風日祈宮
□dal segno/大学入学篇
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受験勉強の甲斐あって、ギンと乱菊は同じ大学に現役合格した。
三月末。引っ越しについてきた娘煩悩な母が、荷解きに片付け、大学入学に係る各種手続きを終えたのが一昨日。その後たっぷり丸二日、乱菊だけを甘やかして帰っていった。
別れを惜しんでいたのは乱菊も同じだった。列車が見えなくなるまで見送ってから、しばらく俯いたまま顔を上げなかった。
目許を濡らして「帰ろっか、ギン」と向ける笑顔が痛々しかった。それでもギンが一緒にいるからか、乱菊の立ち直りは早かった。
母と二人で近所を散策して見付けた店にギンを引っ張っていった。買い物をして、少し早めに夕食を済ませた。
家にいたとき同様、テーブルで向かい合って座り、チャンネル全然ちゃうやん憶えられへん、とブツブツ文句を垂れてザッピングしているギンに、乱菊はカレンダーを眺めながら数日先の話を振った。
「入学式の前日には、お母さんがお直ししたスーツ持ってきてくれるって」
「また来るんかいな」
「だって入学式よ?」
「やったら帰らんと、親父に送ってもらったらよかったのに」
ギンが目立つから来るなと言い渡したら、父親はこの世の終わりが来たような表情で絶句していた。乱菊と二人でも十分に目立つのに、さらに銀髪長身が増えたら間違いなく衆目を集めるだろう。
「え? お父さんも来るわよ」
「なんでそれをボクに黙っとるかなぁ、あの夫婦は」
「ギンが怒るからじゃない」
呆れているだけで、怒っていない。翌日に職場の入学式がある。とんぼ返りは必至。
「それが、そうでもないみたいよ? こっちの学会に招待されてるって言ってたから」
仕事で来るついでに入学式に顔を出すなら、ギンに文句はない。ただ、他人のふりをして離れていてくれれば。苦い顔で条件をつけたギンに、乱菊はそれは無理だと笑った。
「あのお父さんとお母さんよ?」
いまだに仲が良くて、しかも子煩悩。そのうち弟か妹が出来たと連絡がきても不思議はない。それくらい仲がいい。
「あたし、お父さんとお母さんみたいになりたいって、ずっと思ってた」
「アホになりたかったん?」
「相変わらず口悪いのね。違うわよ。あんなふうに普段から好きって言い合える夫婦っていいなって」
「あぁ、うん。暑苦しかったな」
家の中のどこでも、ギンや乱菊の前でも、普通にキスしてハグしていたのは父の生活習慣なのだろう。乱菊はラブラブカップルだというけれど、ギンは単なるバカップルだと思っている。
「でもね、あたしギンの家に引き取って育ててもらって、本当によかったって感謝してる。そのうえ大学まで行かせてもらって」
礼を言うのは両親の方だろう。ずっと娘が欲しくて仕方なかった二人にしてみれば、乱菊はかぐや姫。本当は地元の大学に通ってほしかったに違いない。両親の願いを知っていても、ギンは教えを乞いたい教授のいる大学に行きたかった。乱菊が両親の許に残るなら離れるのも止む無しと覚悟を決めた。
しかし幸か不幸か、ギンの志望校に乱菊の志望学部があった。そして受かった。
「乱菊が親父とオカンのこと『お父さん、お母さん』呼んでるうちは気にせんでえぇと思う」
「そう……かな」
「うん」
自分がドジを踏まなければ、たぶん一生。彼女の、ギンと一緒がいいという想いは何より強い。大学では学部が違うから多少の不安はあっても、乱菊ならすぐに仲のいい友人ができて、ギンにも紹介してくれるだろう。
「で、話は戻るけど、ずっと羨ましかったの」
「そうかぁ?」
「だって、ギンってば、たまぁのキスしかしてくれないんだもん」
「いやいやいや。ちょっと待ってぇな。今、しかって言うたよな? しか、って何?」
ギンにしてみればキスも最大限の譲歩だった。自分の我慢の限界は心得ているつもりだったから、ヤバいと思ったら離れるようにしていた。つい最近までは受験勉強もあって、必要以上の接触はしないようにしていたのも事実なのだけれど。
「同じ大学に通いたいから頑張って勉強したのに、ご褒美がちゅーひとつとかあり得ない」
「あれ、途中からベロちゅーにしたん、確信犯やろ」
あの時は理性がぶっ飛ぶかと本気で焦った。合格発表のあとで気が抜けていたから余計にヤバかった。元栓が緩んでいるガスのそばで火をつけるような行為だと乱菊に懇々と言い聞かせたのは記憶に新しい。
「あたしって、そんなに魅力ない?」
「いや。じゅうぶん可愛いで?」
「ふうん。なら、チャンスはいくらでもあるってことね」
亡き人との約束は、結婚してから。もしくは本人の許可が出てから。乱菊から誘われれば約束を破ったことにはならなくても、痛がらせて泣かせない自信はない。
こっそり溜め息を吐いたギンの耳に、乱菊の歌声が飛び込んできた。
Can you celebrate?
Can you kiss me tonight?
we will love long, long time.
二人きりだね 今夜からは 少し照れるよね」
「なんで? ほとんど今までと変わらへんやん」
「二人っきりなのよ? ちゅーし放題なのよ?」
乱菊は半ベソ。ギンも泣きたかったけれど、とにかく乱菊を泣き止ませたかった。仕方なく妥協案を提示する。
「わかった。ほな、これからは毎晩『おやすみ』のちゅーしような。な?」
「……おはよう、も」
結局、ギンは乱菊に粘りに粘られて、朝と出掛けるときと帰宅時と、寝る前のキスを約束させられた。
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