気に入った人物への自分の惚れ易さを半ば恨めしく思いながら、そんな自分も悪くない、と不敵な笑みを浮かべて、修兵は中断していた掃除を再開した。



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