風日祈宮

□tres via
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「冬に受験で弟が来てるって言ってたでしょ?晴れて大学生になれたから同居してるんだけど、歳が離れてる所為か可愛くって可愛くって、」

 乱菊は横に並んでネクタイを締め直すギンの背中を、ちゃんと話を聞いていたのか、と思い切り叩いた。

「そんな緊張しなくても大丈夫よ、すごく素直で良い子だから。きっとすぐに打ち解けるって」

「せやけど第一印象が大事や、て言うやん?可愛がってくれとる姉さんと付き合うとる男や、っちゅうだけでビハインド…」

 ドアを開ければ入らざるを得なくなるのだ。珍しく後込みするギンを放置して、乱菊は鉄扉のノブに手を掛けた。

「ただいま〜、今日はお客さ…」

「姉さん!出掛ける前に自分の下着はちゃんと洗濯ネットに入れといて、って言ったでしょ!?なんで僕が姉さんのブラジャーを…」

 慣れたやり取りに上手く避難した乱菊の前を行き過ぎた青年が多々良を踏む。だが勢いは止まらず、緊張のピークにいたギンの鼻先へ乱菊のブラジャーが突き出された。

「…。ごっ、ご免なさい!」

 慌てて背後に隠そうとしたが、もう遅い。一方のギンは、初対面用に用意した挨拶が頭から綺麗さっぱり抜け落ちてしまった。一句たりとも残っていない。

「……」

 乱菊は二人の間にぶら下がる自分の下着を抜き取って上着の下に隠すと、ギンへぎこちない作り笑いを浮かべた。

「ま、まぁ上がって。お茶でも用意…してくれる?」

 後半は上がり框で固まっている青年に向けられたものだ。瞬きさえ忘れて動けなくなっている二人を交互に見やると、乱菊は紹介が済んでいなかったことを思い出した。

「ギン、これが弟のイヅル。……えっと、根は悪い子じゃないし、いつも怒ってばっかじゃないし。あたしの下着で何かしようなんて考えたりする子じゃないから、ホント」

「…姉さん」

 そんな紹介があるか、とイヅルは乱菊を恨めしげに睨む。それから気を取り直してギンへ頭を下げた。

「はじめまして。粗忽者での姉がいつもお世話になってます…って!ちょ、姉さんっ」

「……。」

 粗忽という単語が気に入らなかった乱菊が、ギンの目の前でイヅルに掴みかかって擽り始めたのだ。

「誰が粗忽者よ、あたしそんなにうっかりしてないってば!」

「姉さん以外に誰が居るんだよ!意外性抜群のがっかり系キャラの癖に!」

 兄弟姉妹を持たないギンには、何処までがじゃれ合いで何処からが本気の喧嘩か分からない。互いに髪や服を掴み合っている姉弟を前に、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 今まで乱菊は見た目に反して身持ちが固く、周りに流されないしっかりした女性だと思っていた。機転が利くので会話のテンポも良く、弾けるような笑顔が素敵な女性だとも思っていた…

 …今までは。

「……。」

 猫を被っていたとは思えない。本格的な姉弟喧嘩に発展した今でも、ギンが知っている乱菊との違和感がないからだ。それにしても激しい喧嘩だな、姉弟でこれなら兄弟ならどうなるのだろう、いや待て姉妹の方が壮絶なのではなかろうか…

 ギンは見慣れたくない光景を前に、想像の世界へトリップした。顔面が『へのへのもへじ』な兄弟や姉妹がギンの脳内で、入れ替わり立ち替わり寸劇を繰り広げる。掴みあい、引っ掻きあい、罵りあい…ギンの脳内劇場が修羅の様相を呈してきたとき、足元に終了のタオルが投げられた。

「………。」

 イヅルが突き出して乱菊が奪って隠した下着が、ギンの足の甲で折れて綺麗な二つの山を作っている。サイズが大きくなるとデザインを選ぶ余地がなくなる、と常々乱菊は嘆いていたが、女物の下着と縁がなかったギンの目には、とても華やかに映った。

(ババ色と違うやん…)

 真っ白か駱駝色を想像していたギンは、ブラジャーを拾いあげて目の高さに掲げてみた。続いて平らな自分の胸に当ててみる。スカスカ具合に笑いが零れた。

(こないなんを洗わされても平気なんが『弟』っちゅー生き物なんや)


 ギンはブラジャーを床に置くと、框に屈み込んで姉弟喧嘩を詳しく観察してみた。乱菊にのし掛かられて前髪を引っ張られているイヅルが、とにかく退かそうと腕を突っ張って乱菊の頭を押し上げている。あまりの乱菊の顔の歪み具合に、ギンは必死に笑いを堪えていた。



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