■小劇場


□陽だまりにて
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 どちらかと言えば温暖なまま深まっていた秋だったものが、今日はいきなりの寒空となり。空の青さや陽の明るさは、それまでとさして変わらなく見えるのに。表へ出ると思わずのこと、肩や背中が縮こまるほど、吹き抜けてく風は冷たくて。

 “これは正に急転直下、ですよね。”

 家中を掃除して回るだけで、ほどよく小汗をかいていたのはつい最近じゃあなかったか。昨日、木枯らしが吹いたとニュースで聞いてはいたけれど、まさかにここまでとは思わなくて。十月中旬並みの暖かさと言われていたものが、今日はいきなり師走の冷え込み。起きたそのまま大慌てでクロゼットルームへ駆け込んで、出勤・登校に出掛けてゆく家人二人への、コートじゃマフラーじゃを引っ張り出したおっ母様。真冬用の装備はまだ早いと、苦笑混じりに辞退されたが、マフラーは持って出た彼らであり、
“天気予報はちゃんと見ていたはずだったのに。”
 ああ、もっと早く出しときゃあ良かった。そうすれば、あんなショウノウ臭いのを差し出しての、辟易させなんだものをと。午前中のずっとを後悔していた彼こそは、島田さんチが、いやいやこのご町内が誇る良妻賢母、七郎次といううら若きお兄様。家長の勘兵衛さんの遠縁にあたるお人だとのことで、外へのお勤めには就いてないらしく、日頃から家事の一切合切を担当している模様。当節よく聞く“ニート”だの“パラサイト”だのといった、ちょっと無気力な、糸の切れた風船のような自由人だということではなくて。ただ単に、勘兵衛さんが家事一切まるきりダメという困ったお方なそのくせ、一向に結婚しようという気配もなく。家政婦さんを雇うというほど大層な収入や肩書があるでなしということで、親類筋の小器用な甥だか従兄弟だか、当時は大学生だったものを通学のための下宿先として住まわせたのが…そのままズルズルと。今に至っているとかどうとか。ご近所一の情報通、モリカワさんチの奥さんがそんな風に語っているのを、訂正しないところを見るとほぼそんなところなのだろう。………表向きには。

“今日は、タラのフライとゴボウと牛肉のしぐれ煮に、
 エノキを入れた かき玉すまし。
 レタスとトマトのフレンチドレッシング和え…は別の日がいっかな?
 箸やすめにはハクサイの浅漬けがあるから、えっと…。”

 サラダを先送りにした分、何かもう1品ほしいなぁ。ブロッコリーやニンジンの茹でたのにゴマだれってのはどうだろか。ああナスの味噌田楽ってのもいいかな。八百屋さんの前に立ち、トートバッグを肩に、ひとしきり思案している姿がまた、長身のいい男っぷりをした彼であるのに、違和感が全くないからこれまた不思議。色白な細おもての顎先を、首元へ巻かれたカシミアのマフラーにちょこりと埋め。少し伸びて来た金の髪をうなじで束ねて襟元に垂らした後ろ姿は、まだ薄手のダウンジャケットに包まれた長身が、だのに…腰の位置を曖昧にする長いめのそれをまとっているせいか、それとも本人はちょっと気にしているなで肩だからか、何とも優しげなシルエット。いつもなら前髪を後れ毛ごとすっきりと上げて、つややかに撫で上げているものが。今日はちょいとバタバタっと出て来たものか、目許より少しあるさらさらの髪を額へ降ろし、鬱陶しくない程度の無造作に分けている。

「あんなしたら、フツーだったらもっさりしちゃうトコなのにね。」
「そうそう。いかにも身なりを構ってませんて感じになって。」

 だというのに、彼の場合は…きゅうと結っていた時のきりりと冴えていた印象が和らいだ分、線の細さが強調されてしまうらしく。居合わせた買い物客の奥様方がちらちらと視線を寄越してくるわ、目許を細めてにっこり微笑えば、日頃以上にその嫋やかさが増してしまい、
「こっちは おまけしとくね。」
「おや、そりゃすいませんね。」
「いいのいいの、お得意さんなんだからvv」
 丸まる肥えたナスを一盛り買ったのへ、売り出しの品とはいえ、ミカンが一山おまけについてくる威力は素晴らしい。デザートまで揃っちゃったなとほくほくしつつ、さて帰りましょうかと夕刻の商店街を後にする。いつも小学生ばりのお早いお帰りをもって、此処で合流するのが常の、本当は“一人っ子”なのだが、表向きは七郎次の弟扱いで“次男坊”な誰かさんは。部活の剣道部が三校合同の交流戦だとかで、今年の会場になっている隣町の学校まで出向いているので、さすがに今日ばかりはそれが叶わない身。綿毛のような金の髪に、月光を浴びて一夜だけ咲く、そんな儚い花を思わせるような白い肌。淡い色彩で構成された身はお互い様で、そこへと鮮やかに映える渋紅のマフラーを首に巻いてやり、頑張って来なさいねと送り出した今朝は、どこか渋々というお顔をしていたのが何とも幼い態度であり、七郎次には却って愛惜しくて堪らなかったほど。だがまあ、剣道自体は好きでやっていること、
“ずっと続けるつもりらしいですしね。”
 彼自身の勝手な判断で、放課後の練習を早朝練習で相殺させているような。寡黙で、なのに結構 頑迷というか“唯我独尊”なところの強い子だけれど。その実力が、一年生ながら全国大会を制覇したほどとくれば、先輩方も顧問の先生も“じゃあ辞める”と言われちゃ困るのか、あまり強引なことは言えないらしい。それに、彼の側も あまりに度を超す無茶は言わないし、今日のような公式戦ではない集まりにもちゃんと顔を出しはするので、今のところ破綻はなさそうかなと、保護者としてはあまり案じることもなく。
“後は好き嫌いを無くしてくれればねぇ。”
 自分たちが引き取る前までは長く年寄りと暮らして来た子だからか、根菜の煮物が好物で。次が魚の煮たの焼いたの、めん類に煮豆に野菜炒め、その次に付け合わせの生野菜と来て、肉はあんまり得意じゃないのか、箸が向くのは一番最後。食べない訳ではないのだけれど、その順番で食べてゆくものだから、煮物やみそ汁、付け合わせのニンジンのグラッセだけでお腹を膨らませてしまい、メインのハンバーグを半分以上残されたときは、さしもの七郎次も唖然としたものだ。美味しくなかったのかと訊けば、ぶんぶんとかぶりを振った彼であり、
“育ち盛り真っ只中だってのに。”
 食うなと言ってもがっつり食べる年頃だし、焼肉やフライなど油ものへと真っ先に食指も向くはずだのに。やはり運動部にいたせいで自分にも覚えがある七郎次としては、筋骨を作る源なのだからとメインから食べるよう、鋭意指導中というところ。
“それでなくとも久蔵殿は、万歳をさせれば肋骨が浮いて見えかねないほど痩せっぽちだったりするのだし。”
 だから、口やかましくなっても仕方がないと。自分の方針へ、ついつい うんうんと頷いてしまう七郎次ではあるのだが。とはいえ、

 『シチの土佐煮は、婆様のと同じ味だから…。』
 『そ、そうなんですか?////////』

 料理の(それも煮物の)味付けや出来が美味しいからだと飾らぬ言いようで告げられると、厳しい言いようがなかなか出来なくなるのが作り手側の弱みだったりし。
“まま、今日のタラのフライはお好きなようだから♪”
 せいぜいふっくら揚げて差し上げねばと、鼻歌が出るほど張り切っておいでのおっ母様。暮色が滲み出すまでにはまだ少し間があるものの、既に冷たい風に耳の先を摘ままれながら、まだ誰も帰ってはいない家へと辿り着き。さてとて、短いファーに縁取られたブルゾンのポケットから鍵を取り出したところで、はたと気づいたのが、
「あ…。」
 家の中からかすかに聞こえるは音楽の奏で。協奏曲だろか、弦楽器の響きがなめらかに絡まり合っており。ということは、ノブに手を掛ければ…やはり難なくドアが開いて。
“また施錠してない。”
 やれやれとの苦笑を噛みしめつつ、それでも…三和土に揃えられてあった革靴には、ついついお顔もほころんで。

 「勘兵衛さま? お帰りですか?」

 声を掛けながら上がってゆけば、少し遠い声が“ああ”とか何とか返事を寄越す。暖房を入れてはないようだけれど、誰か家族が既にいるというだけで、ずんと暖かい場所に思えるから妙なもの。まずは台所へと向かい、上着を脱ぐと買い物を手早く整理してそれぞれの収納場へと収めてゆき。下ごしらえが要りそうなものは特にないかと頭の中でメニューを浚いつつ、音楽の聞こえる奥向きのお部屋へと足を運ぶ。寝室とリビングを1階に置き、半地下には書庫。2階には次男坊の部屋とそれから、サンルームを兼ねたADルームがあって、ホームシアターのための防音の設備がしっかと整っているので、音楽でも映画でも存分に楽しめるようになっている。カーボンディスクからDVDはブルーレイまで、コレクションも多岐に渡っていてのなかなかに豊富で、家長が殊の外 気に入りの“スペイン交響曲”の終盤あたりが、薄く隙間のあるドアの向こうから聞こえてくる。七郎次が戻る気配を拾うためにと、音を下げてのこんな対処を取っていたらしく、
「…勘兵衛様?」




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