短編小話

□囲炉裏端
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 まだ晩秋だというのに、気の早い霜でも降りないかというほど、急に冷え込んだ凍夜の中。冷たく冴えた月光に送られつつ、哨戒先から戻ってみれば。此処へと逗留中の足場にでもお使いくださいと、侍たちへ用意された古びた農家は、ほこほことした暖に満たされていた。

「おや、お二人ともお帰んなさい。
 ちょうど今、
 いいものが煮えたところですよ?」

 明かりは火皿を据えた燈台のみという、ともすれば仄暗い屋内だったが、よほどに裕福な暮らしをしている階層の者でもない限りはこれが標準。炭を多めに起こされた囲炉裏からの柔らかな輻射とそれから、その上の五徳へと掛けられた大小2つの鍋から立ちのぼる湯気とで、結構大きな作りの茅葺き家屋は、外気の冷たい意地悪を忘れさせるほどにほっこりと暖まっており。動き惜しみを知らぬのか、てきぱき動いて何やら支度を整える、長身の美丈夫の向こう、先に炉端へ腰を据えていて、

「やあ、お帰りになりましたね。」

 心なし、待ち兼ねましたぞと言いたげに笑って見せたのが。様々な工具やツールをその身に色々と隠し持っているのみならず、広範な知識を生かし、首魁殿の外連味(けれんみ)あふれる企みに力を貸す“工作造成”の実行に、現在ただ今、獅子奮迅の働きを見せてもいる、元・工兵のヘイハチ殿。いつも穏やかで明るいえびす顔を保つ彼ではあるが、今宵はまた、常のそれへと輪を掛けたようなご機嫌ぶりであるらしく、

「これはまた。何かしら吉兆でもござったかな?」

 段差のある框を上がり、囲炉裏の端へと寄りながら、相手に合わせてか、少々おどけたような語調でカンベエが尋ねると、さもありなんと何度も頷く。

「吉兆も吉兆、物凄いことが起きたんですよ、カンベエ殿。」

 これで怒れば斬りつけるような厳しい眸をして人を断罪する男が、瞑っているのではなかろうかと思えるほどに目を細め、

「なんと、ゴロベエ殿が猪退治をなさったのです。」

 おや、それはまた…と。言葉の意味は一応解せたが、どんな表情になればいいやら、珍しくも首魁殿がそのお顔を唖然とさせてしまったほど。何しろ、今の彼らのおかれた現状には、なかなかに重ねにくい事象の出來(しゅったい)だ。ただでさえ、尋常ならざる企みを執行中だというのに、そんな…数年に何度もありはしなかろう一大事が重なられても。どう驚いたらいいものやらと、コトの重さを量りかねるというもので。四角い囲炉裏の隣りの辺へと座したキュウゾウは、元より薄いその表情が動くはずもなかったものの。語り部の意気は下がるどころか、新たなる聞き手を得ての弾みがついた模様。にっこり笑ったそのままに、それでは一部始終をと口火を切って、

「岩砦を構えております古廟の陰から、
 そりゃあ大きな猪が飛び出して来ましてね。」

 大きさはそうですね、雌牛ほどもありましたか。いや本当に、随分と大きな奴輩でしてね。古廟を住処にしていた、言わば“主”だったのかも知れません。

「ゴロベエ殿とて、最初から屠ってしまおうと思った訳じゃあない。
 首尾よく生け捕れたなら、橋向こうの原にでも放してやって、
 戦さが済んでからこっちへ戻してやるもよし、なんて。思ってござったそうですが。」

 既に村人の中にも牙でつつかれて怪我をしたものが何人か。捕らえるのに往生すればそれだけ、これは自分たちへの天からの諌(いさ)めかも知れぬと、村人たちの間に悪い方への杞憂が広まりかねぬと読んだゴロさん。致し方なしと、猪に真っ向から挑みかかり、蝦イモほどもあった大きな牙を押さえて、こう、ぎゅううっとな。地に伏せさせての調伏を成し遂げ。しかもすかさず、

『これこそは、我らが大望を天が試したその結果。怖じける事なく挑めば、必ず成就との卦が出たぞ』

 雄々しくも声を張っての宣言には、辺りにいた人々が皆して喝采し、気の早い鬨の声まで上がる始末。ヘイハチの語り越しとはいえ、

「それはまた、ゴロベエらしいことよの。」

 カンベエも苦笑が絶えぬ様子だし、

「ですよねぇ。」

 彼もまた現場にはいなかったというシチロージも、妙に納得の態を示す。ずんと永らくの戦さが終わり、さりとて侍としての偏った身を助ける職も無し。そこでと大道芸を始めていたその蓄積。声高らかに人の衆目を集め、そのまま心を掴んでしまう、それはなめらかな弁舌に秀でている御仁だと、カンベエ以下、仲間うち全員の知るところ。そんなご大層な言い回しも、彼の口説にかかったならば、人々をあっさり魅了したに違いなしと想像するは容易くて。

「さて、この大物をどうするかということになりまして。」

 長老へとお伺いを立てたらば、そのような目出度い賜物であるのなら、村の皆の活力にさせていただこうということになり。もともと捕まえたなら食する習慣はこの村にもあったらしく、奥方 総出で見事に捌いてしまわれて。

「で、我らへもおすそ分けがあったという次第です。」

 ヘイハチの談の末と同時。ぱかりと、シチロージが鉄鍋の蓋を開けたれば。ほどよく煮えた野菜や猪が味噌の下地をまとってそれはいい香りを立てている。今宵は村中が、同じ鍋をおかずや汁物として食していることだろうから、

「急な寒気も気がつかないんじゃってほど、暖まったに違いありませんからね。
 これはやっぱり、天啓へ挑んで勝った、そのご褒美に違いありませんて。」

 にっこりと笑いながら、小鉢へとよそい分ける、シチロージの手つきも慣れたもの。

「他の者は?」

 その功労者のゴロベエやキクチヨ、カツシロウといった、今姿が見えぬ者らはとカンベエが掛けた声へ、

「先に食べて持ち場へ戻っておりますよ。」

 それで、お二人を迎えに行かねばと思っていたところですと、働き者の手を動かしながら、柔らかく笑ってみせたそこへと重なったのが、

「それからこれは功労賞。」

 とんっと、囲炉裏の縁にヘイハチが据えたのが、真ん丸な形の陶器の一升徳利。

「さすがは米どころです。
 芳醇で、なのに飲み口はきりりと冴えた、辛口の逸品の純米酒。
 こんないいお酒まで造ってた村なんですね。」

 口ぶりから察して、もう既に味見を済ませた彼でもあるらしく、

「燗をつけました。
 そうそうがぶがぶと
 飲んでいい場合ではありませんが、
 これもまた
 この寒空に鋭気を養うには
 持って来いだと勧められまして。
 断る理由もないですし、
 ありがたくちょうだいしましてね。」

 それでのことか、鍋の傍らには銅壷(どうこ)が掛けてあったらしくて。

「ゴロさんがまた強いのなんの。」

 ほらと背後を肩越しに示したヘイハチの視線の先、土間の片隅には。同じ徳利が4、5本ほど並んでいる。今の言いようからして、あれはゴロベエが空けたに違いなく。おやおやと苦笑したカンベエへ、

「いえ。キクチヨも多少は。」

 シチロージが此処に居ない当人に成り代わってか 弁明となる言葉を継いだが、

「ほお、十三の童っぱにも飲ませたか。」

 即妙に返されてしまい、堪らず、場がどっと沸く。村人たちにはこの先の命運を賭けての、侍たちには命懸けての、大勝負でもあろう戦さを前にしてはいるが。乾坤一擲、なにするものぞと、その士気は全く衰えを見せず、いっそ頼もしいばかり。そんな場に、陰を指すほどの気配ということもなかったが、

「………おや。」

 むしろ、そこはよく気がつく性分だったから、シチロージが気づいて…小首を傾げたのが、

「キュウゾウ殿? どうされた。」




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