■寵猫抄

□寵猫抄
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 人の手が入っていないように思わせるほど、道幅も広くはなくて起伏も多く。見渡すそこここには緑があふれ、そのくせ足元は…アスファルトというよりも石畳ながら、それでも踏み固められてのきっちりと整備されており。緑の切れ目ごと、庭やこしらえも立派な、いかにも矍鑠としたお屋敷が見受けられもするのに、あまり人の姿は見かけず、車の通行量も皆無と言っていいほどで。少し歩きたいと所望され、目的地の手前で降り立ったハイヤーが元来た駅の方へと去ってしまえば。ゆるやかな傾斜(なぞえ)になった小径の両脇、まだ色づくには早いスズカケの梢やら、結構な高さの萩の茂みやらが風になぶられて。さわさわと涼しげな音を立てるばかりの静寂が、どこからかふわり戻って来、来訪者らをやわらかくくるみ込む。

 「相変わらずに静かですね。」
 「ああ。ほっとする。」

 鄙びているといや鄙びている土地だが、かといって純粋な“片田舎”でもない。それなりの整備はされている、いわゆる“高原の避暑地”というところだろうか。車が通れば便利だが、その分 空気は悪くなるし騒がしくなろう。多くの人が誰も彼もと入り込めば、景観も人工的なもので埋められての、せせこましい息苦しいものとなってしまう。それではせっかくの佇まいが損なわれてしまおうからと。名主らに財力があったその上で、だのに故意に、至便さを制限してでもこの静けさの方を重視したらしく。そういう贅沢が通じる、いわゆる華族の末裔たちのうち、戦後のその後も企業を興したり資産協賛という形で何とか生き残っての息が続いていた、言ってみれば旧家の別邸ばかりが居並ぶ保養地である。名所旧跡があるでなし、温泉が涌くでもなし。多少標高があるせいで空気が澄んでいての、夏は涼しく気候がよくて。あとは夜景が綺麗というくらい。財界の勢力図の移ろいのあおりも手伝って、持ち主が転々とした挙句、不便なところだからと敬遠されて、尚のこと人の足が遠のいた感もあって。そんなせいか、夏場のいわゆるバカンスのシーズンであってもさほどにぎわいを見せることはなく、通年で閑散としている土地柄。静かでいいというところを好む傾向(むき)の風流人や、都会の喧噪から逃れて隠遁・静養したいとする人らがわずかながらも訪のうことで需要はあって、過疎化が進んでの寂れきるでもないまま存続を続けている、知る人には知られた一種の隠れ里のような土地だ。

「夏に来て以来だから、2カ月振りですか。」
「うむ。」

 ここまでの道中に縮こまっていた体を延ばしがてら、久方ぶりの景観やさわやかな風を身に浴びて。どちらからともなくの声が出た。彼らもまた短期滞在をしに来るクチではあるが、夏や冬に長い休みをまとめて取って…というのではなく。数カ月毎に何日か、正にセカンドハウス扱いしての不定期にやってくる顔触れであり、滞在するのも貸し家や貸し別荘なぞではなく、れっきとした彼らの持ち家で。

「高階さんが、
 今年は柿が豊作ですと仰せでしたよ?」
「そうか、楽しみだの。」

 他愛のない会話を歯切れよくも交わしつつ、では…と歩みを運び始めたときは、深色のくせのある髪をうねうねと延ばした長身の男と、手入れのいい金絲をきゅうとうなじで束ねた若々しい青年という、街を出た折にそうだったそのままの二人ぎりしかいなかった彼らだったのだが。さわわ、ざわわと揺れる木葉擦れの音の中、ひょんな拍子で異郷から紛れ込んで来てしまったのは、果たして“向こう”か、それとも彼らの方だったのか……。
 


 
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