風日祈宮

□SS〜スクールスキャンダル
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 乱菊は覗き込んできた伊勢へ手渡すべく、答案用紙を一枚選び抜こうとした。

「相手が生徒だろうとフる前提だろうと人として最低限の敬意を払うのがあたしのモットーだけど、これは流石に頂けな…」

 付き合いが長いだけあって乱菊の人となりを良く承知している伊勢は、突然固まってしまった乱菊の肩越しに、手元を覗き込んでから絶句した。


『じゃ、取り敢えずセックス。一発やってみたら考え変わるから』


「……」「……」

 乱菊は伊勢が落としかけた紙片の下に慌てて両手を差し伸べた。

「ね、ねぇ、七緒?こいつ、本当に高校生?」

「い、い今時のここ…ココウセイって、ほら!ませてるから!」

 真っ赤になってどもる同僚が不憫になった乱菊は(『ここうせい』って幾ら何でも噛み過ぎでしょ…)と国語教師としての感想を呑み込んで、伊勢の手から問題の答案用紙を抜き取った。

 校長や教頭、お堅そうな学年主任に見付かったなら、まず監督不行き届きで叱責されるのは伊勢だ。バカな生徒の悪ふざけの所為で罪のない親友が責められる場面は見たくない。乱菊は手早く答案を二つ折りにしてデスクマットの下に滑らせた。

 そして深い溜め息を一つ。

「とにかく、この生徒のツラ…じゃなくて特徴、教えてくれる?」

 自ら出向いてヤキを入れてやらねば乱菊の気が済まなくなっていた。ついつい教師にあるまじき言葉が口を突いて出てきてしまう。

「特徴?別にこれといった特徴は…そうね、女の子が羨ましがるくらい色白で、後は…すごく度がきつそうな眼鏡をかけてること…くらいかしら」

 乱菊は伊勢の話を聞きながら『色白、眼鏡』と何度も繰り返した。そのうちに乱菊の中で、長い髪の不健康そうな顔色をした、ぶ厚い眼鏡を掛けている小肥りな男子学生像が出来上がっていった。いわゆる引きこもり一歩手前の『オタク系』である。

(今にみてなさいよ、『市丸ギン』!この乱菊さんが、大人を揶揄ったら痛いめに遭うって後悔させたげるから…)

 乱菊は空に描いた『市丸ギン』を思い切り睨み付けた。そこに運悪く居合わせた新卒の同僚が怯えていることにも気付かないくらい、青い瞳にギラついた闘志をたぎらせていた。


 * * *


 授業に必要な一式を抱え、乱菊はとある教室前で深呼吸を繰り返していた。

 『2年2組』

 あれから伊勢を含めた同僚と何度か飲みに繰り出した。一度だけどんな生徒か探りを入れてみたが、口を揃えて『目立たないが出来る生徒。今時の高校生には珍しく礼儀正しい』と評したのだ。

(あれの何処が礼儀正しいのよ)

 さっぱり判らない。さりげなく伊勢から聞き出して名前を覚えた学年主任も、気のおけない同僚達も、それなりに高い評価を『市丸ギン』に与える。そろそろ進路を決めるべき時期の定期考査の答案で堂々とプロポーズしてくるような生徒が、成績優秀・品行方正な訳がない。乱菊が2組の近くを通る時にも、謝罪や言い訳を告げに現れる影も見当たらない。

(バカにしてんの!?)

 折しも今日は8日。乱菊としてはこういう方法は取りたくなかったが、日付に託つけて8席の彼を指名してやろうと決めていた。先週からは小難しい理論を展開することを得意とする作家の評論が教材になっていた。絶好の機会だ。しどろもどろになって「分かりません」と言わせたかった。

 うつ伏せていた顔を上げ、乱菊は取手に指先を掛けた。決戦は今日…

「市丸ギン…市丸…市丸君?居ないの?」


 普段よりキツい語調で出席を取るの乱菊へ、最前列の生徒が恐る恐る『市丸ギン』は欠席だと告げた。


 * * *
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