市丸帝国

□お財布キツネちゃん
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 通りの角から、それも中半端な高さに何かがひょっこり生えている。誰かが落とした書類が塀から突き出した釘にでも引っ掛かったのだろう、と素通りしようとした乱菊は、いきなり飛び出したソレに両肩を掴まれて頓狂な声を上げた。

「…っくりしたぁ。なんだ、ギンか」

「なんだ、はないやん。ご挨拶やな、乱菊」

 乱菊の肩からぶら下がっても地面に足が着かないほどの、見た目が護廷一のチビに文句を言われても痛くも痒くもない。乱菊はチビ丸を宥めて肩から下ろした。

「で?何の用?お遣いの帰りとか?」

 財布を持ってきていないから茶も食事も奢れない、と念を押そうとした乱菊に、チビ丸は満面の笑顔で首を横に振った。

「ううん、ワリカン。ワリカンで茶ぁ飲みに行かへん?」

「……。あんた、あたしが財布忘れてきてるって言ったの、ちゃんと聞いてた?」

 見上げてくるチビ丸の目頭から眦にかけてじんわー…、と涙が滲みはじめる。初めて自分から言い出した『ワリカン』を、しかも乱菊に断られるとは思ってもみなかったのだ。今までさんざん乱菊や吉良に集ってきた我が身は振り返らないのが信条らしい。

「あかんの?」

「あ、あのね、ギン?そんな目で見られても、財布を持ってきてないんだから、ワリカンなんて無理なのよ…」

 袂から取り出したキツネちゃんの財布を胸元で握り締め、チビ丸は今度こそ本当に泣き出してしまった。小さな弱い子を虐めている罪悪感に苛まれた乱菊は、チビ丸を抱き上げると一目散に自室へ走った。財布を取りに戻るためだ。

「でもね、あたしはまだ仕事が残ってるの。終わるまで待っててくれる?」

「うん!」

 抱えられた腕から見上げてくるチビ丸と目が合った乱菊は、いつもと違う素直さに気付いた。何かおかしい。乱菊は走りながら、チビ丸の手にしっかり握られている財布に視線を落とした。

(あら?そういえば、こんなの持ってたかしら?)

 ふと乱菊の脳裏を、自分以上に過保護な母親が過った。彼の手作りだろうか…?チビ丸に強請られたのならば、それはそれは喜んで作ったに違いない。夜なべ仕事も厭わないだろう。そしてそれは、今こうして仕事を中断してチビ丸を抱えて走っている自分と殆んど大差ない。

「ねぇ、ギン。なんで急にワリカンなんて言い出したの?」

「イヅルがな、財布作ってお金入れてくれたん」

 奢ってもらう一方だったチビ丸が少なくとも半額は払おうと言い出したのは、初任給が支給されてから半年間、全額を食べ物と酒につぎ込んでしまったチビ丸の給料を完全管理していた吉良から『おこづかい』を渡してもらえるようになったからである。

 給与の大半を日本舞踊の衣装に費やす乱菊だが、さすがにチビ丸の浪費には眉を顰めた。菓子と酒に消えてしまうのだ。豪快にも程がある。だから吉良もチビ丸から給料を源泉徴収したのだ。副隊長に就任してから数年が経過した現在、チビ丸名義の預金通帳の残高は、乱菊が吉良から見せられた時より増えて天文学的な数字になっている筈だ。

「へぇ、ちょっと見せてよ」

 自室に着いて下ろしたチビ丸からキツネちゃん財布を受け取った。ところどころ縫い目が歪んでいるのは、眠い目を擦りながら縫ったからだろう。大きな耳の下から伸びている紐は、チビ丸の首に掛けられる長さに調節されている。

 中身はお幾らかしら、と確認しようとする乱菊から、チビ丸が神速で財布を取り返した。

「時間切れ」

「なんでよぉ、ケチ〜」

 チビ丸が付き合いで飲み食いする機会は多くない。はっきり言ってしまえば外で乱菊と出会した時くらいしかない。それを考慮したママが幾ら入れたのかが気になるのだ。財布の中身を乱菊が把握しておくことで、何回くらいチビ丸の誘いに乗って良いか見当がつくからである。

「財布っちゅんは肌身離さんと持っとらなあかん、てイヅルが言うとった。見したったんは乱菊やからや」

 言葉の端々から、チビ丸がどれほど財布を気に入ったか、大事にしているかようやく乱菊は気付いた。夜なべ仕事で財布を縫う吉良を布団の中から覗いていたのかもしれないな、と微笑ましい母子像を想像する。

「はいはい。見せてくれてありがと。大事にするのよ、それ」

 乱菊は机の上に置きぱなしになっていた財布を持つと、チビ丸の手を引いて甘味屋へ向かった。



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