短篇小話 3


□御身お大事に
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誰もが“故郷”だの日本人の心の郷里はなんてなものを語るときに思い浮かべるのは、
遠景に峰々の青い影を望める、それは長閑で鄙びた山野辺の片田舎のそれではなかろうか。
田圃とそれから、四季折々に様々な作物が穫れる畑が広がり。
水路にため池、裏山には柴が拾える雑木林があって。道の辻にはお地蔵様、竹林の陰には稲荷の御堂があって。
鎮守の森は昼間でも薄暗く、子供がお使いで通るにはちょっと怖かったりもして。
そんなこんなな、いわゆる“里山”の風景というものは、
いかにも天然自然のままな、手付かずのそれに見えたとしても、少なからず人の手が入って作られたものなのだとか。
季節の折々、気候の変化に合わせて、芽吹いて咲いて結実する草花がそれは絶妙に入れ替わり合うこととか。
雨風嵐といった天候の巡り来る仕組み、土のご機嫌、虫らや獣たちの営み。
そういったものを…失敗や悲劇も少なからずはあったろう“経験”から、
長の歳月かけて身に染ませて学び取った先人たちが、こつこつと工夫を重ねて築いたもの。
自然へ沿うての無理はしない、
あらゆるものへの感謝を忘れず、仲よう肩を寄せて生きてゆくための。
性急にはならず、息の長い、最も暮らしいい環境。

“ほんに、大したものですよね。”

 一見、人工的なそれには見えぬ“雑木林”にも、先人から受け継がれた工夫がちゃんとあって。
1つところへ同じ種類の木ばかりを植えれば、手入れは楽だが進化は望めぬし、保全も実は難しい。
寿命が違ったり高さが違ったり、特性が様々に異なる木が混在させてあれば、
林の周縁だろうが真ん中だろが、陽も雨も不公平なしの満遍なく降りそそごうし。
暑さがひどい年も水が少ない年も、植物への重い病が広がった年であっても、
どれかは生き残って次の世代へ命をつなぐことが出来、里を囲む緑は絶えない。
雨が多い土地なら木や竹を植えて地盤へ根を張らせればいい。
いきなり水路や貯水池を大々的に穿っても、地盤が耐え切れず、堰が切れての土石流が氾濫するだけかも知れぬ。
雪が降るなら重みで潰れぬ家を造ればいい、食料は長期保存できる工夫をすればいい。
一斉にどこかへ避けてしまうだなんて、事故も見込まれて危険な労働であるその上、冬が明けての雪解け水が得られない。
自然を力でねじ伏せるのではなく、恵みを分けていただこうという謙虚さからの工夫を生かして作られたもの。
穏やかな工夫とちょっぴりの忍耐や妥協が沿うていて。
時には不便や不具合も隠れていたりするのだが、そこがまた、じんわりと懐かしい思い出をくれたりもする、そんな風景。


   ………だからして。




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