■千紫万紅 〜賞金稼ぎ篇 3

□見えるもの 見えないもの
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 この辺りでもとうに冬は過ぎゆきて、花と翠の季節に入ったはずだが。雨や嵐の兆しででもあるものか、時折遠くに風籟が逆巻くどよもしが聞こえて来る。随分と遠いそれが耳で拾えるほどに、他には人声も気配もしない、シンと静かなばかりの夜陰の中。

 「………。」
 「如何した?」

 夜具の中に横たえられたその痩躯、身じろいだ訳でもないのに的確な間合いで声がかかったのへと、こちらこそ不審を覚えてしまい、
「…何故?」
 こちらの目が覚めたと判ったのか。そんな意を乗せ、だが手短に問えば、
「さてな。」
 判ったものはしょうがないとでも言いたいか。気の利いた取り繕いようもしないまま、向こうも短い言いようを返して来たのみで。だが、その一言を紡ぐ前、声にもならぬ大きさで、小さく吐息をつくよな気配がし。ああこれは静かに苦笑をこぼした勘兵衛だなと判った久蔵だったので。そうかそうだなという納得込めて、浅い頷きを返して見せる。
「…。」
 そんな自分の表情を隠すもののあることが、何とも鬱陶しいものだから。顔へと手を延べ、指先でなぞれば。横合いからこれも静かに伸びて来た手があって。やんわりと窘めるような力加減にて、こちらの手首をそおと掴んだ。患部へ触れるなとの示唆だろう。頑是ない童への扱いのようだと感じての、反発含んだ憤懣が込み上げるより、

 「…。//////」

 触れてくれた彼の手の温みが嬉しいと、それこそ小娘のような甘ったれたことを感じてしまい。
「?? 痛むのか?」
 見当違いなことを訊く勘兵衛へ、そうじゃないと…何故だか言えず。じゃあ何だと問われても上手く言えないだろからと、それが歯痒くてのこと何も紡げぬ唇を、その代わりのように咬みしめてしまう。すると、

 「…大事がのうてよかった。」

 手首からスルリと離れかけた勘兵衛の手が、だが、久蔵があっと思わずの声を洩らすよりも先んじて。剣豪殿の手を持ち変えるようにしつつ、自らへと引き寄せて。そのまま、彼の手よりも一回りは大きな手のひらへ、乗せるように伏せさせての、触れたままでいてくれる。
「………。」
 それっきり、再びの沈黙が訪のうたものの、のべつまくなしに話していないと間が保(も)たぬような、どこか気ぜわしい性分でもなし。連れもまた、その若さに見合わず 沈黙を意に介さぬ剛毅な性分をしていたので。静まり返ったとて特に持て余しもしない。
何ということもなくの、時が過ぎる中に たゆとうておれば、

 「……。」

 ふと、先程の目覚めの気配に似た何かが静寂を震わせて。ああと気がつき、
「すまぬな。これでは眠れぬか。」
 彼の手を取ったままだったことを詫び、離そうとしかかると、
「〜〜〜。(否)」
 ゆるゆるとかぶりを振って、離れかかったこちらの手、指先をきゅうと捕まえる。今度は意が通じなかったの、だが、さほど歯痒いとは思わなんだ。勘兵衛自身が遠のこうとした訳じゃあなくて、本人の気配や距離感は動かぬままなのが、やはりちゃんと感じられたから。ただ、

 「…暗い。」

 ぽつりと呟いた久蔵へ、今度こそあやすようにその手を“よいよい”と上下させ、
「ああ。もう夜更だからの。」
 床へと横たえられたのは、まだ明るいうちだったから、包帯越しでもそうと判るのだろうよと、その差異の裏書を告げてやり、

  ― 何か腹へ入れておくか?
    水?
    それだけでよいのか?

 枕元へと用意されてあった、片手急須のような吸いのみを持ち上げると、小さな口へ少しずつ傾け、白湯を飲ませてやる。暗いと言った久蔵だったが、手元暗がりではない程度の明かり、火皿へ灯された灯明が、一応は寝床の傍らに据えられてある。いくら夜目が利くほうの彼らであっても、せいぜい物の輪郭を見分けられる程度のことだし、目元を晒し布で覆われている久蔵に至っては、その下で眸を伏せている状態なのだから、そも何も見えはしない筈なのだ。研ぎ澄まされた感覚で、瞼越しの明るさや、傍らにあるものの気配を察してそれが誰かを断じているだけ。そしてそんな感応反射も、傷めた眸にはよくないことと判る勘兵衛だったから、

 「まだ夜半だ。もう一度寝直せ。」

 吸いのみを戻した側の手で、ほんのかすかに寝乱れた、金の綿毛を梳いてやる。不器用な男のやることだから、髪を掻き回す要領の悪さといい、硬い掌の感触といい、優しいいたわりからは程遠かったが、
「……。」
 髪をもぐっての地肌へと触れる、これも堅い指先の感覚が。どうしてだろうか、くすぐったくて心地いい。大人しくしておれば、

 「一晩過ごせば炎症も収まると、
  医師殿も言うておった。」

 だから寝直せと繰り返す勘兵衛であり。
「……。」
 こんなしてわしわしと撫でられていては、到底眠るなんて出来ないぞと、口が達者なら言い返しているところ。ああでも、何だか気持ちがいい。眠ってしまっては勿体ないのにとの葛藤に、内心で困ってしまっていた久蔵だったりする。







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