■小劇場 3

□冬色の晩に
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クリスマス寒波ならぬ、年越し寒波がそのまま居座ったかと思うよな。近年には久しく無かった度合いの、極寒の冬が正月早々から続いていたが。世界的レベルという広がり見せた、北海からのその寒波も、一旦休憩というところか、今週の頭からは少々和らいだ模様であり。

 “ほとんど屋内で過ごす身にはあまり実感のない僥倖ではあったが…。”

 そうとはゆかぬ家人らは家人らで、寒さが堪えぬものでもなかろうに…妙にお元気だったので。出社してから拾う世間の声でそうならしいと気づいた勘兵衛だったほど。毎朝毎朝、まだまだ陽による温みも満たさぬのだろう、身を切りそうな空気の中を学校へ向かう次男坊は。幼い時期を過ごしたのがもっと寒い土地だからか、あまり堪えては無い様子だったし。冷える朝ほど“お寒いですよ、しっかり暖まって下さいませ”と、そりゃあ張り切る女房殿は女房殿で。彼もまた寒さには強いらしく、息が白くなりましただの、氷が張ってたんですってだのという、着々と近づく冬の便りを、そういえば妙にわくわくとした笑顔でもって、こちらへ告げてはなかったか。

 「……。」

 年明けからこちら、昨年末に弾けたとあるバブルの余燼とそれから、政財界にきな臭い動揺が満ちている反動か。本社直轄のデータベースへの情報の更新が頻繁になり。最高機密も満載な、いわゆる“深部”へまで影響及ぼす類いの情報にも、大きな変動ありき…ともなれば。そこへと触れられる責任者以外には手をつけられぬ。よってのこととて、役員秘書を統括する特別秘書室の室長殿にも、思わぬ残業が連日増える…という日々であり。
リアルタイムで飛び込んでくるよな事態へも、臨機応変、利かせられるようにと、日頃の電車出勤を今だけは辞めていての、自家用車での通勤は。運転手つきならともかく、自分で転がすのでは さほどに楽だとも言えなくて。やっとのこと、自宅のガレージへその身を納めると。ついぞはまず聞かれぬそれ、安堵の吐息が 勘兵衛の口許からついつい零れたのもまた、多少なりとも疲れている証左だろう。
陽のあたるところでの、社会や組織という基礎基盤を尊重しつつの働きは、その緊張も重責も、ともすりゃ“証しの務め”と変わらぬというのがようよう判る。法治国家だからこその窮屈な制約を枷と感じ、慎重な手順をいらいらと待たねばならぬが、なればこそ、そうして得たものを翳せば、これぞ公明正大ぞと絶対の発言権を行使出来もする。疚しい存在の所業を、闇へは闇へと“力”でねじ伏せ、陽の下へ引きずり出す“務め”とは、用いる力のカラーやベクトルが真逆ながらも、忍耐や馬力が要るハードさは、甲乙つけがたい いい勝負とも言えて…と。そんなこんなと思うこと自体が、

 「…やくたいもない、か。」

 何へとも知れぬ小さな苦笑を口許に張り付けると、車外へと出て、玄関へ。そんなこんなを総て“瑣事”としてしまう、至福の塒(ねぐら)へと戻ったのだから。下らぬことを思うのは、やめだ やめとのかぶりを、その胸中でさんざに振った勘兵衛。さすがに遅い帰宅だからか、門柱と玄関の明かり以外は落ちていることへも、侘しいと思うより、おや珍しくも言いつけを守ったなという、くすぐったい苦笑が洩れる。いつもいつまでも、自身を“従者”の位置から動かさぬ連れ合いは、遅くなるからとどれほど言って聞かせても、日付が変わった夜半までだって、勘兵衛の帰りを起きて待っている強情者であり。とはいえ、こたびは泊まりがけの作業が続いたがため、本社に隣接する系列ホテルへの、連泊となった末の3日振りの帰宅ゆえ。帰れるかどうかは勘兵衛自身にも判らないと、そうと告げておいた上での外泊の後だけに。久蔵もいてのこと、寝坊を続ける訳にも行かぬ、何よりその久蔵がまた、おっ母様相手に限っては過ぎるほど気を回す和子だから。ちゃんと寝なさいと説き伏せられてのこと、素直に休んだ七郎次なのだろうと、こちらもそうとの解釈をし。

 “と、なれば。
  無体にも起こす訳には
  いかぬわな。”

 防音処理を施された寝室にいるのなら、ガレージへと車を納めた物音もさして響かぬに違いなく。そのまま朝まで、ぐっすりと眠っていておくれとの心持ちからのこと。こしらえのくっきりとした、凛々しい口許をほころばせると、

  ―― 軽く眸を伏せ、
    そのまま ふっと

 今宵は風もない夜陰の中へ、確かに立ってた自身の気配、それはそれは容易くも、掻き消した壮年殿だったりする。





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