風日祈宮

□菊姫物語
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 昔むかし。時の三代目将軍様が、都から遠く離れたあづまの地を治めてらっしゃった頃のおはなし。


 かの有名な『源氏物語』が世に出てから、もう百年以上になる。都にはお飾りの帝がいらっしゃるだけ。かつてのように、覇権を争う大貴族の一族もなく、源の別当様が一番権力を握っておられる、とか。貴族達は別当様の邪魔にならぬよう、ただ上皇様や帝様の周辺で小競り合いを繰り返していた。京の都と権力を望月に喩えて唄った、『欠けたることもなしと思えは』と、欲しいままにこの世を謳歌なすった時代は、既に遥か彼方になり……





  菊姫物語







 「は?父上が?」

 菊姫…乱菊姫は扇を取り落とし、姫君にあるまじき大声を出してしまった。

 大納言だったか、中納言だったか、はてさて朝廷に出仕していたような気もしないでもない冴えない貴族の父親が、何をトチ狂ったのか、誰かに入れ知恵されたのか…

 「菊姫様を、上皇様に差し上げるおつもりなので、姫様におかれましては、お心積もりをなさっておかれますように、と…」

 「お心積もり、ねぇ…」

 上皇に輿入れするにあたり、豊かな黒髪でなくてはならぬと、まじないをしたり、様々な染料を取り寄せて試してみたが、実りの時期を迎えた稲穂のような色は変わらなかった。

 「菊姫様の御髪と御目の色は、どう考えても悪い妖かしものが取り憑いているに違いない、早めに陰陽寮から優秀な陰陽師を呼ぶので、良く良く祓って頂くように、と、お館様が仰せで御座います」


 侍女は言伝てだけ済ませると、そそくさと退室してしまった。乱菊姫は、正妻の子ではない。いわゆる脇腹の子だったが、娘なので、有力者に嫁がせる道具として引き取られた。

 豊かな黒髪、雪のような白い肌、おちょぼ口が美人とされる時代、乱菊は異色を放っていた。だから憑き物付きと恐れられ、侍女でさえ逃げるように退室してしまう。邸に腐るほどある物語絵だけが、唯一の慰めだった。

 「どうせ黒くなんてならないわよ…」

 一束掴んで、光に翳す。試しに一本抜いてみた。根元から見事に稲穂色をしている。憑き物ならば祓えば良い。お祓いで黒髪になるなら何れ程良いかと嘆いた時期もあったが、すぐに諦めた。見も知らぬ男の許へ嫁に出されるぐらいなら、一生『憑き物付きの姫』のまま、物語絵に囲まれていれば済むのだ。数日のうちには訪れるという陰陽師を、如何に追い払おうかと、新たな楽しみが増えただけだった。



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