短篇小話 2


□黎明の蒼
1ページ/2ページ

 強すぎての失速から笛の音のような高い響きも入り混じる、間断のない風の音がしていたが、そんなものはすぐにも気にならなくなった。砂塵を巻き上げ吹きすさぶ、それはそれは強い風が収まる黎明を待っての、明け方間近い夜の底に二人きり。荒野の一角の岩屋の陰という、隠れ家のような此処は、小さなランプの灯火のみが頼りなく照らす、何とも仄暗くて寒々しい空間であったのに。

 『…お前は温かいの。
  しばらく、こうしていてくれるか。』

 まるで自分の側からの所望による我儘のような言いようで、くるむようにと掻い込まれた懐ろの中は。相手の温みでたいそう暖かく、大好きな匂いがしてたいそう落ち着けた。その充実した筋骨の堅さを覆い隠すようにと重なった、衣紋の合わせへ頬をつけ、
『…眠らぬのか?』
 それ以上はなかろう間近から訊くと。吐息をつくような静かな笑い方をし、
『こんな眼福を前に、そんな惜しいことなど出来ぬ。』
 向かい合うこちらの顔を、眩しげに眸を細めて見やりながら、お道化るようなそんな言いようを、殊更静かに紡いだ男。夜陰の色は深夜と未明の端境で曖昧にぼやけており。だが、掻い込まれた外套の中、懐ろの深みは何の不安も寄せないほどに居心地がよくて。そんなところへそんな…睦言もどきの甘い言われようをされると、うっかり眠りそうになるかも知れぬと。それこそ惜しいと思うあまり、それを振り払うかのように、他愛のないこと囁き合っていたのだが。
『よくも見失わず、追って来れたものよの。』
『隙が…。』
『…儂に、あったというのか?』
『…。』
 眼差しだけで是と応じるような、こちらのあまりに訥々とした態度へだろう。不意にくつくつ、小さく笑った彼だったのへ、むっと気色を尖らせれば。すまぬすまぬと謝ってくれてから、

 『あまり話し馴れても
  おらぬだろうにと思ぉての。』

 お主は寝ていてもいいというのに、随分な無理をしてはおらぬかの? そうと言って微笑ましげに細められた目許に、
『…。』
 つい、見とれた。少し枯れて、だが深みのあるこの声も、昏い色みの、だがたいそう静謐なこの眼差しも。髪を梳いてくれる手の、武骨なのに優しい重みも感触も。馴染んでしまうと今度は何とも離れがたくて。

 ― だが。

 彼は、此処からは単独行を構えていると知っている。自分がついて来たことに関わりなく、そうと運ぶ腹積もりでいたと判ってる。だから。おもむろに、こちらの側から囁いたのが、

 「…俺は、何をすればいい?」

 式杜人が糸口になってくれようぞと、ただそれだけしか手札にはなく。あまりに見通しが不安定なため、何がどう転ぶやら、全くの流動的な展開となりそうで。そんな中でより鋭く機転を利かせるためには、何も持たず何も添わさずという身軽な方がいいのは定石。よって、此処から先は彼の単独行となる。それはキュウゾウにも重々判っているから、では、

 ― 何をして待っていればいい?

 訊くと。彼にしてみれば余程のこと思いがけないことだったか、一瞬意外そうに眸を見張ったカンベエだったが。キュウゾウの表情が動かぬところを認め、うぬと顎を引いてから、

「そうさな。
 では、このまま
 虹雅渓に向かってもらいたい。」

「虹雅渓?」

 いやに具体的な町の名が出て来て。問い返したキュウゾウへしっかと頷いて見せながら、

「勅使殺しの真犯人、
 見つかったのだろうかと思うてな。」

「…。」

 それこそ突拍子もなく出て来た意外なものという感があり、キュウゾウが、彼には珍しいくらいのあからさまに、大きく瞳を見開いて唖然とする。その疑いで身辺を騒がされ、侍探しもそこそこに街を追われた格好になったものの、彼ら一行には微塵も関係のなかったことだのに。済んだこととして処理し、忘れ去っていい騒動だった筈だのに。何で今の今そんなことをと、常からも表情薄いこの彼にしては判りやすいほど、今度は怪訝そうな顔をしているのを認めつつ、それでもカンベエは淡々とした声で言葉を続けた。
「思えば、我らが取り急ぎ出立することとなった“侍狩り”が始まった、その切っ掛けであるしの。ウキョウ、といったか? 差配の息子がキララ殿へ執着しておったから、そのために手段を選ばず、儂らを燻り出そうとねじ曲げて持ち出した口実かとも思ったが。」
 おまけを付け加えるならば、式杜人の禁足地にまで、野伏せりという助っ人つきでヒョーゴとキュウゾウという手練れの追っ手を放って来たほどの追従ぶりは尋常ではない。だが、
「…いや。」
 その辺りの事態の流れは、キュウゾウも向こうの立場にいて見聞きしていた身であり、問題の勅使の遺体も見ている。それを思い出してから顔を上げ、
「後ろからの袈裟がけ、腕の立つ者の仕業には違いない。」
 侍狩りの口実にするため死因は捏造された…というような小細工の入り込む余地はないと。端的に告げながら、だが、今になってキュウゾウの胸中にも不審の念が沸く。それをなぞるかのように、
「自身へお前ともう一人、侍の護衛をつけているような差配の屋敷で、しかも勅使が。警護も無くおったとは思えぬが。」
 屋敷自体が厳重に守られていたからという油断があっての無防備でいたのかと、そうと訊いているカンベエであると察し、
「かむろ衆がついていたし、居室も屋敷の奥深くに。」
 十分な態勢下にあったのに、誰がどうやって? 警護の統括だったテッサイも不審がっていたのが、証拠となろう得物を残していたことだが、
 
 “…侍がやったことだと、
  前面に押し出したかった?”

 刀という刃物で殺めたのだということをあからさまに示して、若しくは商人に含むものがあることを強調したがっている存在だと思わせて、そちらへと自然誘導的に注意を逸らしたかった?
「…。」
 侍という存在が丁度、差配側の人々それぞれの胸中にそれぞれなりの形で引っ掛かっていた頃合い。勅使殺害などというあまりに急な展開を見せたその上、差配配下の面々の意識下に“注意せよ”と刷り込まれていたその筆頭に上がっていたのが彼らの一派であったがゆえに。追跡の目を逃れようと街からの脱出を図ったその動きへと、皆して引っ張られてしまったようなもの。だが、冷静に調査に当たっていたならば、まずは内部犯、若しくは手引きしたものの存在を手繰るのが、正しい順番だった筈ではなかろうか。
「…。」
 そんなキュウゾウの胸中を見透かしたかのように、

「我らをまんまと利用した、
 何とも巧妙な作為が感じられての。」

 よって、後始末がどうなっているのかを、調べてほしいということであるらしく。判ったとばかり、くっきりした所作で細い顎をわざわざ引いて見せたれば、
「…任せたぞ?」
 幼き者の健闘を見守るような、どこか微笑ましげな表情へと立ち戻り、目元を和ませた首魁殿であったりもして。だが、ふと…そんな表情を掻き消して。

「それもまた
 “都”つながりな事情であったの。」

 差配邸の深部に、都への遺恨を含む者が居(お)ったということかのと、今思いついたように付け足された一言を…まさか この後、この男が大勝負の餌として持ち出そうとは、知る由もないキュウゾウであった。




次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ