■小劇場 2

□これも茶飯事? 春の宵
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 昼間ひなかの気温はぐんぐんと上昇中で、日を追うごとに風もぬるみ、暖かさを増し。梢の蕾のふくらみや空の色、時事ニュースに扱われる花便りなどなども、春が来たよ、桜が咲きそろうのも間近いよと、口々に告げ始める頃合いになった。とはいえ、まだまだ油断はならないということか、朝は放射冷却で、宵は宵でまだまだ湿気が足らぬからか、陽のないうちはあっと言う間に体感気温も下降する。この時期はうっかりしていると遅霜も出るんですよねと、庭の手入れにすっかりと慣れている家人が、鉢植えを台なしにされたくなくてか、きれいな眉を微妙に下げて、そんな言いようでこぼしてもいた。

 “……ふむ。”

 すっかりと夜陰に没したテラスへ向いた大窓へ、遅ればせながらカーテンを引いていたその手が ふと止まったのは。そんな小鉢たちがポーチの隅で身を寄せ合っているのが見えたから。プリムラやパンジーの可憐な花々は、今宵も冷えそうだが出しておいていいものか。そんな懸念がふと沸いた御主だったが、判らないものへと手を出して、却ってとんだことになってしまっては何にもならぬ。自分がやったことなれば、七郎次も憤慨の矛先に困ろうからと、その点だけは学習も完璧。

 “今宵中には戻ると言っていたのだし。”

 それからの対処でも間に合おうと、思った端から、噂をすれば何とやら。

 「お…。」

 この家の門前へとすべり込んで停まったタクシーの気配が外から届き、ドアを開閉する独特な音が響いたので、出掛けていた家人がようやっと帰宅したらしい。手にしていたカーテンをきっちりと閉じてから、さして急ぐこともなく…それでも心情的にはいそいそと、ゆったりした歩調で玄関までをと足を進めれば、

 「勘兵衛様。」

 彼の装いには珍しくも、やや畏まった型のジャケットスーツにスプリングコートを羽織った、日頃には滅多にしないいで立ちの七郎次が、そろりと玄関ドアを閉じているところに間に合って。ただ今戻りましたと、身を折ってのご挨拶を寄越した堅苦しさは、私的な外出で、しかもこうまで遅くなったせいだろう。毎年、この時期にとあるお出掛けを欠かさぬ彼であり、特に今回は、出掛ける前から少々帰りが遅くなりそうとの予測もあったようで、

 「お食事はいかがなされましたか?」
 「ああ。台所にあった指示どおり、
  冷蔵庫にあったものを解凍して食べた。」

 自分が不在の間に何か変わったことはなかったかとか、想定外の電話や届け物などで戸惑わなかったか、ではなくて。真っ先にそんなことを訊くのがいかにも彼らしいことよと、足音も控えてのそろりと、静かに上がって来る七郎次へと苦笑する。リビングへとまでやって来て、次に彼が口にしたのが、

 「…久蔵殿は?」
 「上だ。
  もう休んでおるのでは
  なかろうかの。」

 後から聞いたのも予測はあったからだろう。それでも多少は残念そうに、そうですかと苦笑をし。

 「今日は部内の練習試合も
  あったそうですしね。」

 いつもの基礎練習とは微妙に、集中や何やも異なろうから。気疲れしもしたのでしょうねと、そんな納得寄せてから。じゃあこれは明日開けましょうねと、提げていた紙袋をテーブルへ置いたものの。その中からひょいと取り出したのが、重みのありそうな四角い包み。

 「こっちは
  勘兵衛様へのお土産ですよ。」

 あそこの地酒、お口に合ってらしたようですのでと、白い細おもてが優しい笑みを咲かせて にっこりほころぶ。どこに身を置こうと、何に向かい合っていようと、家人の存在が頭から離れないのが もはや基本となっている彼であり。1本だけつけましょうかと、言いながら、微かに すんと鼻声になったので、やはり表は冷えるのだなとの見識も新たに、

 「…。」
 「…あ。」

 脱いだコートとジャケットと、それらを掛け置いたソファーの背もたれへ、首元へ手をやり、しゅるんと緩めたネクタイも重ねようと思ったか、視線が下がった短い間合い。さして間近にいた訳じゃあない勘兵衛が、なのに気がつけば…その懐ろの中へと愛しい躯を封じ込めており。

 「…勘兵衛様。////////」
 「よほどに冷えたのだな。」

 うなじに束ねた金の髪、ほどく手際も慣れたもの。ぱさりと肩へ流れた淡色の流れは、すべらかだからこそ冷ややかで。それへと頬を寄せる所作に添い、雄々しい双腕の環が柔らかに絞られる。こちらが薄めのシャツ姿になっているからか、家着のカーディガンやシャツ越しでも、その屈強な充実が伝わって来。その温かさとこんな行動自体とへ、うっかりと酔いそうになるから恐ろしい。こうまで精悍なお人が、頼りたくての縋っている筈はなく。

 “勘兵衛様。////////”

 背中を抱く人の温みや匂いや、充実した存在感やに、この身だけじゃあなくの意識までもが、あっと言う間に搦め捕られる。自分とは違って、いかにも頼もしい大ぶりの手は、こまやかなことには向かないものの、それでも何であれ てきぱきとこなし。何より、しっかと支えて頼もしい、勘兵衛という人物の人性をそのまま示してもいるがため、実は秘かに七郎次が一番好きなところでもあって。
その手が、腕が、離すまいぞとこの身を抱いている。その懐ろへ深く閉じ込めたいかのように、両腕がかりでくるみ込まれることの、何と幸せな感触か。背へと触れての覆うのは、逞しくてやや堅い、鍛え抜かれた筋骨が張り詰めた、広くて温かな胸元で。強引な力任せじゃあないながら、それでも…無言のうちに“凭れておいで”と囁かれているのが感じられ。求めがあってこそのこの束縛と、果たして自惚れていいのだろうか。そんな恐れ多いことを思うものではないと、常と同様、我が身を戒めながら、それでも 甘くも切ない何かが総身を満たすようで落ち着けず。

 「如何した?」
 「…知りません。////////」

 これが昼間の他愛ない間合いのことであったなら、何かしら言い訳をし、上手に躱しもする七郎次が、今はそうと出来ない様子へ、ほくそ笑むように、声を低める勘兵衛であり。ああ、夜はこれだから。冴えた夜陰の素っ気なさの中へ、今更ひとり放り出されるのが怖いのだろか。人恋しい気持ちも知らずつのっているようで、この手を放してほしくはないと、甘えか弱音か、そんな脆さがどこからともなく顔を覗かせる。

 「……シチ。」

 そうまで強く抱いてもないのに、身じろぎさえ出来ぬまま、立ち尽くしている愛しい人へ。さあと促すように、その耳元へ何かしら囁きかけたそんな折、

  がたん、と。


 頭上から、何やら堅い音がして。

 “え?”

 見かけ以上に頑丈な家だ、衣擦れの音だの しわぶきの声だのという程度では、階下へまで届かぬはずだから。ということは、随分な物音だということではなかろうか。

 「…久蔵殿?」

のお部屋ですよねと、直前までの甘やかな煩悶やら切なげな感傷が一気に吹っ飛び、肩越し背後の御主を振り仰いだ七郎次が見やった先で、
「…。」
 無言ながらも表情は正直なもの。さほどに大仰なそれじゃあなかったが、七郎次の目には明らかに、

 『ぬう、目が覚めおったか』

 そうと言いたげな、ちと残念だという色合いの感情が、目許や頬へと浮かんでいたのが丸判り。そうこうするうちにも、

  がたん。
  …がたた・がたがた、
  ばさばさ…どたんっ。

 なかなかのにぎやかさが響いてそれから。ばたーんっと、これもまた日頃にはない勢いでドアが開いて、そこから誰かさんの気配が飛び出した…と思った次にはもうご到着の

 「久ぞ…。」
 「しまだっっ!!」

 今の今まで寝ていてのこれというのは、とんでもない勢いでの感情の立ち上がりなんじゃあなかろうかと。立ち眩みや目眩いはしないかなんてな、お年寄りじゃあないんだからとのツッコミが入りそうなほど、見当違いな心配をついついいだいてしまった七郎次だったのも、だがだが無理はないほどに。怒り心頭に発したという態で戸口に仁王立ちとなっていたのが、

 「久蔵殿。」




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