大戦時代捏造噺


□花名刺
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 その懐ろに無理から引き入れられ。こちらの背中を覆ってまだ余るほどもの、雄々しくも大きな躯でおいでなことを思い知る。自分よりも上背がおありなことは判っていたはずなのに、ここまでの差があるとは思いも拠らず。

 「…っ。」

 肩幅もあっての、堅い腕、堅い胸。もがいてもあっさりと押さえ込み、抵抗を難無く封じてしまえるその膂力に。ああそうだ、この方だって軍人だものと、それをまざまざと思い出す。声を荒げることもなく、何かが可笑しいと感じても くつくつと喉の奥を震わせるしかしない。日頃はそんな物静かな方ではあるけれど、そういう態度しか知らぬ自分ではない筈だったのに。戦さ場での鋭い眼差しも毅然とした横顔も。穹を翔け、大太刀振るって斬り込まれる勇姿も。そしてその腕が大型機巧を瞬断されていた手際だって、さんざん眸にしていたはずなのに。

 ―― それも、
   寄り添うほど ずんと間近で。

 同じ空間に同座しているどころじゃあない、掴みかかられたそのまま密着しているその御身。どんな場合もこうまで意識したことはなかった。こんな形で触れられたのだって…こんな風に力強く抱きすくめられたのだって、今が初めてじゃあないのに。どうしてだろか、総身が震えて慄きが走る。

「…。」

 大きくて持ち重りのする手が片方、胸元からみぞおちへ ざっと降りてゆき。ベルトの縁へと入り込んだインナーの裾を引っ張り出すのへと。ともすれば反射、咄嗟にもがいたところが、

 「あ…っ。」

 ただくるみ込んでいただけだったその双腕が、それは鮮やかに反応し、こちらの腕を背後へとからげ上げ、羽交い締めにしている手際のよさよ。仕上げに ぎりと軽く力を込めて絞めたのは、抵抗すればどうなるかを知らしめる代わり。まるで虜囚のような扱いに、ああだから怖いのだと理解した。

 ―― 怖い、恐ろしい

 この人へそんな感覚を持ったなんて初めてではなかったか? 老練な軍師であることへも。刀ばたらきの鮮やかさや果断な行動力も。恭順を捧げるに相応しい御方だと、畏れ多いと思うことは幾度もあった。でも、声さえ上げられぬほど恐ろしいと思ったのは今が初めてだ。

 ―― だって、
   いつもいつもその背で
   護られていたから。

 明かりのない部屋。背後においでで見えないお顔。何の感情も発っしてはおられぬ静かな気配。それだけか? 何も仰せにならぬことが怖いのか? 怒鳴られた方がまだましだ、剣呑な眼差しで睨まれた方がまだ。

「…。」

 肩や背の強ばりが、抵抗するための力の入れようではないと悟られたのか、ややほど腕の力を緩めてくださり、それにほっと安堵する間もなく、

「…っ。」

 ぐんと突き飛ばされ、そのまま雪崩込むように倒れ込んだのが、ほんのついさっきまで、この手で整えていた寝台の上だ。探しものがありますので先に休んで下さいませと、お休みになられたところを騒がすのも何だし、執務室のソファーへ毛布を持ってこうとしたところが。そのような気配もないままの御主から、不意に…しかも力づくにて搦め捕られてしまった七郎次であり。


 「…勘兵衛様。」


 闇の中でも彼だと判るほど馴染んだ匂いのする、こちらの頬へまでこぼれている長い蓬髪の御主。背後から押しかぶさったままな気配へと名を呼ぶが、やはりお声は返らぬまま。少し乾いたあの響き、随分と遠くなったような気がして、それが哀しい青年だった。






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