短い読物

□相思華
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「綺麗かもしれんけど、食べたらアカンよ?抜きすぎなくらいしっかり毒抜きしたら良ぇけど」

 土手一面に広がる、不思議な形状をした、赤い赤い綺麗な花。乱菊が顔を寄せていたら、木の実を採っていたギンから注意が降ってきた。

「毒でもあるの?」

「ある、っちゅうたら、あるな」

「…意味、分かんない」

「何や、乱菊、食べてみたいん?腹減ったんか?」

 するすると木から降りてきたギンは、木の実が入った籠を脇に置いて、素手で地面を掘り始めた。

「ねぇ、食べれるのは根っこなの?それに毒があるんじゃないの?食べれないんじゃなかったの?ねぇ、ギンってば!」

「水に良う晒したら、食べれんこともないで?薬にもなるし」

「薬?毒花なのに?」


 乱菊がギンと暮らすようになって、いくつもの季節が、何回も過ぎていった。物知りなギンは、生きていく術を沢山持っていて、その都度、丁寧に乱菊に説明した。季節が一巡りする頃、うっかり忘れていたら、また乱菊は尋ねて、ギンが答えてを繰り返し、ようやく尋ねる回数も減ってきた。毎年収穫の時期になると、冬に備えて日保ちのする食べ物を集めるのに忙しく、土手に咲く赤い花に目を奪われる余裕がなかったのだ。今年は特に要領よく食べ物を集められたので、土手に座って花を見ていたら、吸い込まれるような心地がしたのだ。

「死人花、とか、捨子花、狐花、曼珠沙華とも言うな。普通は彼岸花、て呼ばれとる花や」

「狐は分かるようで良く分かんないけど……『ひがん』花?」

「お彼岸の頃に咲くから、っちゅう意味。食べるとお彼岸さんに逝けるから、とも言われとるし」

「こっから、まだお彼岸なんてあるの?」

「さァ?一回お彼岸に来て、まだ先にも彼岸があるんやったら、拝ませてもらいたいモンやねェ」


 一度死んで貧しい生活をしている上に、花を食べてまた死ぬなど、二人とも真っ平御免だ。だが食べられるものならば、食べ方を覚えておくのも悪くない。一緒に掘って集めたら、木の実を入れていた籠に一杯になった。

 水にさらして、何回も洗う。見た目が芋とあまり変わらない彼岸花の球根に、乱菊がそろそろ飽きてきた頃になって、ようやく食べていい、とギンから許可が出た。

「…お…美味しくない…」

「非常食みたいなモンやし。まァ食べれへんことはないんやから。何も食べるモンがない時は、腹の足しにはなるやん?」

「確か、薬にもなるって言ってたよね?」

「傷薬ンなる」

 ギンは、自分がかじっていたものを磨り潰して、乱菊の膝頭に塗り付ける。今日、川の近くで足を滑らせて転んだ箇所だ。

「治るかな?」

「さァ、どうやろね?」

「治ったら、これから使えるよね!」

「磨り潰すんも、毒に気ィ付けなアカンから、乱菊は止めとき」

「よく効くんなら…」

「止めとき」

「…はぁい」

 ギンの言うことに間違いはない。今までの乱菊の経験則だ。ギンの言うことをきちんと守って、無茶さえしなければ、命に関わるような目に合うことはなかった。乱菊にとって、ギンは命綱のような存在になっていた。あの日、気紛れかどうか分からないが、声を掛けてもらわなかったら、多分、今の自分はいない。初めて出逢ったのも、丁度、これくらいの季節だった。


 誕生日をもらってから、最初の誕生日だったろうか

「ね、ギン?どうしてあの時、あたしに声、掛けてくれたの?」

「『あの時』て?」

「行き倒れてた時」

「さァ、何でやったやろ…もう忘れたわ」

「思い出したら、教えてね」

「思い出したら、な」

 乱菊も、訊くことを忘れ、訊かれたこと自体を忘れたのか思い出さなかったのか、ギンがそのことについて話すこともなかった。ただ穏やかに日々が過ぎて、沢山の記憶だけが積み重なっていった。





 乱菊は、手近にあった植物図鑑を、読むともなく眺めていた。

「へぇ…」

 かつてギンが乱菊に教えた呼び名がズラリとならんでいた。名前以外にも、毒のある部位、毒抜きの方法、薬としての効能、すべて書いてある。あの時の傷は、しばらくしたら綺麗に治って消えていた。

「花言葉なんてあるんだ…あ、花なんだから、あって当たり前、か…」

『悲しい思い出』

「悲しくないんだけどなぁ、懐かしいけど」

 あれから長い時を経て、二人とも死神になって、随分になる。ギンがいなくても、乱菊は生きていけるようになっていた。『どうしてあの時、声を掛けたの?』という問いの答えは、貰えないままだった。

「他に、何かいい花言葉、ないのかなぁ…」

 パラパラと項をめくる。『葉知らず花知らず』の文字と意味が載っていた。葉と花の時期が全く合わないこと、根で増えるだけで、種が出来ないことも。

(今のあたし達に似てるわね)

 乱菊は目を伏せた。「市丸隊長」「十番副隊長サン」という他人行儀な呼び方しかしていない。すれ違いどころか、顔見知り程度の付き合いしかない。ただの同じ隊長格、ただの同期。何かの折りに顔を合わせても、特別な会話など何も起こらない。昔はあんなに色々な話をしていたのに、何もなかったような態度をされれば、乱菊もそのように振る舞うしかない。


 その頃、ギンは一面に彼岸花が咲いている場所に来ていた。懐かしい記憶に思いを馳せ、赤い花に口付けてみた。ついてきた副官に咎められたが、気にしなかった。この花の毒には、ある程度の耐性が出来ている。それ以上の毒に浸っている今、彼岸花の毒など可愛らしいものだ。

「…『想うのはあなた一人』…」

「何か仰いましたか?」

「何でもあらへん。それよか、そろそろ帰ろか?」

 いつか尋ねられたら、答えようと思って、覚えていた花言葉だった。食うや食わずの頃には、花言葉など意味を為さない。今なら、訊かれたら答えることが出来るだけの生活を送っているが、距離がそれを許さない。ギン自身が広げた距離だった。



「…見付けた、これだわ!ピッタリね」

 乱菊は、かなり最後の方に小さく書き足されたかのような花言葉を見付けた。これで、誕生日が近付く、この季節の他愛ない思い出に出てくる、この花を見る度に感じた切なさに悩まされることもなくなる。乱菊は、彼岸花を探しに隊舎を飛び出した。



「これはこれは、十番副隊長サン。そない急いで、何処行かはるんですか?」

 もう少しで瀞霊廷を抜けるという辺りで、乱菊はギンとすれ違った。

「いえ、別に…」

「えらい急いではったのに。まァええわ。これ、季節モンやから、十番副隊長サンに。あんま縁起の良ぇモンちゃうから、要らんかったら、ほかしたって」

 渡されたのは一輪の彼岸花。その奥に隠された意味は、二人しか知らない。

「相思華、とも言うらしいで?言葉通りの意味だけやったら、縁起なん関係なくなるし。誰か渡したいお人でも居るんやったら、渡さはったら如何です?」

 くすくすと笑いながらそう言って、立ち竦む乱菊を置いて、ギンは飄々と歩み去っていった。


『葉は花を求め、花は葉を想う』

 もうあの頃には戻れない、戻るつもりもない、とギンは一方的に乱菊に言い渡したのだ。

「バカ…」

 乱菊にとって、ようやく特別な花になったばかりなのに…。

「あの頃を、全部幻にしないでよ…」


 この先、それほど長い時間を経ずに、別れが、永久の別れの時が来る。その前に、ギンはこの花を乱菊に手渡したかったのだ。

『想うのはあなた一人』

 乱菊が隠された花言葉に気付かなくてもいい。思い出は忘れない、と伝えるつもりで手渡した。


 あの時の彼岸花は、誰に渡されることなく、押し花になって乱菊の部屋で大切にされている。






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