短篇小話 2


□砂塵の迷図
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 此処にいるのに何処にもいない、そんな不思議な男だと、時折 思う。その前に立てばそれだけで伝わる手ごたえ、存在の重みは十分あるのに。知れば知るほど人を深々とのめり込まさせるだけの、器量も並外れて満ちているのに。どっしりとした安定と頼もしさは、だが、未来へは繋がっておらず。成したい野望や、極めたい夢があるでない身に、熱は寄らず。姿を消せばそれっきり、風の噂にものぼらぬ男。それ以下でもそれ以上でもない、侍でしかない男。よほどのこと深い業を持ってでもいるものか、なのに、それを振り切れず、振り切らず。あれほどに策が立つのに、自分へは世界一の不器用な男で。何をか割り切れないそのまま自らへの足枷にして、ずっと抱えて逝くつもり。あれだけ深きを見通せる尋を、あれだけ安んじられる懐ろを持つ身であり、惹かれる者も数多(あまた)いて、なのに。重いものは重い、苦いものは苦いと、誤魔化すことなく咬みしめたまま。その昏い双眸は、一体何を映しているものやら…。






     ◇



 数年ほど前にやっとのこと決着をみた、それはそれは長い大戦があった。世界を南北に分けての戦さは、まさに凄惨を極めて果てしなく。実際の戦場となったは、大地から遥かに遠い天穹ではあったけれど。土地は人がいなければ荒れる。手が入らねば元来の姿に戻る。戦いへと駆り出された人が戻って来なかったところは大きに荒れ廃れ、上つ方の断じた勝手な勝ち負けを映しての、活気の薄れた村や里は、そのまま没して荒野に吸われ。一つ大陸の上にありながら、里や村は数が減ったそのまま、互いの連絡も疎遠となり。商人が足場としたことで栄えた、物資豊かな町へ町へ、今や偏った集約を見せるばかり。時勢から取り残された農村を訪れるのは、招かれざる客の野伏せりくらいのものというのが、昨今の“ご時勢”になりつつあった。




 「………。」

 ある意味で追っ手を避ける意味もあって、彼が敢えて選んだは。旅の行程として最も疎まれる、砂塵の舞うばかりな荒野の道。古女房以外の誰にも何も言い残さずに村から離れたのは、村のこれからのために動いてくれる者らが、こうした自分の意を酌んでくれることを見越しておれたのと、それから。ここからの行動への見通しが、自分でも確たるものだとは言い切れなかったせい。ただ、機転が必要な潜行に頭数は要らないと、それだけは判っていての単独行。砂に撒かれても進路は見えるものなのか、たった独りで辿るその進攻は揺るぎなく。とはいえ、宵が深まるにつれ、風の勢いがひどくなるのには閉口したか、風化によって刻まれた、元は渓谷ででもあったらしい名残りの岩陰へと足を運ぶ。
「…。」
 風を避けようと身を寄せた岩壁に、重なり合うことで洞となっている箇所があるのを見つけた。海の凪でもあるまいが、明け方の黎明が近づけば風も収まろうからと、しばしの退避を決めて。腰掛けるのに丁度いい、低くて平らな岩があったのへと腰を落ち着けると、少ない荷を探る彼であり。程なくして、闇と境目もなかったほど無表情な岩に、覚束無く揺れる影が落ちる。火幌(ほや)を外すと簡易の手あぶりになるランプを、腰を下ろした傍らへと置いたから。黄味がかった光は黄昏にも似ており、何とはなしに人心地つけた。実りの秋もずんと深まり、もはや終わりに近い頃合い。何度となく哨戒に回ったことで故郷のごとく馴染んだ村の木々が、そういえばその姿を錦に染め変えていたのをふと思い出す。緑豊かな村とは違い、何にもないこんな地では、ただただ冬を思わせる風の音が響くのみ。孤独の感を深めるかと思いきや、そんな中に嗅ぎとれたものがあり、男の口許が微かながらも柔らかくほどける。

  「…キュウゾウ、おるのだろう?」
  「………。」

 気配はないが、ないという感触がする。その筋の達人というのは厄介なもので、そういった卓越した対処は意識せずとも滲み出すらしく。だがそれを言うなら、こちらもまた、そうまで意識を尖らせて警戒を敷いていたつもりはなかったのだがと、カンベエは小さく苦笑する。その笑みの効力ででもあったものか。果たして、ランプの明かりで生じた陰の中から滲み出して来たかのように、紅衣に包まれた、そのほっそりとした姿を現した若い侍は、距離を保ったまま、そろそろ見慣れた無表情のままでこちらを真っ直ぐ見据えており。それが物問いたげな風情に映ったか、
「案ずるな。何もお主との約定を反故(ほご)にして逃げ出そうというのではない。」
 そのような腰抜けと思われたかの。そんな自嘲の揶揄を仄かに込めてか、再び薄く笑うカンベエであるのへ。そうではないことくらい承知であると、金髪痩躯の青年がわざわざ顎を引き、浅く頷いた。そんな意思表示なぞ必要もなかろうと、青年の側でも思ったほどに、こちらの意図などこの老獪な侍には既(とう)にお見通しであったに違いなく。
「…。」
 何も言われずともこうして後を尾けた、そんな自分の行動もまた読まれていたものか。若しくは、こうなろうと運ぶ確率が高かろうからと、故意に何も告げなかった公算が高い。いや、きっとそうに違いないとの確信が今になって沸いて…砂防のためのマスクの下、苦く笑ったキュウゾウだった。



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