04/11の日記

18:41
ハワイアンシャツについて
---------------


その起源については諸説ある。19世紀終盤〜20世紀初頭、農業に従事していた日本移民は、「パラカ(ヨーロッパの船員たちが着ていた上着)」と云う開襟シャツが日本の木綿絣に似ていることから好んで愛用していたが、持参品であった着物の再利用の際に、パラカに仕立てたのが起源ではないかと云われている。

また、日本の着物の美しさに惹かれた現地の人が「着物をシャツにしてくれ」と頼んだ事が起源という説もある。 

当初はシルク、1950年代まではレーヨンが主流であったが、1960年代に入ってポリエステルが登場し、シルクやレーヨンに取って代わる(近年のヴィンテージブームによって、現在ではシルクやレーヨンなどの素材も再び復活している)。ハワイには、アロハシャツに用いられるような精緻でカラフルな生地を染める事ができるような染織工場が無かったので、ほとんどの生地はアメリカ本土あるいは日本から輸入された。特に日本には京都を中心に高度な技術を持った染工所が数多く集積し、安価で品質の良い生地を小ロットで大量に供給することが出来たので(第二次世界大戦の)戦前、戦後を通して、多くのアロハシャツの生地が日本で作られた。



ファッション




1950年頃にはアロハシャツ生産を主体とするアパレル産業が、砂糖、パイナップルに次いでハワイにおける3番目の産業となり、アロハシャツの黄金時代を迎える。1940年代中頃からは産業としての発展を背景に、1947年に始まる「アロハウィーク」、1948年の「アロハウェンズデー」、1956年に始まる「アロハフライデー」などの官、民によるさまざまな利用促進キャンペーンが試みられた。

アロハウィーク:ハワイの伝統的なお祭りを拡大したイベント。アロハウィークの期間中はさまざまな職場でアロハシャツで働くことが認められた。

アロハウェンズデー:シャツメーカーや小売店によるキャンペーン。水曜日にはアロハシャツを着て働くことが奨励された。

アロハフライデー:ハワイアンファッション組合の提唱によるキャンペーンで、現在に至るまでカジュアルウェアデーとして継承されている。

1960年代には洗濯が簡単で丈夫なポリエステルの登場なども追い風に、さまざまな生活シーンにおけるアロハシャツ着用が加速、それにともない伝統的な開襟シャツ以外にもプルオーバーのものやボタンダウンのものなども作られるようになる。生地を裏返しに縫製した木綿のアロハシャツなどもこの頃に登場し、その控えめな色合いは現在でもオフィスワーカーなどに好まれている。



ファッション

前へ|次へ

コメントを書く
日記を書き直す
この日記を削除

[戻る]



©フォレストページ