風日祈宮

□Wが悲劇〜吉良イヅルの受難
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 時は戦国。木々の葉擦れ、川のせせらぎ、山鳥の囀ずりに紛れて、何処かの飼い犬、鶏や牛馬の鳴き声も長閑に響く自然豊かな山間



 住まうは吉良イヅル

 通称、吉良家始まって以来の苦労人

 毎年こっそり行われる領民投票で、直ぐにでも領主になって欲しいNo.1との呼び声が高い…が頼り無さもNo.1という、なんとも微妙な若様であった。


 イヅルは本来、本家の陣屋で様々な仕事をこなさなくてはならない立場と身分である。だが産後すぐに亡くなった母を知る人もなくイヅルの物心つくまえに父も世を去り、跡目を継いだ叔父夫婦に疎まれたため、かなり幼い頃に本家の館を追い出されて、ちっぽけな庵を与えられた。黒髪黒目ではない見た目が災いして廃嫡されてしまったのだ。

 今日もイヅルは猫の額ほどの畑仕事に出ていた。本家を追い出された以上、さすがに米は本家から送られて来なければ食っていけないが、それ以外の食料は自給自足を信条にしている。


 そんなイヅルが一心不乱に畑を耕して畝が三つほど出来上がった時、ヒラヒラと見慣れない白と黒の軽い羽根が一枚二枚と降り注いでくる。イヅルは鋤を持つ手を止めて空を仰いだ。

「…まさか…君達、破天連(バテレン)!?」

 新たに作った畝の上、柔らかい土を一欠片も崩すことなく小さな二人の子供が立っている。その背はイヅルの腹に届くかどうか。しかも農民よりも痩せているイヅルより細い。地元の子供達が若隠居であるイヅルの庵へ迷い込んだり、廃嫡の身をこれ幸いと読み書きを習いに訪れる領民もいたりする。だが、今日の来客は現れ方も不自然ならば、身に纏っている衣服も異国情緒に満ち、何よりも髪に目が釘付けになってしまった。

 イヅルと同じ輝く稲穂色の髪をした女の子と、白髪とは違う光を放つ髪の男の子。仲良く手を繋ぎ、女の子はうつ向いて男の子の背後に隠れてしまったが、その男の子の方は黙ってイヅルを見上げている。

「あ…急に大声出して、ご免ね?君達、もしかして、迷子なの?」

 いくら宣教師と共に海を渡ってきた異国人だったとしても、即座に排除すべき対象だ判断するのは軽率だとイヅルは省みた。思わず座敷にある刀を取りに行こう、と足が動きそうになるのを叱咤する。心拍が落ち着くまで待ってから、言葉が伝わるように殊更ゆっくりと一言ずつ区切って話し掛けてみた。

「……」

 隠れてしまった女の子は勿論、前に立った男の子も一言も発さない。喋ることが出来ないのだろうか?イヅルは、領民の中で除け者にされている唖の人を思い浮かべてみたが、彼等でも頷いたり否定したりする意思表示はしている。ならば言葉が通じないのだろうと判断し、身振り手振りだけでイヅルは庵で休んでいくよう提案してみたが、それにも無反応ときてはイヅルには仕様がない。

「僕にどうして欲しいのか、言ってくれなきゃ分からないよ…」

 背を向けて半泣きの愚痴を零したとき、イヅルの捲り上げた裾を引っ張る強い力に気付いて振り向いてみると、女の子が耕したばかりの土の上に倒れていた。


 * *


 イヅルは干してあった自分の布団を大急ぎで取り入れた。其処へ寝かされた女の子の手を握って離さない男の子の顔色も、イヅルの目には相当蒼白く映った。いきなり現れたとはいえ、二人共に倒れられては敵わない。イヅルは水屋に下がって重湯を作ってきて渡したが、見向きもしない。

「ね?君まで倒れちゃったら、この子が眼を覚ました時に悲しむよ?」

 ダメ元で掛けたイヅルの言葉に、ようやく男の子が顔を上げた。真冬の空を思い起こさせる瞳がイヅルを凝視する。その毅さと冷たさにイヅルが怯んだ一瞬をの隙狙って、盆の上にあった椀を奪い取っていった。

「なぁんだ…やっぱりお腹が減ってたんじゃ…」

 見事な飲みっぷりを指摘したイヅルの顔面目掛けて、空の椀が飛んできた。

「そんな怒るようなこと言ってないでしょ?」

 イヅルが咄嗟に盆でガードしなかったら間に合わない早業だった。武家のたしなみとして武道一般を修め、幾つかは免許皆伝のイヅルをして舌を巻かせる速さだった。幼い子供の成せる業とは思えないが、何故かイヅルは座敷の業物を取りに行く気になれなかった。重湯を飲んだばかりの男の子の腹が、豪快に鳴ったからかもしれない。

「あのねぇ…僕は君が思ってるほど悪人じゃない。警戒しなきゃならない盗人とかでもないから、安心して良いから。次はちゃんとした粥を持ってくるから、それまで風呂でさっぱりしてきたらどうだい?」

 笑顔でその場を離れる時も、イヅルは後頭部を盆で覆うことを忘れなかった。いつ椀が飛んでくるか分からないし、何より背中に突き刺さり続ける視線が痛くて堪らない。男の子が警戒心の塊になっているのは、一緒に居た女の子が倒れるほど衰弱していたからだろう、とイヅルは無理やり自分を納得させた。


 薄暗く狭い水屋に下り、竈に火を入れ直しているイヅルの耳に、小さな物音が入ってきた。イヅルは普段から走り回っているネズミかと思ったが、招き入れた子供二人と先ほどの攻防戦を思い出し、咄嗟に手近にあった桶を頭に被った。

 イヅルの予想に違わずに飛んできたのは、椀でも枕でもなく、意識がなかった筈の女の子。頭の桶の所為で視界はゼロ、受身も取れずにバランスを崩したが、持ち前の危機回避能力のお陰で、女の子を土間に叩き付けるようなヘマだけはせずに済んだ。

「…び、びっくりしたぁ」

 てっきり能面を貼り付けた例の男の子が、何かしら固い物を投げて寄越すものだとばかり思っていた。イヅルは、といえば女の子を抱き留める姿勢で、無様に土間に転がっている。良く見れば畑仕事で汚れているイヅルより埃まみれな衣を着ていたが、女の子を泥で汚さずに済んだことにホッとしていると、弱い力ながら胸元を何回も叩かれた。

「キラ、キラ!キラ!」

 イヅルが名乗った覚えはない筈だが、と首を傾げていると、ようやく姿をみせた男の子がイヅルに答えを与えてくれた。

「此処来る前に、一応調べて来てん…けど、ちぃっと違うみたいやなァ」


 …上方言葉?


 女の子は片言の単語だけなので判断に苦しいが、海を渡ってきた異国人にしては不思議な髪の色をした男の子の口から、少し摧けた感じの、はっきりと上方だと解る話し言葉が発せられたことの方に、イヅルは二人が唖ではなかったことより驚いた。



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