■小劇場


□年の初めのためしとて
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 特にこの日でなくたって、ここいらはそれは静かに朝が来る。向こう三軒両隣り圏内に、牛乳や乳酸菌飲料などなどを取っている家もないので、新聞配達のスクーター以外、こんな早朝にはやって来ない。そんな静かな住宅街の、やや奥まった突き当たり。大邸宅とまではいかないが、サザンカやキンモクセイの茂みがきれいな、小じんまりとした瀟洒なお屋敷があって。お隣りの小じゃれた車輛工房も、さすがに今日はお休みで、やっぱり音なしの構えなものだから。頭上の天穹が黎明の白から初陽の目映さ経由、清々しい青空へと塗り替わっての、すっかりと明けてから、

 「………あ。」

 窓辺近くの木の実が目当てか、訪のうた小鳥のさえずりでやっとこ目が覚めたとて。今日ばかりは大目に見られてもいい筈で。日本中が、いやさ、世界中が、昨夜の日付変更時には、お祭り騒ぎをしたほどのお目出度い日なのだし、大人の皆様は何やかんやで夜更かしもしておいで。とはいえど、

 “しまった〜。寝過ごした。”

 主婦として歳時にまつわる年中行事の様々を任されている身としては、一年の計が鎮座する元旦からうっかり乗り遅れるなんて言語道断。今日の善き日を迎えるためにと、年末に精一杯頑張ったのが、寝坊なんぞで無に帰してしまうなんて、

 “冗談じゃあないっ。”

 ぐぐっと握りこぶしを作ってそれから、がばちょと勢いよく、その身を起こしかかったものの、

 「…う。」

 ちょっと少々、腰の辺りが だる重かったりし。あれれ、何でだと思ったのと同時。寝床へ肘をつき、少しほど身を起こしたことで、すぐ傍らにいた共寝の相手のお顔が視野に入って…。

 「…。//////////」

 肩口からさらりとすべり落ちた、くせのない金の髪の陰にて、うつむいた白いお顔に、仄かながらも朱が散って。ああそうだったと思い出す。

 “何でそうも毎年毎年…。//////////”

 夜更けに除夜の鐘を撞きにまでは出掛けないその代わり。一体どういう縁起かつぎなものやら、年またぎの“二年参り”を、別口のことで…毎年毎年必ず遂行なさる、精力的な御主だったりするものだから。もしかせずともそれが原因で寝過ごしたんだなと納得しつつ、

「…勘兵衛様、起きておいででしょう?」

 寝床の上へきちんとお膝を揃えて座り直すと、穏やかそうな寝顔を見下ろし、端とした声を出す。
「寝過ごしましたが、予定通りに運びますからね。」
「予定?」
 何のことだと訊く声へ、
「皆で御膳を囲んで、お屠蘇を交わして。それから初詣でへも参りますからね。」
 元旦というくらいです、午前中に片付けなければと、
「大島の袷(あわせ)も出しましたよ。久し振りですね、和装をお召しになるのは。」
 もうすっかり目を覚まし切ったらしき、澄んだお声が紡ぐのへ、
「何も律義に浚わずとも…。」
 誰ぞからの罰が下る訳でなし、と。なし崩しに怠けようよと持ちかける御主へ、

 「ダメです。」

 それはきっぱりとしたお声が、断固とした拒否を示して。
「だがな…。」
「それ以上の駄々をおこねなら、いっそのこと紋付き袴を着ていただきますよ?」
「う…。」
 そんな大仰な恰好をさせられては堪らないと、壮年殿の精悍なお顔が少々引きつったのを見届けてから。

 「せっかく色々と準備したんじゃありませんか。それに…。」

 何か言いかけたのは、だが、言わぬままに飲み込んで。パジャマのボタンへ手をかけながら、てきぱきとした所作にてベッドから降り立つ七郎次であり。
“別に罰則があるじゃなし、大手を振って休んでいい日のはずだってのに。”
 こちらはこちらで薄目を開けて、気丈な背中をこっそりと眺めやる御主だったりし。

“…そうまで久蔵に堪能させてやりたいか。”

 自分たちだけなら、そこまで律義には構えない。一応の準備はしてあっても、だらだらしたいと言われりゃあ、そうですねぇと御主の意に添うよう計らった筈。

 ― ただ、今年は少々事情が違うから。

 昨年の春から最年少の家族となった、寡黙な次男坊がいるものだから。それでと張り切っているものを、一体、誰が止められようかというところ。ぎりぎりの昨夜まで、忙しそうに働いていた彼だったから、出来るだけ深く眠らせてやっての、長く長く寝床へ引き留めておいてやろうと、これでも思いやっての企んだ御主ではあったらしいのだが。


 … 方法を選ぼうね、勘兵衛様。(苦笑)





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