ワケあり Extra

□いまだ 花冷えにて
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 冬場の乱高下をそのまま持ち越したらしく、寒暖の差がはなはだしいこの春は。早く咲いた桜に無情の雪が降り積もる地域も出たほどの、とんだ目まぐるしさをいつまでも続ける意地の悪さで、花の四月を終えようとしており。

 「ここいらは
  もうすっかり葉桜だね。」

 街なかの小さな緑地公園の周縁、街路に沿ってる側に並んだ木立が、結構見ごたえのあるソメイヨシノだったのだが。さすがに四月も末となっては、桜花の影もすっかりとなくて。とはいえ、その若葉自体は、まだ赤ちゃんもいいところの小ささなので。梢を覆うまでには全く間に合っておらず。降りそそぐ陽を遮るにも足りぬまま、樹下をゆく人々をまんま明るく照らしている。カラーレンガの舗道は、緑地前にて少しばかり広く幅を取っているため、ちょっとした広場も兼ねており。そんな舗道の端、あちこちに立ち止まり、待ち合わせの相手を待つ人影も少なくはない。携帯の液晶画面を見やり、メールを見たり打ったり、小さなプレイヤーで音楽を聴いてたり、文庫本を開いていたりと、待ちようは人それぞれで。相棒のいる待ちぼうけ組なら、時間つぶしを兼ねたお喋りに精出すところ。そんな中にあって、

 「青森の弘前城じゃあサ、
  そりゃあ見事な桜を
  たっくさんの人が観に来る、
  毎年恒例の
  さくらのお祭りが始まったのに。」

 肝心の桜がまだ蕾も堅いらしくって、ゴールデンウィークに間に合うんだろかって、地元の人たちがやきもきしてるんだって…と。事情通なのは悪いことではないけれど、この手の話題を持ち出した人物が、見るからに十代のお嬢さんだってのは、何とも微妙だったりし。
しかもしかも、そういう話題を好みそうなお堅い大人が、学生はこうでなくてはと頷きもって得心しそうな、所謂“スタンダード”ないで立ちならばともかくも。プリント柄のブラウスは腰下まで丈があり、胸元切り替えでフレアたっぷりというフォークロア調。更紗っぽい薄手の生地のブラウスだけじゃあ 当然まだまだ寒かろからと、上へ重ね着ているのは結構しっかりしたジャケットで。
だっていうのに、真白き御々脚の…膝下は言うに及ばず、腿の部分も軽く70%は露出してんじゃなかろかという、相変わらずのミニスカート姿が、何ともコケティッシュでありながら。その足元はといえば、足首にくしゅくしゅとやわらかい生地がまとわりつくタイプの、ハーフブーツという取り合わせ。
寒そうだが春っぽさを主張したいんだか。でもやっぱり寒いんだもんと、足元だけは花より実をとったのだか。どっちつかずではっきりしない混在振りだが、季節感薄れゆく昨今じゃあ、さほど突飛な組み合わせでもないのかも。

 “真夏に
  鍋焼きうどんよりかは
  マシだが。”

 夏炉冬扇って言葉を知らんのか、あんたらは。…などという、書き手の独り言へと付き合ったお連れさんの方は方で、襟の立ったジャケットは、オイルコーティングの利いた、いかにもマニッシュな型の代物。ウエストカットという短さの上着の下から覗くは、こちらさんも随分と竹の短いスカートだったが、スムースジャージを思わすその生地が張りつく下肢は、スキニータイプのスリムなジーンズに包まれており。こちらさんも相当に長いその御々脚、均整も取れていて十分キュートじゃああるけれど、それ以上に切れのいい快活さの方がシャープに強調されている。一緒にいるのが今時の“何ちゃってフェミニン風”なため、尚のこと、ボーイッシュな雰囲気が際立っており。

 「…と、ほらあれ。」
 「あの子たち?」
 「…で、〜〜なんでしょ?」
 「どっかの読者モデルとか?」

 それでなくとも、双方ともが 陽を受けて燦然と燿く金の髪をしているその上。いづれが春蘭秋菊か、すべらかな白い肌に凛と端正な面差しをし。日本人離れした淡色の瞳もお揃いならば、きゅっと引き締まった肢体に腕脚の長い、かなりなレベルで美人の部類に入る少女たちなせいもあり。
行き交う人々は、男女を問わず、ついのこととて視線を寄越しちゃあ、どういう素性の子たちだろうか、一体どういう間柄なんだろと、詮索の気配ぷんぷんな関心を寄せて止まなかったりし。生まれてこの方のずっとを、そういう好奇心にさらされ続けだった身には、そんなものは今更なこと。
小さい頃は小さい頃で、いくら何でも小学生が髪を染めてるって事はなかろうからと、どこの国から来たハーフかクォーターかとまで言われていたもので。高校生になった今、その辺りへの詮索はさすがに和らいだけれど、そうなると今度は、ケバいの軽いのという方向への誤解も受けかねず。

 『ウチのガッコの
  制服姿でうろうろしてると、
  あの頭で
  あんなお堅い学園の子なの?って
  顔されますものねvv』

 やはり赤い髪なのでと、似たような誤解の中を育ったもう一人の親友が、苦笑交じりにそうと言ってたのを思い出す。だがまあ、いちいち意識していちゃあキリがないし、一人で街に出ての誰かと待ち合わせなんて場合だと、案外と自覚してなかったなぁと、今の今 ふと気がついたほど。だって連れの方が目立っているよな気がするからつい、不快じゃなかろか、こっち向いてりゃ大丈夫だよなんて、そんな気遣いばかりしてしまい。そうすることで、ああ自分もご同類なんだっけと、後づけで気がついているお呑気さは、いっそ“豪気な”と呼んでもいいのかも。





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